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東出輝裕

東出 輝裕(ひがしで あきひろ、1980年8月21日 - )
広島東洋カープ所属のプロ野球選手。



経歴
福井県鯖江市出身。敦賀気比高校2年時に第79回全国高等学校野球選手権大会でベスト8、初戦の堀越高校戦で四球で出塁すると二盗・三盗を立て続けに決めて決勝点のきっかけを作るなど当時から俊足ぶりを発揮していた。

3年時は第70回選抜高等学校野球大会と第80回全国高等学校野球選手権大会の甲子園にそれぞれ投手兼内野手として春夏連続出場。投手で1番打者でキャプテンの役割を演じたこともあるが、選抜はPL学園、夏は桜美林に惜敗した。甲子園での東出の活躍を見た小関順二は当時の著書で「天才」と評した。

第3回アジアAAA選手権大会での日本代表に選出、遊撃手として大会ベストナインを獲得。高校通算打率.464、34本塁打、50m走5秒7、遠投115m。1998年のドラフト1位で広島東洋カープに1位指名で入団。

プロ入り後
1999年、高卒新人として1年目から出場を果たし、主にセカンドを守った。 プロ初打席は完全に詰まった内野ゴロであったにも関わらず、内野安打となった。翌2000年は背番号を2に変更、ショートにコンバートされた。セカンドのレギュラー候補だったエディ・ディアスが公式戦直前に負傷で戦線離脱し、代わりにセカンドに入った木村拓也と共に1、2番でスタメンに名を連ねた。守備面では、112試合に出場、リーグ最多の25失策を記録ながら、217刺殺・356補殺、レンジファクターは5.0を超えた。

2001年月間リーグ最多盗塁(8個)でJA全農セ・リーグGOGO賞(好走塁賞)を受賞。球団記録となるシーズン49犠打を記録。全試合に出場し、打率2割6分2厘、5本塁打、35打点に加え、盗塁も自己最高の26個をマーク。リーグ最多の5三塁打も記録して、主に2番打者に座る。守備面では27失策で2年続けてリーグ最多を記録。一方で補殺数は宮本慎也(425)・石井琢朗(417)に次ぐ411を記録。第34回IBAFワールドカップ日本代表に選出され、予選・本選を通じて日本チームトップの10打点を記録、守備でもほとんど経験の無い三塁手を守りベストナインを獲得した。しかし決勝進出をかけた対キューバ戦では、1点リードの投手戦で同点タイムリーエラーを犯した。

2002年、エディ・ディアスがセカンドに入り、東出はショートで開幕スタートするが、右大腿二頭筋肉離れにより5月26日から7月7日まで2ヶ月間近く戦線を離脱。故障の影響もあり成績は振るわなかった。この年はチームメイトでサードの新井貴浩と最多失策を争っていたが、上記の離脱で出場機会が減ったため、最多失策は新井となり、3年連続での最多失策は免れた。

2003年、再びセカンドへコンバートされるも、47試合の出場にとどまる。2005年チーム事情から一時期ショートを守ったが、オリックスから菊地原毅とのトレードで移籍してきた山崎浩司がショート、木村拓也がセカンドに定着。自身はセカンドや外野の守備固めなどで出場した。7月17日の甲子園での阪神戦では、好投を続けていた安藤優也から延長10回決勝ホームランを放った(これが2009年シーズン終了時点で最新の本塁打である)。

2006年、ブラウン新監督が就任し、ショートは前年守った山崎、セカンドは新人の梵英心という二遊間で開幕を迎える。しかし、山崎が打撃不振の一方、開幕戦に入って東出が途中出場などで活躍。4月後半に梵がショートに回り、東出がセカンドに復帰。7月には監督推薦でオールスターゲーム出場を果たした。4年ぶりに規定打席に到達して打率はシーズンを通じて2割8分台を維持、自身初のサヨナラヒットも打ったが二塁打と本塁打は規定打席到達している打者の中で両リーグ最少(二塁打は田中賢介とタイ、本塁打は赤星憲広とタイ)。また盗塁成功率が低かった(成功11・失敗18)。守備面では、セカンドとして122試合に出場してリーグトップの277刺殺・421補殺に加えて8失策で守備率.989でリーグ2位。レンジファクターは6.0近かった。[要出典]敦賀気比高時代の同級生と結婚したことを発表。

