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平尾博嗣

平尾 博嗣(ひらお ひろし、1975年12月31日 - )
埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
本名及び2001年までの登録名は「平尾 博司」。 愛称は「チャラ尾」。



経歴
埼玉県立大宮東高等学校時代は高校屈指のスラッガーとして知られ、通算68本塁打を放った。1993年、春の選抜ではトップバッターに起用され、初戦で先頭打者本塁打を放ちチームに勢いをつけ、またセンス溢れる走塁でチームの準優勝に貢献した。

同年のドラフトで阪神から2位指名を受け、入団。超高校級の大型内野手との前評判を引っさげ、入団時に背番号2を与えられるなど、そのパンチ力や軽快な動きは非常に期待されていた。

阪神時代
1995年から出場機会を得、一軍初本塁打を記録した。1996年後半にはベテランの和田豊を三塁に追いやり、二塁手の座を星野おさむと争った。しかしこれ以降伸び悩み、代打や守備固めでの起用が主となり、成績も下降線をたどった。2000年今岡誠の不調でチャンスをつかみレギュラー候補として出場機会を増やしたが、打率.238に終わりレギュラー獲得はならなかった。

元来ヘルニアの持病を持つなど怪我が多かったことから、期待通りの活躍が出来なかった。2001年途中、後に同僚となる谷中真二との交換トレードで西武ライオンズへ移籍した。

西武・埼玉西武時代
移籍直後の6月20日の西武ドームでの対近鉄戦で、セカンドを守っていた平尾はファールフライを追いかけて内野とブルペンを隔てるフェンスに激突、右足脛骨と腓骨を骨折した。その後1年以上をリハビリに費やした。

2002年、キャンプイン直前に改名。シーズン終盤にケガから復帰すると、打率.277の好成績を記録。スコット・マクレーンやトム・エバンスといった外国人から三塁手のレギュラーを奪う活躍を見せた。日本シリーズでも3試合にスタメン出場した。

2003年は、高木浩之と二塁手のレギュラーを争い、代打や守備固めもこなした。内野の全ポジションと指名打者で出場し、打順も3・6・7・8・9番を打つなど多様な活躍でチームに貢献した。打率.285、自己最多の7本塁打を記録した。

2004年、ニューヨーク・メッツに移籍した松井稼頭央(現:ヒューストン・アストロズ)の抜けた穴を埋める活躍が期待された。中島裕之が遊撃手に定着したため遊撃手での出場はなかったものの、三塁手として安定した活躍をし、規定打席未満ながら自身初の3割を記録した。出塁率は4割を超えた。

2005年、右ひじの故障で18試合の出場に留まり、放った安打はわずか10本に終わる不本意なシーズンとなった。しかしシーズン最終試合で本塁打を記録し、来年への復活を期待させる一打となった。

2006年、2年目の片岡易之が二塁手のレギュラーを獲得し出場機会が減ってしまう苦しいシーズンとなったが、その粘り強いバッティングは健在で、得点圏打率は通常の打率をはるかに超える.290をマークした。左投手に強く、左投手が先発したときには江藤智とともにスタメン出場するのが恒例となった。プレーオフ第一ステージで左投手のソフトバンクの和田毅が先発したときも二人揃って起用された。毎年のように故障で二軍落ちを経験していたが、このシーズンは年間を通じて一軍登録され、自己最多の出場機会を得た。

2007年は、中村の不振や片岡のケガで出場機会が増え、10試合連続スタメン出場などまずまずの結果を残していたものの、2試合連続で犯したエラーが伊東勤監督の顰蹙を買い二軍落ちした(しかし守備でミスを連発するアレックス・カブレラについては何のコメントもなく、チームメイトやファンに不可解な印象を与えた。皮肉にもそのカブレラを指名打者で起用してから連敗が止まった)。ファームでは打率.387、長打率も6割を越えるなど力の差を見せつけたが、監督との確執からか一軍に呼ばれることはなかった。5年ぶりに本塁打なしに終わった。

2008年、中村の大ブレイクによりスタメン出場は限られたが、代打や守備要員としてフルシーズン一軍に定着した。若手中心のチームにあって、その貢献度は数字以上といって過言ではない。8月16日には代打サヨナラホームランを記録。得点圏打率も3割を越えた。また巨人との日本シリーズでは第5戦に巨人の守護神マーク・クルーンから本塁打を放つと、第6戦ではチームの全打点を挙げる活躍を見せ、第7戦で8回表に決勝のタイムリーヒットを放ち、最終的に本塁打2本を含む打率5割を超える活躍を挙げるなどチームの4年ぶりの日本一に大きく貢献し、日本シリーズ優秀選手賞を獲得した。この年フリーエージェント資格を獲得したが、行使せず残留することとなった。

