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野口寿浩

野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )
横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手(捕手)。



経歴
千葉県習志野市出身。習志野高校では県内で強打の捕手として有名だったが全国大会には縁がなく、3年夏は千葉大会準決勝で押尾健一を擁する成東高校に敗れベスト4。1989年のドラフト外でヤクルトスワローズに入団。高校通算11本塁打。

ヤクルト時代
ヤクルトでは同期入団の古田敦也に続く2番手捕手で、1994年に故障した古田の代役としてレギュラーを務めた以外は控えだった。

しかし当時の野村克也監督にリード面などを叩き込まれ、自身も毎日試合後に野村が行う講義を熱心に聴き、腕が痛くなるほどノートに写すなど積極的にその技術を取り込もうとした。その甲斐あって野球解説者によっては「リードは古田以上」と評されるようになり、後に日本ハムファイターズで成功するきっかけともなった。

日本ハム時代
1998年の開幕直前に城石憲之との交換トレードで日本ハムに移籍し、すぐに正捕手の座を獲得。

2000年にはチームが優勝争いする中で自身も打率.298を残し、「ビッグバン打線の恐怖の8番」と言われた。同年は松井稼頭央と同数の、捕手としては珍しいリーグ最多三塁打(11本)を放ち、得点圏打率もリーグトップを記録した。しかし、リード面では評価が低く打者を追い込んでから本塁打を打たれるケースが目立ち、後に實松一成にポジションを奪われる。2002年オフに坪井智哉とのトレードで阪神タイガースに移籍。

阪神時代
移籍初年度の2003年は矢野輝弘に続く控え捕手として優勝に貢献したが、出場機会は激減してしまい成績も大きく下降した。当時の星野仙一監督は「矢野と同じぐらいの力を持つ捕手はいざと言う時に効く。(金本知憲ら有力選手を獲得した中で)野口が一番の補強」と語っており、野口の強気のリードに刺激された矢野は好成績を残したが、野口当人は矢野が故障した時期と、たまに試合終盤に出場する他には出場機会がほとんど無かった。

2004年は岡田彰布新監督が矢野で捕手を一本化し一軍捕手を矢野と野口の2枚体制としたため、出場機会はさらに減少した。しかし、同年初のスタメンだった10月4日の広島東洋カープ戦では井川慶をリードしてノーヒットノーラン達成に貢献した。オフにFA権を行使したが、獲得を表明する球団は現れず阪神と2年契約を結んでの残留となった。

2005年も2番手捕手としてチームに貢献したが、正捕手の矢野が好調だったために出番は相変わらず極端に少なかった。翌2006年には岡田監督が年齢的に矢野のフル出場は難しいと考え、野口の出場機会を増やす事を明言。特に井川が登板する試合では前述のノーヒットノーランなど相性の良さを買われてスタメン出場が多かった。

2007年は若手の狩野恵輔と新人の清水誉に押し出される形で開幕二軍スタートとなり、古巣の日本ハムやヤクルト時代の恩師である野村が監督の東北楽天ゴールデンイーグルスへのトレード話も持ち上がったが、固辞したことが後に新聞で報じられた。5月に一軍昇格し、セ・パ交流戦時に故障した矢野、一軍の壁に当たった狩野の穴を埋める活躍をした。矢野の復帰後は、二軍でコンビを組んでいた上園啓史が先発する試合を中心にスタメン出場した。同年は打撃好調で規定打席不足ながら打率.351、出塁率.398を記録した。

2008年は前年の上園とのコンビもあって「若い投手を頼む」と言われスタート。前半戦は上園、岩田稔、ライアン・ボーグルソンらが先発する試合でスタメン出場し、矢野が北京五輪代表として離脱中は正捕手を務めたが、矢野の復帰後はまた出場機会が減少した。また、前年に好成績を残した打撃は不振で守備でも捕逸が目立ったが、岩田の台頭に大きな役割を果たした。同年に再取得したFA権をオフに行使し、相川亮二のFA移籍に伴い捕手の補強を目指していた横浜が獲得の意思を表明。12月4日に2年契約で合意した。

横浜時代
2009年は、開幕戦こそスタメン出場だったが、相次ぐパスボールや10回以上にも渡る許盗塁など、キャンプ中に右肩を故障した影響もあり、まったく結果を出すことができなかった。チームの不振も重なり、ルーキーの細山田武史が抜擢され、野口は4月後半には控えに回ることとなった。横浜は開幕から野口、細山田、斉藤俊雄の捕手3人制を採っていたが、野口は5月14日に2軍落ちとなり、以降1軍再昇格はならないままシーズンを終えた。 横浜投手陣との相性が非常に悪く、野口と組む場合と細山田とでは、投手陣の防御率が3点近く違うほどである。

プレースタイル
ヤクルト時代、野村監督は古田に対して「欠点を徹底的に攻める」リード、野口に対しては「投手に優しい」リードと評した。

日本ハム時代や阪神移籍直後には、時折外野手や一塁手として出場することもあった。過去に最多三塁打を記録した足はベテランになっても50m走で6秒台前半を記録するなど目立った衰えがなく、稀に代走起用されることもある。

タイトル・記録
パ・リーグ最多三塁打:1回(2000年)
パ・リーグ得点圏打率1位:1回(2000年)
オールスターゲーム出場(1998年、2000年)

背番号
67(1990年 - 1994年)
38(1995年 - 1996年)
28(1997年)
54(1998年 - 2002年)
27(2003年 - 2004年)
2(2005年 - 2008年)
5(2009年 - )

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