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山崎武司

山崎 武司(やまさき たけし、1968年11月7日 - )
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。
1999年5月21日より、登録名を『山崎 武司』から『山 武司』へ改めた(後述)。 愛称は「キン肉マン」「ジャーマン」など。


球歴
プロ入り前
愛知工業大学名電高等学校(1983年に名古屋電気高等学校から改称)では甲子園出場経験はなかったものの、通算56本塁打を放つ。1986年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け、捕手として入団する。


中日時代前半(ナゴヤ球場時代)
1987年の入団直後ロサンゼルス・ドジャース傘下のチームへ野球留学し、三塁手としてプレーしていたが帰国後捕手に戻る。この年と翌1988年は一軍出場なし。

1989年9月7日の対広島東洋カープ19回戦(広島)において、9回表代打として一軍初出場。9月10日の対ヤクルト19回戦(ナゴヤ)9回裏、内藤尚行からプロ初安打となるレフト前ヒットを放つ。10月15日の対広島26回戦(広島)で先発捕手として出場するが、盗塁王を狙う正田耕三に5盗塁を許す(正田はこの試合さらに中村武志捕手から1つ盗塁を決めて1試合6盗塁のプロ野球タイ記録を樹立)。この後外野手に転向する。この年と翌1990年、二軍でウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得する。

1991年5月9日の対横浜大洋ホエールズ5回戦(横浜)において、5回表に田辺学よりプロ入り初本塁打を放つ。

1994年、落合博満がFAで読売ジャイアンツへ移籍する。大豊泰昭が一塁手へ転向したことで外野ポジションに空きができたが、彦野利勝の復活などもあって前年より出場数を減らす。

1995年、先発左翼手としての出場が増え16本塁打を放つ。外野の定位置をつかみ始める。

1996年、広島との開幕戦の初打席にて大野豊から本塁打を放つ。6月19日の対巨人10回戦(ナゴヤ)において、8回裏に槙原寛己から5番・音重鎮、6番・山崎、7番・大豊泰昭が3者連続本塁打を放つ。6月に打率.403、13本塁打、33打点を記録し、月間MVPに選ばれる。シーズン前半は打率、本塁打、打点の三部門でトップとなり、オールスターゲームにも監督推薦で出場する。 松井秀喜(当時・巨人/現・ニューヨーク・ヤンキース)、大豊とタイトルを争った本塁打部門では、39本の山崎が38本の松井と大豊を抑え本塁打王を獲得した。なお中日・巨人ともに最終戦となった10月8日の対巨人26回戦(東京ドーム)において、中日投手陣は松井に全打席四球を与えている。 この年は最高長打率(.625)を記録しベストナインにも選ばれた。また三部門において松井を上回っていたが、巨人が優勝したためシーズン最優秀選手には松井が選ばれている。 このシーズンの活躍により、地元出身のスター選手としての地位を確立した。

中日時代後半(ナゴヤドーム時代)
1997年は中日の本拠地がナゴヤ球場から外野が広いナゴヤドームへ移り、守備の負担が増えたことなどから打撃成績を大幅に落とす。チームも最下位に沈む。

1998年、トレードで阪神タイガースへ移籍した大豊に代わり、主に一塁手としてプレーする。8月18日の対ヤクルト18回戦(神宮)において、2回表にマーク・エーカーから史上198人目となる通算100号本塁打を放つ。27本塁打は巨人の松井、広島の江藤智(現・埼玉西武ライオンズ)に次ぐセ・リーグ3位。最多勝利打点(16)で表彰され最優秀JCB・MEP賞を受賞する。11月1日のセ・リーグ東西対抗戦(宮崎市営)において3ラン本塁打を放ち、最優秀選手賞を受賞する。

1999年5月9日の対広島9回戦(広島)において、5回、6回、8回に3打席連続本塁打を放つ。9月26日、対阪神26回戦(ナゴヤドーム)において、劇的な逆転サヨナラ3ランを放った。この時の派手なガッツポーズは、ファンの間では語り草となっている。9月30日、11年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた対ヤクルト26回戦(神宮)で一塁守備中、打者走者の真中満と交錯して左手首を骨折。このため福岡ダイエーホークスとの日本シリーズに出場することができず、チームも1勝4敗で日本一を逃した。