2009年、主に左投手先発時にスタメン起用された。地元県営大宮球場での対中日戦では浅尾から代打本塁打を放つなど、交流戦終了までにキャリア2位タイとなる5本塁打を記録するなど好調を維持したが、後々スランプに陥る。 胃腸炎による体調不良が追い討ちをかけ2軍落ち。昇格後も内野安打1本しか放つことが出来ず、打率2割ジャストという成績不振に。再降格。 2軍ではまずまずの成績だったものの、若手を起用するチーム方針から、シーズン終了までを2軍で過ごした。

人物
高校時代は本塁打を連発するスラッガーだったが、プロ入り後は守備や右打ちなどの小技で力を発揮している。内野のすべてのポジションを守れる貴重なユーティリティプレーヤーである。

性格はとても明るく、地元である西武に移籍してからもその明るさからチーム内ではムードメーカー的な役割を担っている。週1回は欠かさず日焼けサロンに通っていることに加えて、茶髪でおちゃらけた姿から、後輩と一部のファン、また一部マスコミでは「チャラ尾」の愛称で親しまれている。渡辺監督らからは「博嗣」と呼ばれている。

プロ入り後はケガが多く、腰痛など度重なる故障に悩まされ、なかなか1シーズンをフルに働けないが(2005年は右肘の故障でわずか18試合の出場)、それを補って余りある勝負強さを持っている。日本シリーズでは2004年の第7戦と2008年の第5戦・第6戦に本塁打、さらに第7戦では決勝打を放つ活躍を見せ、西武を日本一に導いた。

上記の監督との確執により一軍に上がれないことを覚悟していたのか、2007年11月23日に行われたファン感謝祭では「(二軍に落とされた)6月11日から今日のために準備していました!」と非常に興奮した様子で当日に賭ける想いを吐露していた。

その感謝祭では志村けんばりの股間から頭をのばしたスワンの衣装に身を包み、ソフトボールにおいてスワンの頭でベースにタッチして退場になったりバット代わりにしてボールを打とうとしたりとはしゃいでいた。

阪神タイガースから西武ライオンズにトレードが発表されたときは、大好きな阪神から離れることになったため、会見で涙を流していた。

平尾の西武時代の2006年から使用された応援歌は、演歌調のメロディーに「はぁ~平尾博嗣だよ~」など変わった歌詞を載せる独特のものである。今までにないといってもいいほどの曲調と歌詞であったため、掲示板などでも賛否両論的な議論が展開されたこともある。その後は応援歌のひとつとして定着して名物化していたが、2008年7月19日より新しい応援歌に変更された。

サッカー好きだという(本人も「野球を始めたのは学校にサッカー部がなかったから」と公言している)。そのため登場曲にサッカー関係のものを用いることが多い。また、球界きっての浦和サポーターとしても知られ、前述のフリーエージェント資格取得に関する記者会見の際には「せっかく取った権利なので浦和レッズに移籍することにしました」と発言し報道陣を笑わせた。

石井義人や小野寺力、大島裕行と同じく地元・埼玉出身の選手であるため、ファンには非常に人気が高い。

大宮アルディージャの斉藤雅人は、中学時代(浦和市立東浦和中学校、現:さいたま市立東浦和中学校)の同級生である(ただし、斉藤は3年生の時に東浦和中の過密解消のため開校した浦和市立尾間木中学校(現:さいたま市立尾間木中学校)に「転校」している)。また、元大宮アルディージャの桜井直人は高校時代の同級生である。

2008年の優勝祝賀会でミズノ社の競泳の水着姿でビール掛けに参加。胸にはオリンピックで話題になった、「レーザーレーサー」と書かれたゼッケンを付けていた。選手会長の赤田将吾がスタートの合図する前に、フライング気味に球団社長にビールを掛けていた。またこの時の取材に対し、北京オリンピックの金メダリスト北島康介を真似て「何も言えねぇ」と答えていた。なお、日本シリーズの祝勝会ではミズノのロゴを書いた北京オリンピック柔道の金メダリスト石井慧選手のコスプレ、背中に「MVPは俺だ」と書いて登場し、会場を賑わせた。

チームメイトを日焼けサロン通いに勧誘をしているが、現時点で日焼けサロンの愛好メンバーは大島裕行だけである。

背番号
2(1994年 - 1999年)
00(2000年 - 2001年)
15(2001年)
23(2002年)
8(2003年 - )

タイトル・表彰・記録
日本シリーズ優秀賞:1回(2008年)
初出場:1995年4月11日、対広島東洋カープ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に代打で出場
初打席・初安打:同上、9回裏に大野豊から
初打点:1995年5月6日、対広島東洋カープ5回戦(広島市民球場)、6回裏にロビンソン・チェコから
初本塁打:1995年8月3日、対ヤクルトスワローズ21回戦(阪神甲子園球場) 8回裏石井一久から
初盗塁:1996年5月11日、対読売ジャイアンツ7回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に二盗



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