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イチロー

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手。

ハイペースで安打を量産することから、日米両国で「安打製造機(Hit Machine/Hitting Machine)」と称される[1][2][3]。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 アマチュア時代
1.2 日本プロ野球
1.3 メジャーリーグ
1.4 世界大会
2 選手としての特徴
2.1 打撃
2.2 守備
2.3 走塁
2.4 評価
3 特筆
3.1 人物
3.1.1 家族
3.1.2 用具
3.1.3 趣味・好物
3.2 記録など
3.3 ドラマ出演
4 年度別打撃成績
5 年度別守備成績
6 タイトル・表彰・記録
6.1 タイトル・表彰
6.2 特筆記録
7 出演
7.1 CM
7.2 テレビ番組
7.3 ファッション雑誌
8 イチローを論じた出版物
9 関連項目
10 脚注
11 外部リンク


経歴 [編集]
アマチュア時代 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
1990年、全国高等学校野球選手権大会に左翼手として出場。1回戦敗退(対天理戦)。

1991年、選抜高等学校野球大会に投手として出場。1回戦敗退(対松商学園戦)。

愛知工業大学名電高等学校(愛工大名電)からドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)に入団。

日本プロ野球 [編集]
1992年 - 1993年
1992年7月12日の福岡ダイエーホークス戦で木村恵二投手からライト前へプロ初安打を記録した[4]。
1992年は.366の高打率でウエスタン・リーグの首位打者を獲得しながらも、土井監督や小川亨コーチなどの1軍首脳陣から振り子打法を否定され、足の速さを活かすようにと内野安打狙いのバッティングや山内一弘コーチ式の内角打ちを指示されるが、意見や指導が合わず[5]、1軍に定着することはなかった。同年のジュニアオールスターでは同点の8回に代打決勝ホームランを放ち、MVPを獲得。賞金100万円を手にするが、全額を神戸市の養護施設に寄付した(2軍選手でこのことをしたのはイチローが初めてである)。
1992年と1993年でプレーしたウエスタン・リーグでは、2シーズンにまたがり46試合連続安打を記録(1シーズンでは30試合)[4]。1993年のウエスタン・リーグでは打率.371を残したが、1軍半であったため規定打席に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった(1993年のウエスタン・リーグ首位打者の打率は.346)。同年オフにはハワイ・ウィンターリーグでヒロ・スターズというチームで優勝し、リーグ初のMVPに選ばれた。カウアイのヴィディンハ・フィールドで推定飛距離500フィート(152メートル)の本塁打を打ち、地元では「新幹線ホーマー」と呼ばれていた[6]。
1993年、当時豪腕の名をほしいままにしていた野茂英雄からプロ初本塁打(1993年6月12日、長岡市悠久山野球場)を放ったものの[7]、その日に2軍降格を言い渡される。2軍生活を余儀なくされていたイチローは、同年の秋に、河村健一郎2軍打撃コーチと二人三脚で、日本時代のイチローの代名詞ともなる振り子打法を作り上げた。
1994年
監督に招聘された仰木彬はイチローの類い稀な打撃センスを見抜くと、登録名を当初の「鈴木」から「イチロー」に変更させ、1軍の2番打者に抜擢する。イチローは1軍打撃コーチの新井宏昌にも理解され、レギュラーとして活躍。4月末ごろには1番打者に定着した。5月から8月にかけて日本プロ野球新記録の69試合連続出塁を記録し、9月には日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打の偉業を達成した。シーズンを通じてパ・リーグ新記録となる打率.385(後の2000年に自らパ・リーグ記録を更新)を残し、首位打者のタイトルを獲得。安打数は210(日本プロ野球記録)まで延び、この年から打撃の正式タイトルとなった最多安打の初代獲得者となった。ほかにも最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞を獲得し、打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを手にした。
1995年
主に1番打者を打ちながら、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得し、「五冠王」となった。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初(現在も唯一)、全イニング出場での首位打者は1969年の王貞治に次ぐ史上2人目の快挙。リーグ3位タイの25本塁打で、本塁打王の小久保裕紀とは3本差であり、日本プロ野球・メジャーリーグともに前例のない打撃タイトル独占(六冠王)にあと一歩であった。そのほか、リーグ2位の長打率や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18死球に加え、当時の日本プロ野球タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残し、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録[8]。2年連続となるシーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞も受賞した。
1996年
開幕から前半戦まで1番打者として出場し、オールスターゲーム第1戦では初回先頭打者初球本塁打(オールスター史上3人目、パ・リーグ選手では史上初)を放った。第2戦では投手として登板し、高津臣吾を遊ゴロに打ち取っている。後半戦からは打順を変更され、3番に固定。前半戦までは打率が1度も.330を超えない状態が続いていたが、3番になってからは調子を上げ、固め打ちが目立つようになった。最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、猛打賞を26回(日本プロ野球記録)、1試合4安打を8回記録(達成当時、日本プロ野球新記録。現在はパ・リーグ記録)した。
9月23日の日本ハム戦では、延長10回裏にオリックスのリーグ連覇を決めるサヨナラ2塁打を放ち、前年のリーグ優勝時に果たせなかった「地元・神戸での胴上げ」を実現させた。読売ジャイアンツとの日本シリーズ戦では、第1戦の延長10回に河野博文投手から決勝本塁打を放つなど、活躍を見せる。チームは阪急時代の1977年以来19年ぶりの日本一に輝き、イチローは優秀選手賞を受賞した。また、3年連続となるシーズンMVPを手にした。3年連続シーズンMVPは日本プロ野球タイ記録であり、他に山田久志しか達成していない快挙である。
1997年
この年以降は主に3番打者として出場。6月に209打席連続無三振の日本プロ野球記録を樹立し、その後の日本ハム戦で下柳剛投手から三振するまで216打席連続無三振をマークした。三振の少なさは高校時代から知られており、高校3年時の三振はわずかに3つである。
1998年
張本勲の4年連続を抜いて、日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成。同時に、5年連続・通算5回目となる最多安打を記録した(連続回数、通算回数ともにパ・リーグ記録。5年連続は長嶋茂雄の6年連続に次いで歴代2位、通算5回は長嶋茂雄の10回、川上哲治の6回に次いで歴代3位)。
1999年
