SEO対策:プロ野球SEO対策:野球選手SEO対策:セリーグSEO対策:タイガースSEO対策:阪神
FC2ブログ
ブログ更新者⇒ドカント
-阪神タイガース最高 ただの野球好き[専ら観戦]です。
基本タイガースファンですが全体的に好きなんでどんな話&ネタでもドンドンコメントetcよろしくです。
mixitwitter

鉄平

鉄平(てっぺい、本名:土谷 鉄平(つちや てっぺい)、1982年12月27日 - )
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(外野手)。


来歴

プロ入り前
小学校1年の時、兄の影響で野球を始め「ふじヶ丘少年野球団」でプレー。中学時代は野球部に入部し、ピッチャーとショートを受け持つ。

津久見高校時代は、1年から遊撃手のレギュラーを獲得。高校通算で打率.551、32本塁打の記録を残した。甲子園への出場経験はないものの、50m走は5秒9、遠投110mと身体能力の高さから「九州のイチロー」として注目された。

2000年のドラフトで5位指名を受け、中日ドラゴンズに入団する。

プロ時代

中日時代
2003年、二軍で遊撃手のレギュラーを獲得するが、そのオフ外野手にコンバートされる。2004年、プロ4年目で一軍初出場・初安打を記録し、主に代走や外野の守備固めとして50試合に出場した。6月1日には6番左翼手でプロ初スタメン出場。10月9日に行われたファーム日本選手権ではサヨナラヒットを放ってチームを日本一に導き、最優秀選手賞を獲得した。2005年、一軍では2試合の出場に終わったが、二軍ではウェスタン・リーグ3位の打率.336、13盗塁の好成績を残した。オフに金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。その際に、登録名を「土谷鉄平」から「鉄平」に改めた。

楽天時代
2006年、開幕戦の 北海道日本ハム戦では1番センターとしてスタメン出場する。4月22日、西武の西口文也投手からプロ初本塁打を放つ。6月2日は古巣の中日戦(仙台)で4安打を放ち、サヨナラ勝ちにつなげる。試合後落合博満監督から「お前を(トレードに)出した甲斐があった」とのコメントを受ける。*6月30日の北海道日本ハム戦から7月6日の千葉ロッテ戦にかけて9打席連続三振を記録。野手の連続三振記録を8から9へと更新した。この年は103試合に外野手として出場し、チーム2位の打率.303を残す(1位はリック・ショート)。また、西岡剛、赤田将吾、川崎宗則と並んでリーグトップタイの三塁打7つを記録した。ファンからの最多投票をうけ、楽天野球団主催の『2006年度MVP選手』に選ばれる。これにより、2007年度、同球団ファンクラブ特典のフィギュアは鉄平となる。イオン日米野球2006に監督推薦選手として出場。スコアボードにはなぜか「東北鉄平」と誤表示される。12月7日、球団史上最高となる220%の年俸アップ率で契約更改をした。また、この日「グッズを作り直すのが大変だろうから」と、背番号は変更しないことを発表した

2007年、3月24日の開幕戦から11試合連続ヒットを記録する。5月6日、2008年北京オリンピック日本代表選手・第一次候補選手に選ばれる。*7月20日、21日に行われたオールスター戦に、ファン投票で選出され出場する。第1戦(東京ドーム)では途中出場、第2戦(フルスタ宮城)では1番センターでスタメン出場した。同球団からは鉄平含め合計8名が選出された。8月7日、日本ハム戦でライアン・グリン投手から第10号本塁打を放つ。この年はチーム2位の135試合に出場した。打率.254、出塁率.311は共に昨年よりダウンするも、本塁打が10本と、プロ初の2桁を残した。打順はシーズン通して一定しなかったが、下位打線で出場することが多かった。

2008年、この年は序盤からなかなか調子が上がらず、開幕戦は2番で出場したが、その後は8番での起用となってしまう。しかし開幕から1番だった渡辺直人の怪我により、交流戦のころから1番になると大幅に調子を上げるが、6月8日の中日戦で本塁に突入した際に足を痛め登録抹消となってしまい、チームも順位を下げてしまう。しかし、この年自己最多の打点を記録し、得点圏打率自体は3割2分を超えた。11月22日、いい夫婦の日に入籍をしたと発表した。

