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西口文也

西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )
埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称は「オツ」で、理由は駅伝選手ジョセフ・オツオリに似ているとチームの先輩に言われた事から。


経歴
中学校までは遊撃手や外野手だったが、県立和歌山商業高校から投手を兼任、立正大学では投手に専念し活躍。1992年には春季東都2部リーグで最優秀投手賞を受賞している。1994年ドラフト3位で西武に指名され入団。

1995年米独立リーグ(教育リーグ)に野球留学し、後の決め球の一つとなるチェンジアップを会得。後半戦では安定したピッチングを見せ、初完投・初完封を記録している。

1996年開幕から安定した投球をし、リーグ2位の16勝・173奪三振と最多完投をマーク。オールスターにも監督推薦で初選出されるなどチームの中心選手になっていく。

1997年初の開幕投手を務め、9月には中0日から中4日のペースで投げるなど大車輪の活躍を見せ最多勝利、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞など投手主要タイトルを獲得し、MVPを受賞した。日本シリーズでは9回1失点など好投するも2敗を喫した。

1998年2年連続で開幕投手を務めたが結果が出せず、調整も兼ねて中継ぎ・抑えとさまざまな役回りを試され、後半に巻き返し2年連続の最多勝利、最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。初の最多完封勝利をマークした。

1999年3年連続の開幕投手を務める。ルーキーの松坂大輔にチーム勝ち頭を奪われたものの、2度目の最多完封勝利をマーク。

2000年後に持病となる右足内転筋を2度痛め、戦線を離脱したものの11勝を挙げる。3年連続の最多完封勝利をマーク。

2001年は四死球91と制球に苦しみ、防御率が初の4点台に。

2002年は松坂が戦線離脱する中、リーグ2位の15勝挙げ、リーグ優勝に貢献。3度目のゴールデングラブ賞を受賞。

2003年不調や怪我が重なり、規定投球回数にも届かず6勝、防御率6.84と不本意な成績に終わり、連続2桁勝利・連続防御率10傑入りの記録が共に7年で途絶える。

2004年禁煙・食事制限など節制に努め復活を期し、3度右足内転筋を痛めるなどアクシデントはあったものの、10勝を挙げる。FA権を取得するが行使せず西武に残留。「これから西武で何勝できるかやってみたい」という生涯西武ともとれる発言をしている。

2005年セ・パ交流戦で6勝を挙げ、交流戦初代最多勝投手に。年末には、スポーツうるぐすの企画で「今年ついてなかったスポーツ選手」として、相撲の普天王、横浜ベイスターズの多村仁と釣り対決をした。が、結局“ボウズ”(成果なし)に終わった。

2006年4度目の開幕投手を務めるものの、序盤は調子が上がらず負けが先行、中盤以降に復調し9勝を挙げる。シーズン終了後〜契約更改前まで2回出場したゴルフコンペで2連勝し「これでシーズンとあわせて11勝だから減俸も少なくなるかもしれません」とジョークを交えてインタビューに答えていた。その後、契約更改日の交渉時間に渋滞により遅刻をして「10分遅れたんで10%減でした、5分だったら5%減だったかもね」というジョークも飛ばしていた。推定年俸2億7000万円はこの年パ・リーグ投手1位。

2007年松坂がボストン・レッドソックスに移籍し、層が薄くなった投手陣の中でリーダーとして期待され、5度目の開幕投手を務め、99年以来の白星を記録。毎年春先は調子がよくないが3・4月の月間MVPを初めて獲得した。8月17日、オリックス戦に先発し8回無失点の好投で、史上46人目の通算150勝を達成した。歴代6位の319試合での達成で、2リーグ制後に入団した投手では最速。大卒投手の150勝は94年達成の佐藤義則以来13年ぶり。9月18日、対オリックス戦において史上83人目の2000投球回を達成。しかし6月以降の失速が響き、勝ち星は前年と同じ9勝、負けは11敗となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなってしまった。