2000年7月12日の対阪神15回戦(ナゴヤドーム)において、7回裏に史上114人目となる通算150号本塁打を吉田豊彦より放つ。7月23日、監督推薦で出場したオールスターゲーム第2戦(神戸)において4打数3安打2打点と活躍しMVPを受賞する。シーズンでは1996年の.322に次ぐ打率.311を記録するが、契約更改で18本塁打が少な過ぎると指摘される。

2001年10月6日の対広島28回戦(広島)において、史上376人目となる通算1000試合出場を記録する。この年、チーム最多の25本塁打を放ったが、契約更改で今度は打率.238、51打点が低過ぎると指摘される。この評価に納得がいかずFA宣言し、一時は金銭面で好条件を提示した横浜ベイスターズ移籍へ傾くが、最終的には中日と3年契約を結び残留。

2002年、ヘッドコーチの山田久志が監督に就任する。オープン戦から不調で、4月末に二軍へ降格させられる。二軍戦でも不調が続いたが、レオ・ゴメスの故障により7月初旬から一軍復帰。7月26日の対阪神15回戦(甲子園)において、同点で迎えた9回表一死満塁のチャンスで空振り三振。チームもその裏に蔵本英智のエラーでサヨナラ負けする。試合後、山田は「どこかでブツっと切ってしまう。なんかお通夜みたいなもんだ。さらにアイツを使うオレが悪いんだけど。チームを奈落の底につき落としてしまう選手がいる。何とかしてくれたらいいんだけど」と発言する。この発言が山崎を指したものか不明であったが、山崎は「(悪いのは)蔵本じゃない。今日はオレだ。オレが打っていれば、ミスもなかった」と話した。この後はほとんど出場機会がなく、シーズン終了後平井正史との交換トレードでオリックスに移籍する。


オリックス時代
2003年8月19日の対ダイエー22回戦(福岡)において、2回表に史上77人目となる通算200号本塁打を倉野信次から放つ。この年、規定打席不足ながらチームの日本人選手の中では最多の22本塁打を放つ。

2004年4月27日からの西武との3連戦(ナゴヤドーム)、新監督の伊原はご当地選手として先発出場を公約。初日は指名打者として先発出場し3打数2安打と活躍したが、この試合中に負傷した谷佳知が翌28日に指名打者として先発出場する。山崎は関係者も多数招待していた試合での先発落ちにショックを受け試合開始前に帰宅。これが「職場放棄」と見なされ、翌日に懲罰的な意味で二軍へ降格させられる(この「ボイコット事件」について山崎本人は、試合に出られる心理状態ではないという伊原監督の判断の下、許可があったために帰宅したと述べている[1])。これ以降二軍落ちを何度も経験し9月には球団から戦力外通告を受けたため引退も考えたが、高校の先輩である工藤公康(巨人=当時)の説得などもあり現役続行を決意。12月11日、新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスと契約する。

東北楽天時代
2005年3月26日、球団史上初の公式戦である千葉ロッテマリーンズとの開幕戦(千葉)では「5番・指名打者」で先発出場。開幕直後に右手に死球を受けて二軍で治療に専念するなどシーズン当初はあまり活躍できなかったが、この年から始まったセ・パ交流戦に入ると調子を上げ、5月7日の対巨人2回戦(仙台)では9回裏に前田幸長から球団史上初の代打本塁打を、6月初めには4試合連続の5本塁打を放つ。交流戦後は「4番・指名打者」として定着する。7月2日の対日本ハム6回戦(フルスタ宮城)において、3回裏に江尻慎太郎より史上234人目、通算1000本安打となるレフト前ヒットを放つ。プロ19年目での達成は稀有のスロー記録。この年の25本塁打はチーム最多。

2006年、新監督・野村克也からチームの主軸として、またチームリーダーとして期待される。6月17日の対巨人戦(東京ドーム)において工藤から2打席連続本塁打を、7月29日には楽天初となる逆転満塁ホームランを放つ。8月5日には史上49人目となる通算250本塁打を達成。「開幕から1つの小さな目標としてきたので、達成できて嬉しいです」と喜びを語った。しかし最終成績は前年を下回った。