2009年、礒部公一が大きな減俸となったため、楽天外野手最高年俸の選手となった。週刊ベースボール誌のインタビューで「今年の自分の鍵を握る最大のポイントは運ですね」とシーズンに臨む意気込みを語っている。3割5分を超える高打率を維持していた5月、「気持ち悪い」と体調不良を訴えて二軍降格。症状からメニエール病ではないかと心配されたものの検査したところ特に異常はなかったため、すぐ公式戦に復帰した。8月6日には球団新記録となる22試合連続ヒットを記録。同日は決勝打を含む3安打を放ち、首位打者に浮上する。最終的に連続試合ヒットの記録を24まで伸ばしている。また、この頃には4番を努める山崎武司と並ぶ不動の3番バッターとして活躍。8月の成績は打率.402、3本塁打、24打点で自身初の月間MVPを受賞。終盤やや打率を落としたものの、最後まで首位打者の座を守り、初の打撃タイトルを獲得した。打率.327、12本塁打、76打点はいずれも自己最高。13盗塁も自己最多。前年左投手に.202と苦しんだが09年は.314、7本塁打をマークした、更にシーズン記録では5位タイとなる両リーグ最多の13本の三塁打を放つなど飛躍のシーズンとなった。10月13日にはこの活躍により大分市民栄誉賞の進呈が発表された。同賞を贈られるのは内川聖一(現:横浜)に次いで2人目(ちなみに鉄平と内川は同学年でもある)。

プレースタイル
俊足・強肩の高い身体能力を持つ外野手。打撃にそれなりのパンチ力もある。連続三振の日本記録保持者(9打席。これは野手のみの記録であり、投手も含めた場合、ドミンゴ・グスマンの18打席が最高となる)であるが、三振が特筆的に多いわけではない。

中日時代は守備固めや代走がメインだったのにもかかわらず、楽天入団当初は失策も多く見られた。経験を積むにつれ捕球・送球は上達を見せ、首脳陣の信頼を獲得。現在、楽天イーグルス創設以来、センターのスタメンとしての出場数が最も多い選手である。最近では度々トリックプレーを試みる事が多く、守備に余裕ができているようである。足が速く二・三塁打も多いものの、盗塁数はそれほど多くなく、自身でも強化点としてたびたび盗塁を挙げている。

打撃スタイルは非常に独特であり、ボールの高低は得意・苦手コースにあまり関係なく、内角か外角かで安打率が大きく変化している。特に内角のさばき方は非常に上手く、自分に近い厳しいコースでもバットをたたんでヒットにする技術を持っている。対して、外角に逃げるボールを苦手にしている。