2008年前半は打ち込まれる姿が目立ち7月終盤までの防御率が6.35と苦しんだ。しかし後半は別人のように持ち直し、7月27日の日本ハム戦で6回2/3を1失点と好投して以降は4勝1敗防御率2.74と活躍、終盤のケガもあり前年より勝ち星は減ったもののレギュラーシーズンを勝ち越して終えた。 日本シリーズでは最終戦に先発して、2回2失点でマウンドを降りた。前日の救援投手として投げた岸孝之投手は、「もし第7戦に持ち込んだら西口さんが先発なのでつなげたかった」と日本シリーズMVP受賞の会見で述べている。

2009年も前年同様前半戦はローテーションに入ったものの打ち込まれる試合が続き、チーム事情もありリリーフに回される。しかしリリーフでも打たれる場面が多く防御率は2年連続の5点台、勝ち星は4勝に終わった。

投球面

ピッチングスタイル
キレのよいスライダーを得意としており、彼の代名詞とも呼ぶことができる。西口のスライダーは独特な変化をし、特に2ストライクに打者を追い込んでからは、時にフォークと見間違えられるほどに鋭く縦に変化し、打者にスライダーを空振りしたのではなく、フォークを空振りしたかのようなスイングをさせることがある。好調時には高い確率で打者の空振りを誘い、早いカウントの時は小さな変化でストライクを稼ぐというように使い分けている。

ストレートはかつては150キロ以上(MAX152キロ)を計測することもあったが、近年は140キロ前後である。

配球はストレートとスライダーが投球の多くの割合を占め、この2球種のキレがその日の結果を大きく左右すると言える。 基本的に変化球はスライダーが多いが、他にもフォークボール、チェンジアップ、シュート、カーブなどを持っており、フォークボールとチェンジアップは左打者に対して多く使われる傾向がある。シュートとカーブが使われるのは稀である。

1996・1997年のころは、ストレート、スライダー、そしてチェンジアップが主として投げられていたが、2000年ごろからチェンジアップの比率が減り、フォークが増えていった。 ストレートをコーナーギリギリについていくことやストライクゾーンから逃げていくスライダーを決め球にしているためか制球力のわりに、与四球が多い。1試合の中でのペース配分の技術に優れ、その性格ともあいまってピンチにもあまり動じず、勝負所で全力で投げ込むストレートは威力、コントロールともに抜群である。2006年は177回1/3イニングを投げて暴投が一度もない。投球テンポがよいので締まったゲームを作ることができる。四球が多いためWHIPもそれほど優秀ではない。

点差が開いた時や強打者ではないバッターに対しては気を抜くのか、それまでのピッチングが嘘のように本塁打を打たれることが多い。大きく得点差がついたときの勝敗にあまり関係の無い場面で打たれる場面が多いのが西口の特徴のひとつである。2007年の開幕戦でも草野大輔にプロ初本塁打を許した。毎年20本前後の本塁打を打たれており、先発投手としては良い被安打率を誇る割には、よく本塁打を打たれるため防御率にはあまり成果が現れていない。2009年現在14年間のプロ生活で9回もの二桁勝利に輝いている(9勝のシーズンも2回ある)が、規定投球回投げている年で防御率が2点台になったのは1度だけである。しかし接戦には強く、勝ち星を稼いでる。伊東勤に「西口には2点差ぐらいがちょうどいい」とも言われた。俗に言う「一発病」である。

ピッチングフォーム
投球フォームは、細身の体を柔らかくかつ一杯に使い、半ば枕詞のように「マウンド上で踊っているよう」であると形容されることが多い。ルーキーのころは、野球評論家たちに蛸踊りのようだと酷評されていたこともあったが、実績を残すにつれ聞かれなくなった。