2007年、開幕から不調が続いたが5月から一気に調子が上がる。5月の成績は打率.342、12本塁打、27打点でチーム初であり、1996年6月以来10年11か月ぶりとなる月間MVPを獲得。この期間は史上最長でもある。また、両リーグでの月間MVP受賞は史上13人目。6月14日、史上152人目となる通算1,500試合出場を達成する。指名打者として選出されたガリバーオールスターゲームの第1戦(東京ドーム)では代打で出場し、マーク・クルーンから天井直撃のサードファウルフライを打ち上げた。第2戦(フルスタ宮城)では第1打席に先制の2ランホームラン、第2打席でも二塁打を放ち、優秀選手賞とガリバー賞に選ばれ、賞品としてポルシェ・カイエンを獲得した。8月27日にはこの日誕生日を迎えた娘の前で39号・40号を放つ。9月15日には11年ぶりとなる100打点を記録。最終的に43本108打点の自己最高記録でタフィ・ローズを上回りタイトルを獲得、ベストナイン指名打者部門にも選出された。打点王は初、本塁打王・ベストナインは11年ぶりとなる。この年、前半戦の本塁打量産時はフェルナンデスの不振もあって4番に座ることが多かった。21年目での40本塁打・100打点・本塁打王・打点王は史上初。なお山崎は一軍の試合に出場していない年が2年あり、実働19年目での40本塁打・本塁打王は王貞治、門田博光に並び、100打点・打点王は王、衣笠祥雄の20年目に次ぐ記録である。なお、両リーグでの本塁打王の獲得は落合博満、タフィ・ローズに次ぐ3人目。

2008年4月3日の千葉ロッテ戦において久保康友から史上32人目となる通算300号本塁打を放つ。3・4月は打率.374、7本塁打21打点で月間MVPに選出される。その後調子を落としたものの、オールスターゲームには同年より導入された選手間投票の指名打者部門で選出される。7月31日の第1戦(大阪)において、9回裏久保田智之からサヨナラヒットを放ちMVPに選ばれた。なお、セ・パ両リーグでのオールスターMVPは史上4人目である。同年限りでの福岡ソフトバンクホークス監督退任を発表した王貞治のラストゲームとなった10月7日のシーズン最終戦(クリネックススタジアム宮城)では、延長12回にサヨナラヒットを放った。最終成績は打率.276、26本塁打、80打点で本塁打数はチームトップであった。

2009年6月14日の横浜戦で三浦大輔から本塁打を放ち、プロ入り23年目の本塁打数を二桁に乗せると同試合で松家卓弘からも本塁打を放ち、史上5人目となるセ・パ両リーグ150号本塁打を達成。同年7月8日には荻野忠寛から史上102人目の通算1500本安打となるホームランを放った。8月13日には藤岡好明から2点タイムリー二塁打を放ち、史上35人目となる通算1000打点を達成。8月16日のロッテ戦(仙台)では8回裏の6点ビハインドの場面で唐川侑己から史上23人目となる通算350号の3ランホームランを放つと、9回裏二死の2点ビハインドの場面ではブライアン・シコースキーから起死回生となる2ランホームランを放った。この2本のホームランによって試合は延長戦に突入、その後12回裏に小坂誠がサヨナラヒットを放ち、6点差をひっくり返しての劇的な勝利を呼びこんだ。8月27日の西武戦(所沢)ではジョナ・ベイリスから自身3度目となるシーズン30号のホームランを放つ。40代での30号到達は王貞治、門田博光、タフィ・ローズに次いで4人目。9月29日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)で水田章雄から2ランホームランを放ち自身3度目の100打点に到達。前述の王貞治、衣笠祥雄の記録を更新する実動21年目での100打点到達となった。また41歳を迎えるシーズンでの100打点到達は門田博光、タフィ・ローズ、金本知憲の40歳を超える史上初の記録。更にこのホームランは楽天移籍後の150本塁打目であり、中日時代に記録したホームランと合わせて史上7人目となる2球団での150本塁打も記録。前半は低調な成績だったが7月から一気に調子を上げ、最終的に打率は.246と低かったものの39本塁打107打点と両部門パ2位という成績で楽天打線を牽引し、チーム史上初の2位とCS出場に貢献した。CSでは40代以上では初となるポストシーズン2本の本塁打、7打点を挙げたがチームは第2ステージで日本ハムに敗れた。