4月20日、日本ハム戦で金村曉投手から本塁打を放ち、日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。7月6日の西武戦では松坂大輔投手から通算100号本塁打を打った。前半戦だけで19本塁打を記録するなど、1995年以来のペースで本塁打を量産していたが、8月24日の対日本ハム戦において下柳から右手に死球を受け、負傷。残りのシーズンを棒に振った。これにより、1994年の開幕戦から続けていた連続試合出場が、パ・リーグ歴代4位の763でストップした。
2000年
開幕戦から4番に指名される。毎試合スタメン出場し、79試合目を終えた時点でも打率.401を残すなど高打率を維持。7月には通算10度目となる月間MVP(日本プロ野球記録)を受賞した。規定打席に到達して以後も一時は.397を記録するなど、1994年以来の高打率を残していたが、8月27日のロッテ戦で3回に三塁線へファウルを打った際に右わき腹を痛め、途中交代。その後出場を果たしたのは、神戸でのオリックス本拠地最終戦である10月13日の1試合だけで、9回に守備固めとしての出場であり、打席には立たなかった。イチローがメジャーリーグに挑戦するため日本球界を去ると記者会見をしたのが前日の10月12日であったため、この試合終了後、イチローはファンの大声援に手を振って応え、ファン一人一人と別れの握手をした。
最終的に、日本プロ野球歴代2位となるシーズン打率.387を記録し、張本勲と並ぶ通算7度目の首位打者(日本プロ野球記録)を獲得。6年連続となる最多敬遠(パ・リーグ記録)も記録した。ほか、通算5度目となる最高出塁率、7年連続通算7度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞を、それぞれ獲得した。
メジャーリーグ [編集]
2001年
ポスティング制度を利用してメジャーリーグの球団、シアトル・マリナーズに移籍する。メジャーリーグ移籍に関して本人は2000年に移籍と決めていたが、恩師である仰木彬監督に「もう1年だけ一緒にやろう」と引き留められ、断ることができずにチームに残ったという裏話がある[要出典]。
当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多かった。あるマリナーズの番記者は、日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われた。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だったルー・ピネラも、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ得点は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった[9]。イチローによれば、父である鈴木宣之からも「体が小さいから無理だ」と言われたという[10]。「51」という背番号をつけることになったときにも、当時のマリナーズには「背番号51」はランディ・ジョンソン(1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られてはいなかった[要出典]。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは誰もいなくなった。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『シアトル・タイムズ』紙に、「お詫び」のコラムを掲載している[9]。
開幕戦でいきなりマルチヒットを放ち、その後も順調にヒットを積み重ねた。MLBオールスターゲームでのファン投票では337万票を獲得し、日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となるなど、アメリカにおいても評価されるようになる。この年、1930年のビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、メジャーリーグのルーキー最多安打記録を更新(この年の両リーグ最多安打でもある)するとともに、アメリカンリーグの新人王・MVP・首位打者・盗塁王となった。首位打者と盗塁王を同時に獲得したのは1949年のジャッキー・ロビンソン以来2人目、新人でアメリカンリーグの打撃部門を制したのは1964年ミネソタ・ツインズのトニー・オリバ以来2人目。安打試合数の135試合はロジャース・ホーンスビー、チャック・クライン、ウェイド・ボッグス、デレク・ジーターら4人と並ぶメジャータイ記録で、単打192と打数692はアメリカンリーグ新人記録、打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには1975年のフレッド・リンのみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、ビンス・コールマン(盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、マーク・マグワイア(本塁打王)以来6人目である。当時、イチローの安打数が200を超えたあたりから、メディアでは「ルーキー最多安打記録」が話題になったため、リーグ機構が1947年に制定したルーキー資格を基に、過去の打撃記録を調べ直した結果、当初1927年のロイド・ウェイナーの「223安打」と思われていたルーキー安打数記録が、1911年にジョー・ジャクソンが記録した「233安打」に訂正される事態も起きている。
そのほかにも、リーグ2位の得点(127)を残し、得点圏打率(.445)、2死得点圏打率(.460)、2死得点圏出塁率(.558)、走者ありでの打率(.420)では両リーグを通じて1位を記録した。新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞を同時に手にしたのはメジャーリーグ史上、イチローのみである。記録的な活躍でチームのプレーオフ進出に貢献し、日本の一流打者がメジャーリーグでも通用することを証明した。
2002年
投手から警戒されるようになり、リーグ最多の27敬遠を記録する。四球も前年の30から68に倍増した。リーグ4位の打率を残し、208安打を打つも、最多安打にはあと1本及ばなかった。
2003年
5月にはメジャー通算500本安打を達成。7月には、新人から3年連続でオールスターファン投票両リーグ最多得票を獲得。これは、新人からという注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目の快挙であり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものにした。
2004年
84年間破られることのなかったメジャーの歴代シーズン最多安打記録、ジョージ・シスラーの257安打を5本上回る262安打を記録した。同時に打率.372を残し、メジャーでは3年ぶり2度目の首位打者にも輝いた。ジョージ・シスラーの記録は年間154試合の時代の記録で、イチローは160試合目での到達であったため[11]、米国内では少なからず疑問視する見方もあったものの[12]、この記録は内外で高い評価を受け、アメリカでは多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載され、『USAトゥデイ』紙にもバリー・ボンズが700号ホームランを打った時以来の全面広告でメジャーリーグが祝福の意を表した。史上8人目となるコミッショナー特別表彰を受け、アメリカ野球殿堂には特別ブースが用意された。日本からは正力松太郎賞特別賞が授与された。その際「打撃の神様」の愛称で知られる川上哲治に、「精神的にも技術的にも、『野球の神様』と言えば彼じゃないかと思う」と賛辞を送られている。2度目の国民栄誉賞の授与も打診され(2度とも辞退)、アジアの国々や野球に関心の薄いイギリスでも異例の取り扱いで新聞等のメディアがその記録達成を伝えた[13]。