技術的にも、軸足である右足はプレートの右端に立てた上で左足をインステップすることでリリースポイントは通常より右側にずれ、腕は体幹に巻きつくように振られ体に遅れて出てくるため、ギリギリまで打者からは見にくくなっているとされる。直球と変化球で腕の振り方が変わらないために球種の見極めが難しいこともよく指摘されるところであり、見た目の華やかさだけでなく実用的なフォームでもある。西武ライオンズのエースであった渡辺久信はラジオ解説で「西口とキャッチボールをするのは慣れていないと危ない」と語ったことがある。近年のチェンジアップは腕の振りが違うため、打者に見破られ易くなっている。

このフォームには欠点もある。投球するときのステップ幅が広すぎるため、内転筋を痛めやすいことと、ストレートがシュート回転しやすくなることである。時にこのシュート回転気味のボールを武器にしている面もある。 投げ終わった後は一塁側に倒れこむような体勢になり、打球への反応が一瞬遅れがちになる。

しばしば語り草となるのは1998年の日本シリーズ第1戦で、先頭打者の石井琢朗に三塁側へのセーフティバントを決められたことである。石井は西口のフォームをビデオで見てこの作戦を思いついたといい、これを足掛かりに横浜に先取点を奪われた。シリーズ全体の流れを決定付けてしまったプレーとさえ言われることがある。

しかし、フィールディング技術そのものは優れており、ゴールデングラブ賞を3度受賞している。チームメイトで同じくフィールディングの上手い松坂大輔とともに、97~06年までの10年間パ・リーグゴールデングラブ賞投手部門を西武勢で独占している。

入団当初は振りかぶって投げていたが、1998年前半の不調時期の前後にノーワインドアップモーションに変えていた。2005年からワインドアップモーションに戻している。

奪三振
特徴の一つに奪三振の多さがあげられる。2006年には通算1500奪三振を記録し、要した投球回数1729イニングは史上48人の達成者の中で石井一久、江夏豊、川口和久に次ぐ4番目のスピード記録であり、右投げでは歴代1位である。1997年4月12日の千葉ロッテ戦の2回裏に史上4人目の1イニング4奪三振を記録している。2006年6月18日の横浜ベイスターズ戦では12個の三振を奪い、1996年から11年連続で2桁奪三振試合を達成するというパ・リーグ新記録を樹立した。

魔の東京ドーム
ホームランが出やすいと言われている東京ドームが大の苦手で、1996年8月3日の日本ハム戦以来勝ち星から遠ざかっていた。近年は登板を回避することも多く登板数が少ないことも影響している。優勝を争っていた2001年には当時の東尾修監督がローテーションをずらしてでも西口の東京ドーム登板を避けた。2002年の日本シリーズで初戦の先発を回避したのもこれが一因とされる。

2002年までマウンドが黒土で穴が掘りやすいことに加えて滑りやすく、持病の内転筋を痛めやすい、また前述の通り一発病の気があるため、西口に合わないのが原因だといわれている。また、東京ドームが苦手ということで対日本ハム戦の通算勝率は高くない。もっとも、西武ドームなど他の球場での日本ハム戦では好投するため、日本ハムに対して相性が悪いわけではない。

2004年に日本ハムが札幌ドームに移転した後は、札幌移転後も年10試合前後行われる東京ドームでの日本ハム主催試合を、日本ハム札幌移転の際の経緯から西武側が拒否しているため、西口の東京ドーム登板の可能性はセ・パ交流戦での巨人戦、または西武と巨人が日本シリーズに進出した場合に限られるはずだったが、2007年のパリーグ公式戦においてオリックス・バファローズ主催ゲームが二試合(5月19日・20日)組まれ、19日の予告先発に指定されたのだが、この日も結局当日になって腰痛のため先発回避となった。同年6月24日の対巨人戦に先発。6回1失点に抑え、11年ぶりに東京ドームでの勝利を挙げた。翌2008年6月9日の対巨人戦でも5回を3失点だったものの、巨人先発のセス・グライシンガーの乱調もあり勝利投手となっている。

得意の大阪ドーム
大阪近鉄バファローズの本拠地であった大阪ドームでの成績は非常に良い。1997年の大阪ドーム開場以来、十数度先発登板して1度も敗戦投手になったことがなかった。