タイトル・表彰
本塁打王:2回(1996年、2007年)尚、セ・パ両リーグでの獲得は史上3人目。
打点王:1回(2007年)
最多勝利打点:1回(1998年)
ベストナイン:2回(1996年、外野手・2007年、指名打者)
最優秀JCB・MEP賞:1回(1998年)
月間MVP:3回(1996年6月、2007年5月、2008年3・4月)
最高長打率 1回(1996年)
オールスターゲーム最優秀選手賞:2回(2000年、第2戦・2008年、第1戦)
報知プロスポーツ大賞(野球部門パ・リーグ):1回

初記録
初出場:1989年9月7日、対広島東洋カープ19回戦(広島市民球場)
9回表に代打として出場
初安打:1989年9月10日、対ヤクルトスワローズ19回戦(ナゴヤ球場)
9回裏に内藤尚行から左前安打
初打点:1989年9月13日、対横浜大洋ホエールズ24回戦(横浜スタジアム)
8回表に松本豊から
初本塁打:1991年5月9日、対横浜大洋ホエールズ5回戦(横浜スタジアム)
5回表に田辺学から
初盗塁:1995年6月1日、対横浜ベイスターズ10回戦(ナゴヤ球場)
6回裏に二盗
節目の記録
100本塁打:1998年8月18日、対ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場)
2回表にマーク・エーカーから ※史上198人目
150本塁打:2000年7月12日、対阪神タイガース15回戦(ナゴヤドーム)
7回裏に吉田豊彦から ※史上114人目
1000試合:2001年10月6日、対広島東洋カープ28回戦(広島市民球場)
9回裏に一塁手として出場 ※史上376人目
200本塁打:2003年8月19日、対福岡ダイエーホークス22回戦(福岡ドーム)
2回表に倉野信次から ※史上77人目
1000本安打:2005年7月2日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(フルキャストスタジアム宮城)
3回裏に江尻慎太郎から左前安打 ※史上234人目
250本塁打:2006年8月5日、対オリックス・バファローズ12回戦(フルキャストスタジアム宮城)
1回裏に吉井理人から左越3ラン ※史上49人目
1500試合:2007年6月14日、対中日ドラゴンズ4回戦(フルキャストスタジアム宮城)
4番・指名打者として先発出場 ※史上152人目
300本塁打:2008年4月3日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(クリネックススタジアム宮城)
3回裏に久保康友から左越ソロ ※史上32人目
両リーグ150本塁打:2009年6月14日、対横浜ベイスターズ4回戦(クリネックススタジアム宮城)
7回裏に松家卓弘から左中間へソロを放って達成 ※史上5人目
1500本安打:2009年7月8日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(クリネックススタジアム宮城)
8回裏に荻野忠寛から中越2ラン ※史上102人目
1000打点:2009年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(クリネックススタジアム宮城)
6回裏に藤岡好明から左翼線へ2点適時二塁打 ※史上35人目
350本塁打:2009年8月16日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(クリネックススタジアム宮城)
8回裏に唐川侑己から左中間へ3ラン ※史上23人目
300二塁打:2009年9月19日、対千葉ロッテマリーンズ21回戦(クリネックススタジアム宮城)
8回裏に根本朋久から右中間へ二塁打 ※史上54人目
その他の記録
オールスターゲーム出場:4回(1996年と2000年にいずれも監督推薦での出場、2007年にファン投票で出場、2008年に選手間投票の指名打者部門で出場)
年齢別最多本塁打:39歳で43本塁打、41歳で39本塁打
最年長シーズン100打点到達

背番号
22(1987年 - 2002年)
5(2003年 - 2004年)
7(2005年 - )


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