得点圏打率(.372)、得点圏出塁率(.484)、2死得点圏打率(.472)、2死得点圏出塁率(.600)、走者あり打率(.364)、走者あり出塁率(.439)、対左投手打率(.404)、敬遠数(19)、出塁数(315)でもリーグ1位を記録。7月にシーズン2度の月間50本安打を達成、ジョー・メドウィック以来68年ぶりの快挙を成し遂げる。8月に球団記録のアレックス・ロドリゲスの月間54本安打を更新し、68年ぶりにロイ・ウェザリーの月間56本安打のタイ記録に並んだが、月間67本安打のタイ・カッブには届かなかった。正式な記録ではないが、7月18日から8月17日の間にヒットを67本打っている(この間の打率は.508)。通算4度の月間50本安打はピート・ローズに並び(メジャー記録はジョージ・シスラーの10度)、他に、2か月連続50本安打とシーズン3度の月間50本安打の記録を更新。9月、ビル・テリーの連続4シーズン918本安打も更新した。
2005年
メジャーでは自己最多となるシーズン15本塁打を記録した。通算記録では日本人選手として初めてメジャーリーグ1000本安打に達した。これは出場696試合目での達成であり、1933年のチャック・クライン(683試合)、1932年のロイド・ウェイナー(686試合)に次いで1900年以降3番目のスピード記録となった。
5年連続100得点30盗塁は6年連続のジョー・モーガン、タイ記録のリッキー・ヘンダーソンに次いで3人目(19世紀の記録を入れるとビリー・ハミルトンの10年連続が最高)。史上初のデビューから5年連続200本安打という記録も達成した。5度の200安打100得点30盗塁はタイ・カッブ以来89年ぶり、連続記録としては史上初。チャック・クラインの連続5シーズン通算1118安打を抜いた。
2006年
5月、メジャー通算200盗塁を達成、その翌日には日米通算400盗塁を達成した。6月、日米通算2500本安打を達成。7月26日に戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を抜いた。8月16日にロジャース・ホーンスビーが持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはメジャー通算400マルチヒットを928試合目で達成。これは6年目ではメジャー最速。9月には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーの連続6シーズン通算1313本安打を抜いた。9月7日に日米通算800マルチヒットも達成。9月9日にはジョージ・シスラーが持つ6シーズン最多安打1317本安打を超え、一週間後の9月16日、カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーリーグ史上3人目となる6年連続200安打を達成した。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録した。1シーズンの連続盗塁成功は39まで伸ばしたが、ビンス・コールマンの1シーズンのメジャー記録である44連続盗塁成功には及ばなかった。メジャー通算100敬遠と日米通算200敬遠も達成した。
2007年
5月3日、41連続盗塁成功を達成して、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新(従来の記録は、ティム・レインズの40)。5月16日にアメリカンリーグ記録を45まで伸ばす。5月18日の対エンゼルス戦、7回裏に先頭打者のイチローがヒットで出塁。この場面でベンチからヒットエンドランのサインが出て、イチローはヒットエンドランのタイミングでスタートを切るが、2番打者のホセ・ビドロがサインを見落として投球を見送り、ヒットエンドランに失敗。これが盗塁死扱いになってイチローのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録は「45」でストップし、ビンス・コールマンの連続盗塁成功50のメジャー記録更新は目前で逸した。7月5日、56試合中53試合に安打を放ってジョージ・シスラーやタイ・カッブに並ぶも、56試合中56試合に安打を放ったジョー・ディマジオや56試合中54試合に安打を放ったデレク・ジーターには及ばなかった。7月8日、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続7シーズン通算1479本安打を抜いた。
7月11日、7年連続で出場したオールスターゲームにおいてサンディエゴ・パドレス所属のクリス・ヤング投手からオールスター史上初のランニングホームランを放った。同試合ではこのランニングホームランを含む3打数3安打2打点を記録し、オールスターMVPを受賞した。7月17日には、1901年以降最多となるビル・テリーが持つ連続7シーズン最多安打1487本安打を超え、8月17日に19世紀以降最多となるジェシー・バーケットが持つ連続7シーズン最多安打1526本安打を超えた。9月3日のニューヨーク・ヤンキース戦ではロジャー・クレメンス投手から本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。センターとしてシーズンを過ごしゴールドグラブ賞を受賞したが、シーズン途中でコンバートなくライトとセンター両方でゴールドグラブ賞を獲ったのは、アンドレ・ドーソン以来であった。
マグリオ・オルドニェス(デトロイト・タイガース)との激しい首位打者争いに敗れはしたものの、リーグ2位の打率.351を記録。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、リーグ1位の二死得点圏打率.431、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮し、2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。この年、ゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時に受賞した選手は、アメリカンリーグではイチローとプラシド・ポランコ(デトロイト・タイガース)のみである。
2008年
6月7日、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続8シーズン通算1666本安打を抜いた。6月11日にメジャー通算300盗塁を達成し、5日後に日米通算500盗塁を達成。6月21日には1901年以降最多となるポール・ウェイナーが持つ連続8シーズン最多安打1680本安打を超え、7月27日には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーが持つ連続8シーズン最多安打1719本安打を超えた。7月30日、テキサス・レンジャーズのルイス・メンドーサ投手からレフト前に安打を放ち、日米通算3000本安打を達成。日本選手での3000本安打は張本勲以来2人目の快挙である。2175試合目に達成したため、2135試合で達成したタイ・カッブには及ばなかった。
9月17日、カンザスシティ・ロイヤルズ戦でショートへの内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。9月26日のオークランド・アスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200本安打100得点を8回記録したのはルー・ゲーリック以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了し、メジャータイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。
2009年
2009 ワールド・ベースボール・クラシックに出場し、打撃不振に苦しむも、決勝戦で値千金の決勝打を放ち、日本代表の連覇に大きく貢献した。大会終了後はマリナーズに合流してオープン戦数試合に出場したが、極度の疲労により体調を崩し、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の潰瘍が認められ、自身初の故障者リスト(DL)入りとなった[14]。

