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高波文一

高波 文一(たかなみ ふみかず、1975年11月3日 - )
プロ野球選手(外野手)。


来歴

プロ入り前
小学3年の時に野球(ソフトボール)を始め、中学から本格的に軟式野球を始めた。
九州の強豪校である熊本工業高等学校に進学。それまでは遊撃手だったが、2年時から、足が速く肩が強かったため外野へコンバート。2年から4番をまかされ、1992年夏の甲子園に出場。一回戦で創価に勝利したが、二回戦で県立岐阜商業に敗れた。高校通算打率.513、29本塁打の記録を残した。
1993年秋に行なわれたドラフト会議で、阪神タイガースから3位指名を受けて入団。

阪神時代
入団1年目からウエスタン・リーグの一番打者として92試合に出場し、レギュラーを獲得。入団2年目の1995年5月20日の広島戦(甲子園)で9回に登場しプロ初出場を果たすと、8月にはプロ初安打・初本塁打・初打点を記録した。俊足選手の少ない阪神で代走の切り札に定着していった。1997年、背番号を4に変更。阪神タイガース時代で一番多い85試合に出場した。しかし翌年の1998年は一軍出場がゼロに終わった。
1999年に就任した野村克也監督により、田中秀太内野手とともに一軍に抜擢され、70試合に出場した。しかし打撃力が弱く(打率一割台)、代走守備要員に落ち着いた。またこの年スイッチヒッターに挑戦し、左打席でセンター前ヒットを放った。
2001年、野村監督は積極的に俊足選手を補強し、高波ら7名でF1セブンを結成した。しかし、結果的に同タイプの選手が多く集まったため、盗塁失敗などが多く打撃成績の悪い高波はファームに甘んじることが多くなった。この年、背番号を入団当時の65に戻した。2003年は中村豊外野手の加入などで出場機会を失い、2000年に阪神の守備走塁コーチをしていた伊原春樹(2002年から西武監督)に請われて、5月8日に金銭トレードで西武ライオンズに移籍した。

西武時代
2003年、2005年には準レギュラー級外野手として活躍。2003年6月15日のロッテ戦(千葉)では初のお立ち台に上がった。全盛期の新庄剛志と比べても遜色のない強肩と卓越した運動能力を持っていたが、打撃力の弱さは相変わらずで、2006年、広島から移籍した福地寿樹に押しのけられる形となり、レギュラーシーズン終了後に戦力外通告を受けた。
12球団合同トライアウトを受けるも声はかからず、野球をあきらめサラリーマンになろうとしていたが、2007年1月下旬に楽天から「3日間テストをする。受けてみないか?」と打診があり、久米島での春季キャンプにテスト生として参加。野村監督からの強い要望もあり、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団が決定した。

楽天時代
2007年5月29日に、ここまで代走要員として出場していた森谷昭仁と入れ替わる形で一軍登録され、主に代走・守備固めとして起用された。その活躍は野村監督から「代走のスペシャリストだ」と言われた程で、閉幕まで一軍登録されチームの4位浮上に大きく貢献した。
楽天での初安打は、8月5日のソフトバンク戦(宮城)。礒部公一と鉄平がケガのためにスタメンをはずれたため、9番センターとして移籍後初スタメン出場し、杉内俊哉からヒットを放った。
2008年4月17日のロッテ戦に途中出場した際に、小宮山悟からタイムリーツーベースを放ち、3年ぶりの打点をあげる。5月17日の西武戦では、1点を追う9回裏に、相手の守護神のアレックス・グラマンから、ツーベースを放ち、ヒラム・ボカチカのエラーで三塁まで進み、その後、渡辺直人のスクイズで生還するなど、去年以上に活躍するが、聖沢諒や中村真人の台頭により、後半は出場機会が激減し、10月1日、球団から2度目の戦力外通告を受けた。トライアウトには参加しなかったが、オリックス・バファローズが獲得を表明した。
2008年5月18日、プロ入り15年目で初のFA権を取得。野手で1シーズンに100試合以上に出場した経験が無いままFA権を取得した例としては、万永貴司(元横浜)や上田浩明(元西武)などがある。ちなみに、阪神の同期入団である平尾博嗣(現西武)も、同じく2008年にシーズン100試合出場を経験しないままFA権を取得している。

オリックス時代
2008年12月8日、日本ハムを戦力外になっていた金澤健人投手と共に獲得したと球団から正式に発表され、12月15日に正式契約した。背番号は60に決まった。
主に守備固め、代走での出場が多かった。
2009年10月3日、2年連続となる戦力外通告を受けた。
2009年11月4日にソフトバンクを戦力外になった西山道隆と共に福岡ソフトバンクホークスのファームスタッフに就任すると発表した

人物・エピソード
妻はモデル、ダンサーとして活躍した中野早杜子。
彼も含め3人いる兄弟全てが熊本工業高校で甲子園本大会出場を経験している(高波は長男。次男はマネージャーとしてベンチ入り。三男の大はその後国士舘大学を経て現在JR九州所属)。
1997年9月11日の広島戦で、阪神の葛西稔が緒方孝市に逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれたが、その試合の9回表に横山竜士から中押しのソロ本塁打をライトスタンドに叩き込んだ。これ以降、現在に至るまで一軍で本塁打を記録していない。
1999年のある試合で、チームメイトの投手福原が自ら安打で出塁し、代走に高波が送られるという珍しい場面があったが、この時高波は盗塁に失敗してしまった。
ホセ・フェルナンデスとは西武ライオンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、オリックス・バファローズの3球団でチームメイトとして一緒にプレーしていた。

記録
初出場:1995年5月20日、広島東洋カープ8回戦(阪神甲子園球場)、9回表に左翼手として出場
初盗塁:1995年5月27日、横浜ベイスターズ6回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に二盗
初打席:1995年6月13日巨人戦(甲子園) 7回阿波野の前に三振
初安打:1995年8月16日、ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、11回表に高津臣吾から
初本塁打・初打点:1995年8月19日、横浜ベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)、7回表に 島田直也から

背番号
65(1994年 - 1996年)
4(1997年 - 2000年)
65(2001年 - 2003年途)
0(2003年途 - 2006年)
62(2007年 - 2008年)
60(2009年)

登場曲
『Pump It』ブラック・アイド・ピーズ(2007年 - )

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