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セス・グライシンガー

セス・グライシンガー(Seth Adam Greisinger, 1975年7月29日 - )
アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身のプロ野球選手。
読売ジャイアンツ所属の投手。


経歴

アマチュア時代
野球は5歳から始める。その後もさまざまなスポーツを経験するが、マクリーン高校3年生の時に野球一本に絞った[1]。そこでは投手兼遊撃手として活躍。1992-1993年シーズンにはバージニア州のゲータレードプレイヤーオブザイヤーに選ばれ、1993年のドラフトでは7巡目でクリーブランド・インディアンスから指名を受ける。しかし教育熱心な両親の勧めや本人も学位取得に前向きだったため、グライシンガーはインディアンスとは契約せず、バージニア大学へ進学した。

大学進学後は、最初の2年間で9勝12敗、防御率4.75という成績を残す。大学3年時には123イニングを投げ12勝2敗、防御率1.76、奪三振141という成績を残し、チームの主力として活躍するだけでなく、アトランタオリンピックの代表メンバーにも選ばれ、大会では3勝を挙げアメリカ代表の銅メダルに貢献している。グライシンガーは同1996年のドラフトにおいて、デトロイト・タイガースから1巡目(全体6位)で指名を受けプロ入りする。

プロ入り後
1997年にデトロイト入りしたグライシンガーは、2年目の1998年6月3日にMLBデビューを果たす。この年は21試合に先発し6勝を挙げるものの、このシーズンがMLBに最も長くいたシーズンとなり、以後はMLBとマイナーリーグとを行き来する生活を送ることになる。

2000年、2001年には怪我を負い、2年連続で公式戦登板は無し。2004年にはミネソタ・ツインズに移籍。1年間でチームから放出されると、同年12月にワシントン・ナショナルズと契約。2005年3月には、アトランタ・ブレーブスへと移籍する。AAAのリッチモンド・ブレーブスでプレーを続けたグライシンガーはAAAのオールスター選手に選ばれるものの、結局オールスターゲームを前にした6月7日にチームから放出され、シーズン半ばに韓国へ渡ることになる。

2005年途中から、韓国の起亜タイガースでプレー。登録名は「クレイシンオ」だった。途中入団ながら6勝をマークする。2006年には先発ローテーションの一角として29試合に登板し、14勝12敗、防御率3.02、164奪三振を挙げる活躍を見せる。同年12月に東京ヤクルトスワローズと契約し、日本へ渡る。

ヤクルト時代
2007年、東京ヤクルトでは当初、外国人枠の関係上、ディッキー・ゴンザレス投手との併用が予定されていたが、ゴンザレス投手が開幕直前で手術のため突然帰国し、シーズン絶望となったために、先発ローテに組み込まれることとなった。

開幕からの活躍が認められ、オールスターゲームに来日1年目ながら監督推薦で出場メンバーに選ばれ、7月21日の第2戦目に登板。5回裏から登板し、無失点に抑えた。また、16勝でセ・リーグ最多勝のタイトルを獲得した。他にも、先発登板数、無四球試合数、投球回数、被安打率、与四死球率、被出塁率、被長打率など、様々な部門でリーグ1位を記録した。また、リーグ特別表彰としてスピードアップ賞も受賞している。

移籍の経緯
2007年の秋ごろから在阪スポーツ紙などを中心に「阪神がグライシンガー獲得を検討」という記事が報道されるようになったが、同年11月29日に、ヤクルト側との条件面の折り合いがつかなかったため、自由契約選手として公示されると、阪神が獲得意思を見せ総額2年6億円を提示。巨人、ソフトバンクも獲得の意思を見せた。全球団との交渉が可能となってからも引き続きヤクルトも交渉を続け、7年間在籍し複数年契約を要望していたラミレスをあきらめ、その年の外国人残留交渉をグライシンガーに絞った。2008年の契約として、前年リグス・ゴンザレスと結び失敗している2年契約を提示、阪神を越える2年総額7億円まで提示額を上げ、交渉。その後ソフトバンクは撤退し、ヤクルトとの交渉も決裂。12月11日、巨人が2年総額5億円での契約締結を発表した。スポーツ報知2007年12月10日の記事では、グライシンガー側が「在京で、優勝争いのできる球団」を強く希望していたと説明され、前年の年俸4000万円からすれば6倍以上の額であった(金額はいずれも推定、一説には2年総額10億円以上の契約を結んだとも言われる)。

巨人時代
先発ローテーションの一角として開幕当初は乱調気味だったものの、5月から6月にかけ7連勝をする活躍などもあり、17勝を挙げ、2年連続でセ・リーグ最多勝のタイトルを獲得した。特に古巣のヤクルト相手には6試合登板して防御率1.58、5勝0敗と抜群の相性を見せた。2009年4月21日には移籍後初の完封勝利を長崎ビッグNスタジアムで挙げたが、この時の対戦相手は古巣のヤクルトだった。

一方で西武には相性が悪く、2試合登板して防御率14.00、0勝2敗という結果となった。クライマックスシリーズでは第1戦に先発登板し、4回1/3を3失点(自責点は2)でリードを許し降板。その後に巨人が追いついたため勝敗は付かなかったが、チームは9回にリードを許し敗れた。日本シリーズでは第4戦に登板したが、交流戦でも相性の悪かった西武を相手に2本の本塁打を許すなど、5回5失点で降板し敗戦投手となった。それもあってか、2009年の交流戦における西武戦では、ローテーションとして回って来たが、回避をさせられた。