2009年7月14日、セントルイスのブッシュ・スタジアム内でのイチローとバラク・オバマ米大統領(右)。4月15日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で、張本勲と並ぶ生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000打点も達成した。当日は「ジャッキー・ロビンソン・デー(詳細はジャッキー・ロビンソンを参照)」だったこともあり、普段は背番号51のイチローも、この日だけは背番号を42に変更して出場した(なお、当日はイチローに限らず、選手や監督、コーチも背番号を42に変更して出場している)。翌日4月16日には3086安打目をライト前に放ち、記録を更新した。
7月28日、トロント・ブルージェイズ戦にて3対3の同点で迎えた9回、2アウト満塁の場面でスコット・ダウンズ投手から自身メジャー初となるサヨナラ打を記録した。9月6日、アル・シモンズの持つ最速記録1390試合に次いで史上2番目の速さとなる1402試合目で、メジャー通算2000本安打を達成。9月12日、テキサス・レンジャーズ戦で日米通算200号本塁打を達成し、その翌日の9月13日にはメジャー史上初となる9年連続200本安打を達成した。9月17日、シカゴ・ホワイトソックス戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録した。さらに翌日の9月18日、ニューヨーク・ヤンキース戦にて1−2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面でマリアノ・リベラ投手から自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録した。9月26日、トロント・ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、デビッド・パーシー投手が投じた2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議したイチローは、日米通じて自身初の退場処分を受けた。
4月から10月まですべての月で月間打率3割以上を記録し、昨年の8月から続いていた2試合連続無安打なし記録を9月下旬まで継続。併殺打の数もわずかに1に留めるなど、シーズンを通して抜群の安定感を見せた。同シーズンはジョー・マウアーと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.352と、メジャー史上初となる4年連続最多安打を記録。また、メジャー移籍後では自己最高の長打率を残した。自身3度目の最多敬遠も記録し、2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞した。シーズンを通じての「100得点」「30盗塁」の連続記録は途絶えたが、「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」については9年連続と伸ばした。
世界大会 [編集]