2007年打撃面では前年を下回る成績となり、スタメン、打順とも固定できない試合が増えたが、132試合に出場した。守備面では、二塁手での出場は124試合でリーグトップの419補殺、同2位の294刺殺で失策は7、守備率.990でリーグ2位。レンジファクターはこの年の規定イニングを越える二塁手としてリーグトップの6.37だった。盗塁死は前年の18から4に減少。三振数55は前田智徳の31に次ぐチーム2位の少なさで、三振率も前田に次いで下から2位。併殺打3は規定打席到達の打者では高橋由伸(巨人)、赤星憲広(阪神)、アーロン・ガイエル(ヤクルト)らと並びリーグ最少、二塁打、三塁打、本塁打、長打率、打点はリーグ最少だった(規定打席以上では二塁打は相川亮二・赤星憲広とタイ、三塁打は9人が0本でタイ、本塁打は赤星憲広とタイ、パでは村松有人も規定打席に達して本塁打0だった)。赤星憲広とともに、二年連続で規定打席に到達して本塁打がなかった。(史上8・9人目で9・10度目)。オフに将来は現役引退後、母校の指導者となることを希望しており教職資格を取るために早稲田大学進学が報道された。

2008年、シーズン当初は控えや下位の打順を打つ事が多かったが、徐々に結果を出してからは1、2番に固定され、打率.360前後の成績をキープし、オールスターゲームに初めてファン投票によって選出された。138試合に出場し、初の3割到達となる打率.310を記録。併殺打は前年の3よりもさらに少ない1で、2年連続でリーグ最少だった。終盤戦に負った指の負傷の影響もあり、久々の2桁となる12失策を記録したが、守備面でも年間通じて安定。内野手最多得票となる141票にて二塁手のベストナインに選ばれる。なお、赤星とともに本塁打はこの年も0本に終わり、規定打席に到達しての3年連続本塁打ゼロは、1991~1993年の和田豊以来のことであった。

同年途中に球団史上最年少の28歳でフリーエージェント権を初取得した。去就が注目されたが球団と協議を重ね11月11日にFA権を行使せずに広島残留を表明。4年契約を結ぶとともに、単年年俸で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。会見では「カープで日本シリーズに出場したい」「必要とされる限りはカープに残りたい」とチームに対する愛着を語った。

2009年、5月16日に2年ぶりに外野守備(1番ライトで先発出場)についたが、守備機会は無かった。ファン投票で荒木雅博に2倍近い大差をつけて2年連続のオールスター出場を果たし、地元広島で行われた2戦目にはチームから5人がスタメン出場した。シーズンでは、チームが極端な打撃不振に陥る中、ただ一人年間通して安定した調子を保ち、142試合に出場してチームトップの打率.294を記録。三振数は規定打席到達者中最少のわずか39個だった。二塁手としてリーグ最多の14失策だったが、チームトップの14盗塁を記録した。また、4年連続で本塁打は0で、赤星が負傷により規定打席に届かなかったため、単独でのプロ野球新記録となった。

背番号
46 (1999年)
2 (2000年 - )

タイトル・表彰
ベストナイン(二塁手):1回(2008年)
オールスターゲーム出場2回(2006年、2008年)

個人記録
初出場:1999年5月11日、対読売ジャイアンツ6回戦(広島市民球場)
2番・二塁手として先発出場
初安打:同上、3回裏に入来祐作から二塁内野安打
初盗塁:1999年6月25日、対読売ジャイアンツ11回戦(広島市民球場)
1回裏に二盗(投手:バルビーノ・ガルベス、捕手:村田真一)
初打点:同上、6回裏にガルベスから中前適時打
初本塁打:2000年4月8日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)
3回裏にグレッグ・ハンセルから
1000試合出場:2008年9月20日、対中日ドラゴンズ23回戦(広島市民球場)
2番・二塁手として先発出場 ※史上429人目
1000本安打:2009年9月9日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(明治神宮野球場)
4回表に石川雅規から左前安打 ※史上254人目





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