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小池正晃

小池 正晃(こいけ まさあき、1980年5月15日 - )
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
愛称は「ゴジ」。


経歴

プロ入り前
横浜市立峯小学校卒業、横浜市立宮田中学校卒業、横浜高校卒業。1998年、横浜高校で松坂大輔、後藤武敏、小山良男らとともに甲子園春夏連覇達成。主に1番右翼手として活躍。夏の3回戦・星稜戦では先頭打者本塁打を放った。高校通算26本塁打。同年のドラフト会議で地元横浜ベイスターズに6位で指名され、入団。

プロ入り後

横浜時代
高卒新人時代は一軍に昇格できなかったが横浜スタジアムで開催のフレッシュオールスターゲーム出場した。しかし、以後3年間一軍出場はなかった。そして、2001年4月20日に初出場を果たす。9月25日には7番左翼手で初スタメン出場した。

2002年シーズンは主に代打として60試合に出場、同年5月23日の広島東洋カープ戦でプロ入り初本塁打。プロ入り後は三塁手も兼任しており序盤はサードでの出場もあったが、終盤には鈴木尚典の離脱で左翼手での出場が増えた。

2003年は、村田修一、古木克明(現・オリックス・バファローズ)等に弾き出される形で出場機会が9試合と激減したが、二軍ではチームトップの打率.325、10本塁打を打った。

2004年も一軍には上がるものの、試合には出られずにすぐに逆戻りという状態が続いていた。シーズン終了間際の対ヤクルトスワローズ27回戦では、2打席連続の本塁打を放った。また二軍では2年連続2桁本塁打を打っている。

2005年昨年オフにタイロン・ウッズが中日に移籍したことで背番号を44に変更。尊敬するMLBのマイク・キャメロンと同じ番号を手に入れ心機一転を図った。牛島和彦新監督に俊足を生かした広い守備範囲を買われ、6番中堅手で初の開幕スタメンの座をつかんだが、打撃不振で一時レギュラーから退き、ケビン・ウィット(後に東北楽天ゴールデンイーグルスでもプレー)・内川聖一・古木らが左翼のレギュラーを争った。しかし5月末に2番で起用されると5試合で5本塁打を打ち、そのまま2番左翼手のレギュラーに定着した。多村仁(現・福岡ソフトバンクホークス)の離脱時はセンターも守り、自己最多の出場機会を得た。37犠打はセ・リーグトップで、20本塁打を放った長打力も見せ、一躍主力選手となった。 スタメンに定着すると、本拠地横浜スタジアムでの打席登場時にTONY BASILのヒット曲"MICKEY"が流れるのに合わせて、外野の一部ファンが「小池さーん、小池さーん」と叫ぶようになった。

2006年開幕当初は2番レフトだったが、打撃不振のためレフトのポジションを吉村裕基に奪われる。しかし多村が負傷で長期離脱すると、中盤以降は2番センターで事実上のレギュラーとして固定されるようになった。また、自己最多の39犠打で2年連続最多犠打を獲得し、職人ぶりは健在だった。しかし打撃不振のさなか、チームの先頭打者石井琢朗がヒットで出塁すると小池が送りバントをするケースが多く、一部のファンからは「自動バント」と揶揄されることもあった。 シーズン終盤の9月28日の中日戦(ナゴヤドーム)で、佐藤充から左手に死球を受け途中退場。すぐに病院で検査したところ中指の骨折で全治2ヶ月と診断されたため登録抹消される。2年連続規定打席到達を目前にして無念のリタイアとなった。

2007年、1番に読売ジャイアンツからトレードで移籍してきた仁志敏久、2番には石井が入り、センターには多村が寺原隼人との交換トレードでソフトバンクへ移籍した関係で、去年までライトを守っていた金城龍彦が4年ぶりに戻される。また大矢明彦監督のもと、去年まで内野手の佐伯貴弘や内川が外野手にコンバートされる激しいポジション争いの中、打撃でアピールすることが出来ずレギュラー定着には至らなかった。 6月20日の対ソフトバンク戦(横浜スタジアム・セ・パ交流戦)でプロ入り初のサヨナラホームランを放った。

2008年は内野手にも挑戦することを決め、オープン戦では主に一塁手として起用された。しかし、新戦力の加入で外野手争いが激しくなったことや自身の不調もあり、開幕一軍は果たせず、その後も二軍生活が続いた。 そして、6月16日に投壊状態であった横浜と森野将彦、李炳圭など主力の外野手が相次いで離脱して不足していた中日との思惑が一致し、石井裕也との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。背番号は石井の付けていた30に決定した。


中日時代
しばらくは二軍で調整する予定であったが、離脱中であった井端弘和の代役の2番打者として6月20日に一軍登録。翌21日、22日に2番センターで出場し、22日には移籍後初のお立ち台に登っている。7月6日には移籍後初のホームランをナゴヤドームで放っている。中日移籍後は堅実な守備力を買われ、一軍に定着。スタメン起用も多かった。シーズン終了後、タイロン・ウッズの退団もあり、背番号を30から横浜時代、活躍した時に着用した44に変更。奇しくも、同じ選手が退団し、同じ背番号に変更する珍しい事態となり、変更から1年も経たないうちに元の背番号に戻る形となった。