WBC日本代表でのイチロー第1回WBC
「オリンピックはあくまでもアマチュアのための大会。自分はプロ」という考えで[15]、オリンピックなどへの参加を断り続けていたが、2006年に初開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックにはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加した。1次リーグこそ本調子でなかったものの、2次リーグ、準決勝、決勝と試合が進むごとに調子を上げ、アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録。決勝の対キューバ戦では、中押しのきっかけとなる2塁打と、1点差に詰め寄られた後に突き放すタイムリーヒットを放った。マリナーズでは考えられない感情・闘志むき出しのプレイを見せつつ日本チームを牽引し、優勝に貢献した。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録し、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門のベストナインに選ばれている。

第2回WBC
2009年に開催された第2回大会でも、引き続き日本代表に選出。この大会では、開幕前の練習試合から全く安打が出ず、開幕後も打率.200前後という絶不調の状態に陥り、マスコミなどからはバッシングも受け、"国民の心配事"とまでささやかれた。それでも原辰徳監督は全試合でイチローを1番に起用し続け、最終的にイチローもそれに応える。決勝の韓国戦で、6打数4安打、延長10回に林昌勇から決勝の2点タイムリーを放つ大活躍。大会全体では打率.273(44打数12安打)ながらも最後の最後で日本の連覇に大きく貢献した。その後のトロフィー授与式や祝勝会では、普段クールなイチローも笑顔を絶やすことはなかった。

選手としての特徴 [編集]
打撃 [編集]

イチローの5号本塁打
2005年6月17日のニューヨーク・メッツとの試合にて。投手は石井一久。メジャーではほとんどの試合で1番打者を務めており、リーグを代表するリードオフマンとして知られる。単打の割合が高く、メジャーの歴代シーズン最多単打記録を保持している。日本時代は後期にクリーンナップを打っていたこともあり、長打を打つことが多かったが、メジャーに移籍してからは、より単打の多いバッティングスタイルになった。現役プロ野球選手としては小柄なほうで、本塁打数も歴代シルバースラッガー賞受賞者の中では最も少ない部類に入る。本塁打に関しては、打てないというわけではなく、前マリナーズ監督のボブ・メルビンがケーブルテレビ局・ESPNに「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(ホームランを)打っているよ」と語っているように、ウェイド・ボッグスと同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われる[16]。コラムニスト・木本大志は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打った時では軸の位置に違いがあることを言及している[17]。イチロー自身も『ニューヨーク・タイムズ』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになった事は一度もない」と語っており[18]、別のインタビューでは「正確に言うと、狙って打つものというよりも、僕の場合は狙わないと打てないって方が当たってるんですよね。なかなかヒットの延長でスタンドまでオーバーフェンスするっていうのは、僕の力ではむずかしいですよ」「ホームランバッターっていうのは、ヒットの延長がそのままスタンドに入ることもありうると思うんですけど、僕の場合はほとんどないんですよね。そういう意味です」とも語っている[19]ことから、本塁打は意図的に打っていることが汲み取れる。実際それは記録上にも現れており、日本時代の1000本安打目を始め、節目の安打は本塁打が多く、メジャーでの通算本塁打のうち3分の1以上が初回先頭打者本塁打である。日本時代に当時130試合制の1シーズンで25本塁打、メジャー時代に1シーズンで15本塁打を放ったこともあり、日本人選手の中では松井秀喜に次ぐメジャー通算長打率を残してもいる。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりながら語っている[20]。