近鉄から見れば、大阪ドーム開場以来数年間、一度として、本拠地で西口を敗戦投手にすることができなかった。この記録が取り上げられるようになって梨田昌孝監督率いる近鉄ナインはなんとしても西口を敗戦投手にしようとし、2003年5月20日に、タフィ・ローズの2本の本塁打などで、ついに大阪ドームで西口に黒星をつけたのである。西武の本拠地西武ドームになると大阪ドームより成績が落ちて五分五分程度になるため、単純に西口と対戦チームとの相性の問題ではないようである。

2000年以降近鉄が消滅した2004年まで、近鉄と西武との対戦成績は五分か近鉄が勝ち越しており、チーム同士の相性も、関係がなかった。

「あと1人」(28人目)の悲劇
“完全試合またはノーヒットノーラン達成まであと一歩”のところで被弾し完封・完投どまりになった事が3度あり、ジンクスの一つと化している。

2002年8月26日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)、福浦和也の四球による出塁1つに抑える好投で9回2死までノーヒットノーランだったが、小坂誠内野手に中前打されて快挙を逃した。次打者のサブローにも右前打されたが後続を抑えて2安打1四球、6-0の完封勝ち。

2005年5月13日のセ・パ交流試合・対読売ジャイアンツ戦(インボイスSEIBUドーム)でも、清原和博の死球による出塁1つに抑える好投で9回2死までノーヒットノーランだったが、清水隆行に得意のスライダーを右翼席に本塁打されて快挙を逃した。1安打1死球、6-1の完投勝ち。仮にノーヒットノーランを達成していたら交流戦初の達成者となるところだった。(後にリック・ガトームソンが初の達成者となった)

2005年8月27日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(インボイスSEIBUドーム)では、9回終了まで楽天を完全に抑えていたものの、その試合で投げ合った東北楽天先発の注目ルーキーであった一場靖弘の9回178球の力投の前に打線が沈黙。遂に味方の援護無く延長戦に突入した。延長10回表に同い年の先頭打者沖原佳典内野手にヒットを打たれ、完全試合の快挙を逃した。このような形で延長戦で完全試合を逃したのは史上初、ノーヒットノーランでは9人目。後続の打者を抑え、その裏の攻撃でライオンズは石井義人のタイムリーヒットでサヨナラ勝ちをおさめたため、結果は10回1安打1四球、1-0の完封勝ちとなった。仮にこのままパーフェクトピッチングを続け、西武の打線の援護でサヨナラゲームを決めれば、江夏豊が阪神タイガース時代の1973年8月30日に中日ドラゴンズ戦で達成して以来の延長戦ノーヒットノーラン、延長戦完全試合は史上初の達成となるところだった。このピッチングは完全試合の参考記録とされている。

上記3名の打者すべてが、西口がその日に対戦した28人目の打者であった。

1996年9月23日の対近鉄バファローズ戦(西武球場)で、初回に水口栄二内野手にヒットを打たれたものの後続を全て抑え、途中8連続奪三振の活躍(第3位。日本記録は梶本隆夫、土橋正幸の9連続)で1安打、6-0の完封勝ち、このとき一度目の「準」完全試合を達成していた。

人物
松坂が西武に在籍していたころ、マスコミにはエースといえば松坂といわれることの方が多かったが、上原浩治、川上憲伸など一流投手の中では今(っていつ?)もエースは西口と公言している人がいる。長年にわたって連続して先発投手としての実績を残している近年では唯一の存在とも言えるからである。

松坂入団以後は、西口と松坂がどちらも甲乙つけ難い好成績を残しているため、どちらが西武のエースなのかということに関して、しばしばファンの間で議論になることがある。「日本のエースは松坂、西武のエースは西口」という言い方がされることもある。豊田清からは「松坂は怪物、エースは西口」といわれた。

チーム内での人望も厚い。同い年で同期入団高木浩之は「こいつのために何とかしてやろうと言う気になる」、2008年日本シリーズMVPの岸孝之も入団時「目標は西口さん。いろいろ学びたい」と述べている。

