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西村健太朗

西村 健太朗(にしむら けんたろう、 1985年5月10日 - )
読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称は「フランケン」。


プレースタイル
平均140キロ台後半、好調時には150km/hを超えることもある剛速球と、直球の威力に匹敵するシュートを軸に内外角を抉るピッチングを持ち味とする。内外角へボールの威力は抜群で、打者は容易に打ち返せず、詰まったゴロかフライに討ち取られるのがパターンになっている。

高校時代は縦への鋭く変化の大きいスライダーを武器にしていた(投球フォームがシュートを軸とするフォームに変化してきているためか、現在は威力が薄れ主にカウントを整えるために使われている)。空振りをとれる効果的なウィニングショットがないのが弱点で、前述にあるフォークの習得など、弱点の克服と自身の活躍の幅を広げることを狙っているが、実験段階である。

クイック(野球用語)の技術には定評がある。実は、野球をあまり知らないという妻が、ブログにおいてもそれを指摘できたほどであった(2007年1月のキャンプ中の事)。ランナーを背負った際には大きく変化するほどであり、コーチなどからも同じ指摘を受けていたという。以後、クイックなどのフォームの変更を重ね、現在の形に収まった。

リリーフ転向後は「鉄人」と讃えられたスタミナも武器のひとつだが、他チームの「鉄人」(阪神・久保田、日ハム・武田久など)とはピッチングスタイルがやや異なり、持って生まれた頑健さに加え、打たせて取る球数の少ないスタイルが連投を可能にしている。本人の発言によると、登板日程が開き過ぎると肩が軽くなりすぎて逆に調子が出ない体質らしいが、2008年は登板過多が影響したのか、右肩の疲労でボールに力が入らないという事態に陥り1ヶ月間の休養を経験している。

経歴

プロ入り前
広島中央リトルで投手に転向し、広陵高校で1年秋からエースとなり、伸びのあるストレートとスライダーを武器に白濱裕太とのバッテリーで春夏合わせて4回連続出場。

2年春は2回戦で報徳学園に、同年夏は準々決勝で明徳義塾とそれぞれ優勝チームに敗れたが、3年春は横浜高校を破り全国制覇した。同年夏は2回戦で岩国高校に敗れた。

2003年のドラフトで、将来の右の本格派エース候補として、2巡目で巨人から指名を受けて入団。

プロ入り後
2004年
7月1日甲子園の阪神戦にリリーフとして1軍初登板するも、6失点でノックアウトされる。7月4日には広島戦で初先発も経験した。

2005年
チームの先発陣がコマ不足に陥ったこともあって先発で7回起用され、プロ初勝利を含む2勝を挙げた。高校時代はコントロールが良いまとまった好投手といった評価だったが、トレーニングにより直球は150km/hを越えるようになった。

2006年
4月終盤に一軍昇格すると、先発14試合、中継ぎ17試合に登板した。先発ではなかなか結果が出せなかったものの、先発投手がアクシデントやKOにより5回を待たず降板後に登板した際には好投することが非常に多かった。それでもシーズン終盤は先発でも徐々に結果を出すようになり、成長の跡を窺うことができる。またシーズン終了後には、大量の辞退者が出たこともあり日米野球に出場した。2006年12月29日に婚姻届を提出していたことが2007年1月4日、明らかになる。

2007年
8月にはリーグタイ記録の月間17試合登板を達成するなど中継ぎとして活躍。シーズン後半には上原、豊田と共に勝ちパターンの継投にも組み込まれ、優勝を争う阪神・中日戦に多く登板した。結果は打ち込まれ、2点台だった防御率を1点以上悪化させシーズンを終えたものの、チーム最多の57試合に登板、緊急先発なども果たし、首脳陣に「うちの鉄人」と賞賛された。

東京ドーム以外では31試合で26失点と、アウェーでの成績が悪かった。
秋季キャンプでは槙原寛己臨時コーチの指導で、曲がりの大きいスライダーに替わる決め球としてフォークボールを習得。
シーズン終了後のインタビューでは、先発至上主義が根強く残る巨人には珍しくクローザー願望を語り、「上原さんのように歓声のなか登板したい、ファンに信頼される投手になりたい」と告白した。上原の自主トレにも同行が決まり、上原からフォークを教わるかわりに自身のシュートを教えた。
2008年
ヤクルトとの開幕3連戦で打ち込まれたものの、以後は安定した投球を続けた。5月25日には中継ぎのみの登板で最多勝に並ぶ6勝(当時)を挙げ(西村はこの試合で交流戦相手の日本ハム・森本稀哲に骨折させる死球を与えてしまった。一部では「『妖怪・西村』が『宇宙人・森本』にケガをさせた」等と悪い冗談を交えて報じられた)、5月終了時までに両リーグトップの29試合に登板したが、交流戦終了後6月25日に右肩疲労を理由に登録抹消。疲労が回復した7月25日に再び1軍登録されたものの、抹消前の好調の反動などもあり打ち込まれ8月15日の登板後再び登録抹消したが、フォームの崩れなどを再調整して復帰した10月22日のクライマックスシリーズ第2ステージの中日戦では2試合無失点と好投した。

11月6日の日本シリーズ第5戦(読売 7 - 3 埼玉西武)で、高校野球でのセンバツ決勝戦の相手投手だった涌井秀章に投げ勝ち(西村は中盤から登板)、勝利投手になっている(2003年センバツでも、広陵 15 - 3 横浜 で、[勝]西村 [敗]涌井 だったため、結果的に、西村は涌井を「返り討ち」にしたことになる)。

エピソード
ニックネームのフランケンはその顔と風貌から、半ばからかいの意味合いでつけられたものであった。しかし、マウンドに立つと身長以上に大きく感じられた上に(事実、彼は高校1年からエースとしてマウンドに立っていた)、コワモテのその外見に似つかわしくない割とおっとりとした所と、学生時代からも絶賛されたそのタフネスぶりから、自然と定着した渾名でもある(インタビュー記事より)。
アニメに造詣が深く、宝島社の「このアニメがすごい!」のランキング投票に2008年、2009年と2年連続で参加している。また、同じくアニメに造詣が深い西村の妻が自身のブログで2007年度の西村の東京ドームでの入場曲を「涼宮ハルヒの憂鬱」のEDテーマ「ハレ晴レユカイ」にしようとしたが、スタッフに断られたという逸話がある。
『BLEACH』で知られる漫画家、久保帯人は中学の先輩である。

背番号
23 (2004年 - 2006年)
30 (2007年 - )

個人記録

投手記録
初登板:2004年7月1日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に救援登板、1/3回6失点
初先発:2004年7月4日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)、2 1/3回3失点
初奪三振:同上、2回裏に松本奉文から
初勝利:2005年9月1日、対ヤクルトスワローズ17回戦(松山中央公園野球場)
初ホールド:2006年10月4日、対横浜ベイスターズ21回戦(東京ドーム)
初セーブ:2007年9月6日、対中日ドラゴンズ21回戦(ナゴヤドーム)

打撃記録
初安打・初打点:2005年9月1日、対ヤクルトスワローズ17回戦(松山中央公園野球場)、7回裏に川島亮から中堅へ適時二塁打




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