イチローのバッティングスタイルは、変化球を打ちにいき、直球を“詰まりながら”内野と外野に落とす。または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいく[21]。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、一塁への到達時間が短い。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ためである。そのため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるような内野ゴロが安打になることが多い。日本時代は全安打の約16%[4]、メジャーでは全安打の約23%を内野安打が占めており(2009年シーズン終了時点)、内野安打の多さは突出している。さらにこのような内野安打は「狙って打っている」と語っており[21]、イチローの高打率は、内野安打を打つ技術に裏打ちされている。

2001年のメジャーデビュー当初、元マリナーズのチームメイトであったジョン・オルルドは、イチローの打撃について5通りの打ち方をすると評している。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりながら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)であるという[22]。

四球を望まず積極的に打ちにいくタイプで[23]、三振・四球ともに少ない。カウント別安打の最多は日米ともに「初球」であり、0-1のカウントでの安打が2番目に多く、早打ちの傾向が顕著である[4]。ただ敬遠の数は多く、年10回以上されることが多々あり、通算でも200個を超えている。2005年はシーズン最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろジョー・ディマジオの持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示した[24]。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか』という問いで、56試合連続安打のほうを選んでいる[25]。

一軍に定着した1994年シーズンから、メジャー移籍後の2009年シーズンまで、16年連続で打率3割以上をマークしている。さらにメジャーでの通算打率も現役選手中2位につけているなど、高打率を記録しているが、本人は「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視している[26]。書籍『イチローイズム』では、著者の「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で、3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている。安打に関しては、日本プロ野球とメジャーリーグ両方の歴代シーズン最多安打記録を保持している。また、日米合わせて11回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である(メジャーでの最多安打を記録していない3シーズンは、すべてリーグ2位)。

打席に入ると背筋を伸ばし、やや後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、1996年シーズンから必ず行うようになった。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があるとも言われている[27]。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称される[28]。メジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、ハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、止めどなく変化を続けるバッティングフォームであるが、2004年シーズン中である6月24日の夜に行ったフォーム改造で、「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っている[29](この時、なにかが降りてきたかのようにフォーム改造を思いついたことから、一部で「シスラーが憑依した」とも言われた)。このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っている。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えている。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えた。

得点圏に強く、日本時代の通算得点圏打率が.365[4]、メジャー時代の通算得点圏打率が.340という数字を残している。シーズンでは、日本時代に1996年から1998年までリーグ1位、1994年・1995年・2000年でリーグ2位を記録している。メジャー移籍後は2001年と2004年にリーグ1位、2007年にリーグ2位を記録している。満塁にも強く、日本では通算満塁打率.363を記録しており[4]、メジャーでは通算満塁打率.427(96打数41安打)を誇っている。満塁本塁打率も高く、日本時代の14.7本に1本の割合(118本中8本)は通算満塁本塁打が7本以上の選手の中では日本プロ野球歴代1位であり、駒田徳広と並ぶ6年連続満塁本塁打の日本プロ野球記録も持っている。メジャー移籍後は満塁本塁打を4本放っており、満塁では長打率が上がる傾向にある。

上記のように高い得点圏打率を記録しているものの、打順や敬遠四球の関係から得点圏での打数自体が少なく、本塁打の数が長距離打者ほど多くないことも相まって、100打点以上を記録したことは1度もない。日本時代の1995年には打点王を獲得しているが、得点圏打数はわずかに92であった。1999年も100打数にすら到達しておらず、メジャーで159試合出場した2003年も105打数に終わっている。他の年はほとんど120打数前後である。1997年のみ他の年と比べて得点圏打数が突出しており(166打数)、この年は91打点を記録している。メジャー移籍後の2001年には、ほとんどの試合で1番打者として出場し本塁打が1桁ながら、69打点をマークしている。2005年と2007年には1番打者で68打点(マリナーズの球団記録)を稼いでいる。打点に関しては本人は重視しておらず、2009年に日米通算1000打点を達成した際、「打点のことは全く頭になかったですね」と口にしている[30]。また、このような勝負強さから、メジャー移籍後の2002年に3番打者を数試合任されたこともあった。この間の打率は.571と打ち込んだが、本人は「僕が3番を打つということは、チーム状態が良くないという証。良いことではない」と述べている[31]。