2009年4月3日の対広島東洋カープとの開幕戦(東京ドーム)でメジャー、韓国、ヤクルト時代を通じて自身初となる開幕投手(巨人の外国人投手では1999年のバルビーノ・ガルベス以来)を務めたが、4回途中(3回0/3)6失点(自責点6)でノックアウト。敗戦投手となった。 シーズンでは序盤は打たれる場面が目立ち、防御率も一時期5点台にまで悪化したが徐々に復調し、13勝6敗の成績を残した。この年も阪神戦では4勝0敗、ヤクルト戦では3勝1敗と相性が良かった。

プレースタイル
140km/h台後半の直球(ツーシーム)と、チェンジアップのコンビネーションで打者を翻弄する投球が特徴である。特に決め球としてバルカンチェンジを多用している。他に見せ球として二種類のカーブ(スラーブ、ドロップカーブ)、スライダーも投じる。
内外角、高低共に投げ分ける制球力を誇り、調子の良い時はカウント0-3からでもコーナーを突いて三振を取る場面も見受けられる[要出典]。2007年シーズンは開幕から29イニング連続無四死球を記録した(途切れた試合もその一つしか四球を与えていない)。制球が定まるかどうかを気にしており、調子の悪い日はストライクの取れる球種を投げたがる事もある[要出典]。また四球を嫌がり、ストライクゾーンにボールを集めた結果打たれてしまうという試合も少なくない。[要出典]
野手としても、積極的に打っていく場面も見られ、2007年5月31日には自ら勝ち越し打となるタイムリーを放った。[要出典]
読売ジャイアンツ投手の中で牽制回数が非常に多く、1回の投球までに2~3回することも珍しくない。[要出典]
2008年はチームメイトである阿部慎之助と最優秀バッテリー賞を受賞したものの、2009年は調子が奮わず、阿部と組む試合はあまり成績が良くない[要出典]。そのためか、2009年は彼が登板の際は第二捕手の鶴岡一成とのバッテリーが多い。
セ・リーグでは広島を除いた球団と相性が良い。特に2008年は阪神・中日戦だけで8勝2敗。古巣ヤクルト戦は昨季を含めると、こちらも8勝1敗と相性が非常に良い。反面、広島には2007年は相性が良かったものの2008年は1勝4敗。2009年も開幕戦で黒星を喫するなど極端に相性が悪い。特に栗原健太を苦手としており2008年には3試合連続で本塁打を被弾、2009年の開幕戦でも1回にタイムリーツーベースを打たれている。パ・リーグではオリックスと相性が良いが埼玉西武と東北楽天には相性が悪く2008年の交流戦では双方から1勝もできなかった。2008年の交流戦の成績は1勝4敗、2009年の交流戦は2勝2敗の五分に終わった。

エピソード
大学時代、後にソフトバンクに所属したブライアン・ブキャナンとチームメイトだった。
一人での旅行が趣味で、オーストラリア、中国、タイ、インド、トルコ、ポルトガルなどを旅した経験がある。これらの国と比較し、東京の整理された町並みや住民の規律正しさには強烈な印象を受けたと語っている。また、インドには東京とは逆の意味で強烈な印象を受けている。休日の趣味は街の散策とラーメン食べ歩き[1]。
プロ入り後度重なる怪我に苦しみながら、ステップアップしてきた投手。大学では金融学を専攻していた。引退後は実業家を志している。
日本食を好物としており、韓国ではキムチが苦手だったが日本にはそういうものがないと語っている。
研究熱心で試合中にも相手チームの投手、野球を研究したり、相手に打たれた球やどこをつけば空振りを取れるかなどの配球の勉強をしている。ベンチに戻ると休まないで直にノートにメモを取っている他、捕手に注文を付けている事もある。また、チームの方針に従わず捕手のリードに首を振る場面もしばしば見られる。
投球直後に両腰をさわる癖がある。
調子の良い時は冷静だが、悪い時は気性が荒れ易い性格である。
2007年の沢村賞候補に、セ・リーグから唯一選ばれたが、受賞は逃した。
モデルの蛯原友里、道端ジェシカの交際発覚に「ショックだよ」 と肩を落とし、「新しい子を見つけたよ。西垣梓だよ」とコメントしたとの報道がされたが、その情報源、及び信頼性は定かではない。

タイトル・表彰
最多勝利:2回(2007年、2008年)
ベストナイン:1回(2008年)
スピードアップ賞:1回(2007年)
最優秀バッテリー賞:1回(2008年)

NPB個人記録

投手記録
初登板・初先発:2007年3月31日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、5回4失点で敗戦投手
初奪三振:同上、2回裏にタイロン・ウッズから
初勝利・初先発勝利:2007年4月6日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、7回無失点
初完投・初完封:2007年4月20日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)

打撃記録
初安打:2007年4月20日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)、7回裏に朝倉健太から右前安打
初打点:2007年5月31日、対オリックス・バファローズ2回戦(明治神宮野球場)、2回裏にトム・デイビーから中前適時打

背番号
50 (1998年 - 2002年)
58 (2004年)
48 (2005年 - 2005年途中)
59 (2005年途中 - 2006年)
29 (2007年 - )



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