この独特なムラのある打撃スタイルから、野村監督・池山打撃コーチなどからは「天才型の打撃」と呼ばれることも多い。

得点圏にも強く、楽天移籍後からは毎年打率以上の得点圏打率を残している。2008年にはシーズン5本塁打ながら内4本が得点圏での一発だった。

人物・エピソード
非常に物静かな性格で滅多に喜怒哀楽を表情には出さない。2009年にキャリア初の満塁ホームランを打った際にヒーローインタビューを受け、インタビュアーに「かなり落ち着いてるように見えますが?」という質問に「普段からこうなんですよ」と返答した。
両親、兄は共に学校教師。
父親がちばてつやの剣道マンガ『おれは鉄兵』のファンで、そこから「鉄平」と名前付けられた。この由来は歌手・俳優の小池徹平と同じである。強い子に育ってほしいという願いがこめられている。
打席ではヘルメットをかなり深めに被るのが特徴。つばの影で一部目線が隠れるほど。
好物は苺と具なしのおにぎり。本人によれば、「具を色々入れるとややこい(ややこしい)」ために具なしを好む。2007年度からは鉄平がプロデュースした弁当『鉄平おにぎり(具なし)』が本拠地宮城球場で発売されている。『鉄平おにぎり』には「鉄平直筆手ぬぐい」が付録として入っており、レフトスタンドの多くの観客がこの手ぬぐいを掲げて応援している。
牧田明久とは中日の二軍時代からの知り合いで特に仲が良い。同世代の選手ともよく話をする。
野手の連続三振日本記録を更新した2006年、ダルビッシュ有はオフのインタビューで「三振を一番奪ったのは誰ですか?」という問いに対し、「鉄平」と呼び捨てで即答。
中日ドラゴンズ入団時は遊撃手であったが、「もう外野に行け」と言われるほど伸び悩んだ。自身も、当時「内野はもうやりたくない」とまで考えていたことを後のインタビューで明かしている。
川崎憲次郎は高校の先輩。「川崎さんの投げる試合で守りたい」と目標を語っていたが、川崎の引退により叶わなくなった。
中日時代の2004年オフ、大の中日ファンであるお笑い芸人のスピードワゴン小沢一敬に誘われて(井端弘和に連れられて)、草野球に出場したことがある。
2006年前半は、バックホームをする際、あらぬ方向に投げてしまう等のプレーをしばしば見せ、野村克也監督から「この選手はちょっとおかしいね」と言われていたが、後半には「鉄平は本物になっちゃった」「お前に休まれては困る」「鉄平は張本二世。安物の張本や(当時推定年俸が1000万と安かった)」等のコメントをもらった。2009年の開幕戦後には3番という打順で先制打を含む3安打の活躍に「ウチに来て、間違いなく年々進歩している。安心感っていうか、『任した』という気になる。信頼が育ってきた。オレと鉄平の間で、そういうのが育ってきた」と評された。
2006年オフ、年俸が220%アップした際には。「自費で新幹線に乗るときはいつも自由席だったけど、これからは座席が広いグリーン車に乗れそうです」と、コメントをした。
2007年、楽天イーグルスTVで「今日の鉄平」というミニコーナーが作られ、1年を通して放映された。
ラジオ番組『We Are Eagler』の公開収録が2007年11月11日に行われ、ゲストは渡辺直人、枡田慎太郎であったが、前触れもなく突如会場に姿を表し、その場にいた司会者・選手・観客を驚かせた。
タスケの運営する携帯電話アプリゲーム「めざせ!プロ野球オンライン」では登録名が「鉄平」ではなく「土谷」として登場する(2007年8月現在)。
ゴルフが趣味。同僚の牧田明久にコツを教えてもらったりもするというが、2006年に行われた選手会のゴルフコンペでは最下位となった。
TBCラジオ(東北放送)の『TBC Sports Paradise』に出演した折り、「将来仮に松坂大輔と同額のポスティングをされた場合、メジャーリーグに移籍するか?」という質問に対して、「自分は日本が好きだし、日本人だからメジャーには行かない」とコメント。
2006年プロ入り後初本塁打を放っては「全力で走らなくて良いから楽です」、2006年にシーズン3割を記録しては「申し訳ないですね、インチキですから」(鉄平の打率が最終的に3割を切らないように監督やコーチが出場を調整したため謙遜して)とコメントした
野村監督から「休日に練習しているのは鉄平ぐらいか」と最初に名前を挙げられるほど練習熱心。2007年、鉄平を含むオールスター出場組は休日となっていた練習日にひとり自主的に練習に参加した。また、同僚の渡邉恒樹も鉄平の練習に対する姿勢をブログの中で書いている。
地元Kスタ(主催地方ゲームを含む)での一回表の守備に付く時の場内放送のイーグルス選手の紹介では「神風ワンダーボーイ」と紹介される。
北海道日本ハムファイターズの投手である武田勝を球界でも3本の指に入る位に苦手としており、球団新記録を更新していた最中、25試合連続安打の記録を阻まれたのも武田の登板した試合である。

タイトル・表彰
首位打者:1回(2009年)
オールスターゲーム出場1回(2007年)
ファーム日本選手権 最優秀選手賞(2004年)
JA全農Go・Go賞 好捕賞(2006年)
JA全農Go・Go賞 最多二、三塁打賞(2009年)
月間MVP:1回(2009年8月)

個人記録
初出場:2004年4月30日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に代打として出場
初安打:同上、7回裏に加藤武治から
初盗塁:2004年5月29日、対阪神タイガース11回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗
初先発出場:2004年6月1日、対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)、6番・左翼手として先発出場
初打点:2006年3月28日、対オリックス・バファローズ1回戦(フルキャストスタジアム宮城)、5回裏にトム・デイビーから左前適時打
初本塁打:2006年4月22日、対西武ライオンズ4回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7回裏に西口文也から右越決勝ソロ

背番号
46(2001年 - )

登場曲
『独眼竜政宗メインテーマ』 池辺晋一郎 (2007年5月前半頃まで)
『TOKYO通信〜Urbs Communication〜』 SOUL'd OUT (2007年5月途中から)
『VOODOO KINGDOM』 SOUL'd OUT (2008年)
『爆走夢歌』 Diggy-MO' (2009年)

>>もっと面白い球界裏情報や面白ブログはここでチェック



ランキング参加中ですクリックのご協力お願いします
にほんブログ村 野球ブログ 阪神タイガースへ野球愛ランキング

COMMENT

管理者にだけ表示を許可する

TRACKBACK

トラックバックURL:

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

« | HOME |  »

cork_board template Designed by ARCSIN WEB TEMPLATES
TMP Customized by I'm looking for.