左打者ながら左投手を得意にしており、日本時代の対左投手通算打率が.371[4]、メジャー時代の対左投手通算打率が.345で、それぞれ自身の通算打率を上回っている。特に2004年シーズンは4割以上を記録するなど、左投手をカモにしていた。

守備 [編集]

守備につくイチロー
2001年7月8日のロサンゼルス・ドジャースとの試合にて。2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった[32]強肩に加え、「レーザービーム」と称されるコントロールのいいスローイングのため、他球団からは最もタッチアップしにくい外野手に挙げられている。コントロールの良さは、マリナーズのCMのメイキング映像で、外野からキャッチャーミット目がけて指定したコースにカーブを投げ、ストライクになっている事からも窺える。記録には出ないファインプレーも魅力のひとつになっている。この守備はメジャーでも高い評価を受け、ゴールドグラブ賞を2001年から2009年まで9年連続で受賞している。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりする。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と守備範囲の広さから超常現象がよく確認されるというネバダ州の米軍秘密地区に掛けて、「エリア51」と呼ばれていた。

前述の「レーザービーム」は、2001年4月10日のオークランド・アスレチックス戦で、ライトヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことに所以する。日本では「レーザービーム」という表現が定着しているが、アメリカにおいては特段そのように呼ばれる事はない。インパクトのある送球を全般的に"the Throw" と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている[33]。

2005年5月2日のロサンゼルス・エンゼルス戦の7回表で、ギャレット・アンダーソンが打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチした。スパイダーマンのように壁を駆け上がって捕ったとアメリカメディアが報道したため[34]、「スパイダーマンキャッチ」と称された。

高校時代は投手をしていたが、登板のない時などは外野手もやっていた。夏の甲子園に出場した際には左翼を守っている。プロ入り後、210安打を放った1994年からは本西厚博(のちに谷佳知)、田口壮とともに当時日本一と言われたオリックス外野陣の一翼を担った。日本時代は主に右翼手を務めたものの、中堅手を任されることも多々あり、一つのポジションに定着することはなかった(1998年は左翼手で20試合以上スタメン出場している。オールスターゲームや日米野球戦でも左翼を守ることがあった)が、1999年シーズン以降は右翼手に固定された。メジャー移籍後もほとんどの試合で右翼を守っており、休養時などはDHとして出場することもある。2006年シーズン途中から中堅手にコンバートされ、2007年は中堅手でもゴールドグラブ賞を受賞している。2008年のシーズン途中から右翼手に戻り、同年、2009年と続けてゴールドグラブ賞を受賞している。

打撃と同じく守備でも積極的な傾向が見られ、メジャー9年のキャリアで右翼手リーグトップの刺殺数を6回、中堅手リーグトップの刺殺数を1回記録している。あとの2シーズンは途中でコンバートされたためのものであるため、ひとつのポジションを守り続けたシーズンは、すべてそのポジションの刺殺数リーグトップを記録していることになる。俊足で守備範囲も広いため、本来なら他のポジションの捕球するような打球を、自ら捕りに行く姿がしばしば見られる。2007年の試合では、左翼定位置への犠牲フライを中堅から走ってきて捕球し、そのまま本塁へ送球したことがある。また2009年の試合では、1点リード9回2アウト満塁の場面からの、一塁側フェンス際へのファウルフライを、右翼から走ってきてスライディングキャッチし、試合を終了させたこともある。

守備機会の多さの割りに守備率も高く、2001年から2003年まで3年連続で右翼手リーグトップの守備率をマークしている。中堅手としてプレーした2007年に至っては刺殺数が400を超えながら失策数を1に留め、それまでマリナーズの球団記録だった1992年ケン・グリフィー・ジュニアの.997を抜く、シーズン守備率.998(同年のリーグトップでもある)を記録している。しかし近年は守備率がやや下がっており、2008年、2009年と9割9分を下回っている。ただ、失策に関しては捕手が関わっているものもいくつかあり、2008年の試合では、イチローの送球をジェイミー・バーク捕手が後逸し、イチローに失策がついた。これに対して本人は「あれって僕のエラーなんですかね?」と疑問を口にしている[35][36]。

走塁 [編集]

三塁を駆け抜けるイチロー
2007年9月22日のロサンゼルス・エンゼルスとの試合にて。1995年と2001年に盗塁王のタイトルを獲得し、メジャーではほぼ毎年30盗塁以上を記録している。盗塁は成功率を重視し、盗塁数を増やすことはそれほど重視していないとコメントしており、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁するスタイルをとっている。盗塁数に関しては、年間30から40の間が理想だともコメントしており[37]、2008年シーズンは70試合の時点で30盗塁を稼ぐなど[38]一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台に終わっている。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられている[39]。