昔メジャーについて聞かれて「飯がマズイから行かない(新人時代教育リーグに参加していた)」とコメント。

全盛期の頃は、上位を争っていたダイエーホークスの選手の殆どが次シーズンの抱負として、「来年は西口さんから打ちます」と言っていた。

飄々とした性格からか年俸にも拘らず、全盛期で2桁勝利しても900万しか年俸が上がらなかったこともある。

謙虚な性格で知られ、母校立正大学が西口のサイン色紙を所望したとき、自分だけでは不十分だと考えた西口は、なぜか松坂らチームメイトのサインも併せて送った逸話がある。

喫煙者でもあり、イニングの合間には必ずタバコを吸っていたらしいが、2003年に6勝に終わってからは禁煙している。本人の弁によると「禁煙はしていない。タバコを吸うのを止めただけ」とのことである。

東尾修によると、結婚前にはファッションに無頓着で、ルーキー時代は爪先が擦れて穴の空いた靴をパーティーに履いてきて東尾を驚かせたことがあるという。

通算打撃成績
23打数5安打3打点 打率.217
2008年まで交流戦では毎年安打を記録していた。

背番号
13(1995年 - )

タイトル・表彰
MVP:1回(1997年)
最多勝利:2回(1997年、1998年)
最多奪三振:2回(1997年、1998年)
最高勝率:1回(1997年)
ベストナイン:2回(1997年、1998年)
ゴールデングラブ:3回(1997年、1998年、2002年)
沢村賞:1回(1997年)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1997年)
最優秀バッテリー賞:3回(1996年、1997年、1998年)
※3回は投手の最多記録。捕手は全て伊東勤であり、同一バッテリーでは史上最多・史上最長の3年連続受賞
月間MVP:5回(1996年5月、1998年8月、2002年8月、2005年7月、2007年3月・4月)

個人記録

初記録
初登板:1995年8月16日、対福岡ダイエーホークス18回戦(福岡ドーム)、5回裏に救援登板
初奪三振:同上、5回裏に秋山幸二から
初先発・初勝利:1995年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(千葉マリンスタジアム)
初完投勝利・初完封勝利:1995年9月23日、 対福岡ダイエーホークス22回戦(福岡ドーム)
初セーブ:1996年4月23日、対オリックスブルーウェーブ4回戦(西武ライオンズ球場)
初ホールド:2009年5月29日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)
初安打・初打点:2005年5月6日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回表にトム・デイビーから中前2点適時打

節目の記録
1000投球回:2001年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム) ※史上289人目
1000奪三振:2002年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に初芝清から ※史上107人目
100勝:2002年10月9日、対オリックスブルーウェーブ27回戦(グリーンスタジアム神戸) ※史上118人目
1500投球回:2004年8月13日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(西武ドーム) ※史上153人目
1500奪三振:2006年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回表にフリオ・ズレータから ※史上46人目
150勝:2007年8月17日、対オリックス・バファローズ17回戦(グッドウィルドーム) ※史上46人目
2000投球回:2007年9月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(京セラドーム大阪) ※史上83人目

その他の記録
オールスターゲーム出場:4回(1996年、1997年、1999年、2005年)
開幕投手:5回(1997年、1998年、1999年、2006年、2007年)
完全試合(2005年8月27日・対東北楽天ゴールデンイーグルス戦、※参考記録)
7年連続2桁勝利(1996年~2002年)
7年連続防御率10傑入り(1996年~2002年、※史上8人目)
イニング4奪三振(1997年4月12日・千葉ロッテ戦、※日本記録)
8者連続奪三振(1996年9月22日・対近鉄バファローズ戦)
11年連続2桁奪三振試合達成(1996年~2006年、※パ・リーグ記録)
日本シリーズ5連敗(※日本記録)
西武ライオンズ史上最多勝:163勝(※2009年シーズン終了時点)



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