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川越英隆

川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )
プロ野球選手(投手)。
故障やチームの低迷もあって勝ち星は伸びていないが、オリックス・バファローズ誕生以後、3年連続(2005年~2007年)で開幕投手を任されたエースである。


プレイスタイル
身長174cmと、投手としては小柄な体格ながら最速150km/h、平均140km/h台後半の直球に、スライダー、カット・ファスト・ボール、カーブ、フォークボール、シュート、シンカー等を投げる。その豊富な球種からシーズンやその日の調子、対戦相手、バッテリーを組む捕手によって投球スタイルが大きく変わる。

投球フォームは二段モーションが規制されるまではセットポジションからの二段モーションで投げることが多かったが、その後は通常のセットポジションとワインドアップで何度か変更を重ね、ワインドアップに落ち着いた。

経歴

プロ入り前
神奈川県相模原市出身。相模原市立桜台小学校、相模原市立相模台中学校を卒業後、福島県の学校法人石川高等学校に野球留学。3年時には第63回選抜高等学校野球大会、第73回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場、共に2回戦敗退。

高校卒業後は青山学院大学に進学し、大学通算2勝。1年後輩には澤崎俊和、倉野信次、井口資仁、清水将海らがいた。その後社会人野球の日産自動車に入社。第69回都市対抗野球大会では決勝で後にプロでチームメイトとなる後藤光尊が居た川崎製鉄千葉を下して優勝し、最優秀選手に贈られる橋戸賞を獲得。

1998年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブから2位指名を受け入団。

プロ入り後
1999年は新人ながら先発ローテーションに入り、オールスターに監督推薦で選出され、11勝、8完投の好成績を挙げた。高卒の松坂大輔が16勝を挙げたため新人王は逃したものの、防御率2点台の安定感で一躍エース候補と言われた。常にストライク先行で四球が少ない投球が目立ち、シドニーオリンピック予選にも選出された。

2000年は8勝を挙げるも右肘の故障により途中離脱してシーズン後に手術。翌2001年は故障明けということもあり、14試合登板、1勝5敗の成績に終わった。

2002年には先発・リリーフで34試合に登板し、故障からは復帰したが、5月5日の大阪近鉄バファローズ戦での勝利を最後に、プロ野球史上7人目の12連敗を喫するなど記録的な低迷に終わる。翌2003年もほとんど登板できず、0勝3敗で連敗記録は15に伸びた。

2004年、シーズン当初より先発ローテーションで起用されるも不調は続き、4月16日の近鉄戦では降板後、試合中にも関わらず伊原春樹監督にベンチ内で説教を受け、相手ベンチもこれを見てあ然としていた。これに奮起したか、4月24日の千葉ロッテマリーンズ戦で川越同様に3年間勝ち星のなかった黒木知宏に投げ勝ち、720日ぶりの勝利を挙げた。最終的にチームは最下位に終わるも、7勝9敗の成績で復活を果たした。シーズン後、近鉄との合併に伴い新チームの初代選手会長に就任。

2005年から背番号を11に変更し、同年は開幕投手を務め、6勝ながら5年ぶりの防御率3点台と結果を残した。

2006年も開幕投手を務めたが、右肘の炎症で一時離脱した。復帰後は安定した投球で9勝を挙げたものの、打線の援護に恵まれなかった面もあり6月と8月に1勝もできず、7年ぶりの2桁勝利はならなかった。

2007年は球団史上星野伸之以来となる3年連続開幕投手。コリンズ新監督の下でエースとして期待されるも4勝に留まり、防御率5.22、リーグワーストの20被本塁打と成績は低迷した。しかし、5月9日のロッテ戦では、チームの連敗を10で阻止するなど、開幕当初はローテーションが期待されていたダン・セラフィニ、吉井理人らがシーズン途中に退団する中で平野佳寿、トム・デイビーらと共に1年間ローテーションを守り抜いた。

2008年開幕当初は先発として投げていたが前年同様不調に陥り、4月25日の埼玉西武ライオンズ戦を最後に中継ぎに転向。中継ぎとして好投を続け、チーム2位の13ホールドをあげてリリーフ陣を支えた。オフにはFA移籍も匂わせていたが、球団の慰留により結局行使せず残留。

2009年投手陣最年長・中継ぎの柱としての活躍が期待されたが、オープン戦から不調に陥り、シーズン初登板のソフトバンク戦で本多雄一にサヨナラ打を打たれる幸先の悪いスタートを切ってしまった。その後も一軍と二軍を行ったり来たりで、目立った成績を残すことが出来ず、10月3日に戦力外通告を受けた[1]。そして本拠地最終戦の10月8日の日ハム戦に9回2死から登板し、青学時代の同期である坪井智哉を三振に切って取った。試合後のマイクインタビューでは完全燃焼するまで現役続行することを表明し、最後はチームメイトによる胴上げでオリックス一筋11年の幕を閉じることとなった。


個人記録
初登板・初先発:1999年4月6日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)
初勝利・初先発勝利:1999年4月30日、対日本ハムファイターズ4回戦(グリーンスタジアム神戸)
初奪三振:1999年4月11日、対西武ライオンズ2回戦(ナゴヤドーム)、2回表にアーキー・シアンフロッコから
初完投勝利:1999年5月22日、対福岡ダイエーホークス7回戦(福岡ドーム)
初完封勝利:1999年5月28日、対日本ハムファイターズ7回戦(グリーンスタジアム神戸)
1000投球回数:2007年7月3日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に根元俊一を三振に打ち取り達成

背番号
20(1999年 - 2004年)
11(2005年 - 2009年)

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