2009年初の中日での春季キャンプでは外野手のほか、一塁手、三塁手にも挑戦することになり、実際に本来の外野のほかファースト、サードの位置で落合監督からノックを受けた。オープン戦では外野手の他に一塁手としても出場した。

シーズンに入り、開幕一軍を果たすも藤井淳志、新人の野本圭の台頭でスタメンでなく、代打や終盤に和田一浩に代わって左翼手として出場するケースが多いが、主に左投手が先発する場合、野本に代わって右翼手でスタメン出場もあるが、2割程度の試合数に留まっている。長打力も兼ね備えてきており代打での出場も多いが,空振りが多くチャンスメイクができないと思われがちである。

プレイスタイル
安定した外野守備と高確率で決める送りバントを武器に活躍している。パンチ力のある打撃も武器。

外野の他に一塁、三塁守備の練習もしており、森野に代わるユーティリティープレイヤーとして期待されている。

人物
実家は松原商店街にあるお茶屋「丸秀園」。そのため横浜時代は試合前の選手紹介で、「松原商店街の星」と紹介されていた。

小学校時代は宮田町少年野球部に在籍。野球の基本を白井元康氏(同野球部監督)に学ぶ。練習後はよく監督のお店(そばや:佐久良屋)でそばを食べていた。当時よりからだが大きかった。

小学校時代から、体ががっちりしてたため、後輩からは怖がられることが多かった。顔はそこそこかっこよかったらしい。(テレビ番組にて小池の母親が発言)

出身中学である横浜市立宮田中学校のソフトボールの授業で、3階建て校舎越えホームラン(推定80m弾)を放ったことがある。

中学3年生の中本牧シニアに在籍当時、ブラジルで行われたシニアの世界大会の選抜チームに同チームから小山良男とともに参加。江戸川南シニア在籍の松坂大輔と知り合う。既に横浜高校へ進学が決まっていた小池と小山は、帝京高校への進学が決まっていた松坂を「横浜高校で甲子園へ行こう」と誘った。(そして松坂はその誘いを受け帝京高校を蹴り横浜高校へ入学した)

いわゆる「松坂世代」の一員。松坂大輔、後藤武敏、小山良男らと共に同じ春夏連覇を成し遂げた横浜高校の中心選手として活躍した。横浜ファンや球団公式は小池世代を用いることが多い。後にチーム所属の同学年選手と横浜55年会を結成。

2005年に放送されたTBS系ドラマ「H2〜君といた日々」で横浜ベイスターズに入団した橘英雄は、「KOIKE」と名前の入った背番号56をつけていた。

2007年12月7日内川聖一と同日に同じ横浜南共済病院にて扁桃腺除去手術を行なう。

横浜時代に、タイロン・ウッズが中日に移籍したことでそれまでつけていた背番号44を継承したが、中日に移籍した後の2008年オフには、同年限りで退団したウッズが付けていた背番号44を継承。二球団で同じ背番号を同じ人物から継承することになったという珍しいケースとなった。


打席に入るときのテーマは横浜高校時代の先輩、遊助の『ひまわり』を使っている。小池本人が上地雄輔に直接電話をして許可をもらった(公式ブログ、09年4月11日付けの日記より)。


個人記録
初出場・初安打 - 2001年4月20日対読売ジャイアンツ戦で、代打出場・岡島秀樹投手から内野安打。
初本塁打・初打点 - 2002年5月23日対広島東洋カープ戦でリゴ・ベルトラン投手から。
初盗塁 - 2002年9月15日対ヤクルトスワローズ戦で。
最多犠打 - 2005年 37犠打、2006年 39犠打。
球団通算6000本塁打 - 2005年6月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で山村宏樹投手から。
サヨナラ本塁打 - 2007年6月20日対福岡ソフトバンクホークス戦で水田章雄投手から。

高校時代の戦績・記録
1998年 - 第80回全国高等学校野球選手権大会
1回戦、対柳ヶ浦高戦、6対1で勝利。(5打数 0安打 0打点 0三振 0四死球 0本塁打)
2回戦、対鹿児島実高戦、6対0で勝利。(3打数 1安打 1打点 1三振 1四死球 0本塁打)
3回戦、対星稜高戦、5対0で勝利。(3打数 3安打 1打点 0三振 0四死球 1本塁打)
準々決勝、対PL学園戦、9対7で勝利。(8打数 1安打 0打点 1三振 0四死球 0本塁打)
準決勝、対明徳義塾高戦、7対6で勝利。(3打数 0安打 0打点 1三振 0四死球 0本塁打)
決勝、対京都成章高戦、3対0で勝利。(3打数 0安打 0打点 2三振 0四死球 0本塁打)

背番号
56(1999年 - 2004年)
44(2005年 - 2008年途中, 2009年 - )
30(2008年途中 - 2008年)




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