メジャー移籍後は30盗塁をノルマのひとつとし[40]、2001年から2008年まで毎年盗塁数でリーグ5位以内に入っていた[41]。2009年は、シーズン中盤に左ふくらはぎを痛め8試合欠場して以降、盗塁企図が減り、メジャー移籍後では初めて30以下に終わった。盗塁の通算成功率は高く、日本時代に199盗塁をして.858、メジャーで341盗塁をして.812の記録を残している。シーズン記録では、日本時代に30盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(1996年、1997年)、メジャー時代に40盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(2006年、2008年)達成している。特に2006年シーズンは45盗塁を記録しながら盗塁死を2に留め、.9574という数字をマークしている[42]。また、「シーズン連続盗塁成功」と「シーズンをまたいでの連続盗塁成功」両方のアメリカンリーグ記録保持者でもある。

「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており[43]、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」ことなどを挙げている[44]。

怪我のリスクを最小限に抑える目的から、ヘッドスライディングはほとんどしない。一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、これを行ったソフトバンクホークスの川崎宗則に対して苦言を呈し、話題になった[45][46]。盗塁や進塁の際、アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングから急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度なフェイントを見せることがある。2005年5月15日のボストン・レッドソックスとの試合では、本塁突入の際ホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた捕手ダグ・ミラベリの背中を飛び越そうとするプレーを見せた。

ホームベースから走って1塁までの到達する時間は約3.7秒であり、メジャートップクラスである[47]。

評価 [編集]
この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されています。詳しくはノートを参照してください。

試合に臨むイチロー
2008年、アトランタ・ブレーブスとの試合前にて。
リードをとるイチローアメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップに輝いた[48]。2006年の投票では、「最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、「最も俊足のベースランナー」で3位に選出された[49]。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、「最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価を受けている[50]。2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価を受けている[51]。『スポーツ・イラストレイテッド』誌では、「イチローを首位打者候補に予想しないのは、タイガー・ウッズを優勝候補から外すのと同じ」と評した。また、同誌は2005年のMLB特集記事において、イチローを「理想の1番打者」と評している[52]。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表し、姚明(NBAヒューストン・ロケッツ)や野茂英雄らを抑えてイチローを1位に選出した[53]。第1回WBC終了時には、米スポーツ専門ケーブル局『ESPN』のコラムニストがイチローを絶賛し、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と評し、将来の殿堂入りについても言及した[54]。MLB公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載し、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付けた[55][56]。

米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」と評価する声もある[57]。地元シアトルでは非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている[58]。2007年には、シアトルの地元紙が企画したファン投票で、地元選手の人気第1位に輝いた。 2005年にスーパーボウル進出を果たしたNFLチーム、シアトル・シーホークスでリーグMVPに輝いたRBショーン・アレキサンダーをも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという[59]。同年には、ESPNがウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、デレク・ジーター(ニューヨーク・ヤンキース)を抑えてトップに立った[60]。更に、米国のスポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、米大リーグ488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された[61]。発表した。翌2008年には、米4大ネットワークのひとつ、FOXが各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出し、三塁手のアレックス・ロドリゲス(ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手のブラディミール・ゲレーロ(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利なセーフコフィールドを本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した[62]。2007年のオールスターゲームでMVPを獲得した際には、ニューヨーク・タイムズなどの米主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」、「歴史をつくった」と賛辞を送った[63]。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子テニスのウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた[64]。 通算3,141安打のトニー・グウィンは、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった。」と高く評価し、7年連続200安打の記録を持つウェイド・ボッグスも、イチローの殿堂入りを期待してエールを送った[65]。

ニューヨーク・ヤンキースの捕手ホルヘ・ポサダはイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同チームの王建民は試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。同じくヤンキースのアレックス・ロドリゲスは、2006年のオールスターゲームの際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ[66]。同僚のジャロッド・ウォッシュバーンは「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評している[18]。

小泉純一郎元首相は、2004年のシーズン最多安打記録樹立の際、「もうすごいの一語に尽きるね。これだけの偉大な選手はもう当分出ないんじゃないかな。天賦の才能に加えて、人一倍の努力。偉大だね。どんな称賛の言葉を言っても、言い過ぎることはない」と褒め称えた[67]。また、今上天皇は、2001年の記者会見で、「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」と述べ[68]、2004年の記者会見では、「イチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした。」と述べている[69]。2009 ワールド・ベースボール・クラシック後は野球界のみならず政界などの各方面からもイチローを賞賛するコメントが発せられた。キューバのフィデル・カストロ元議長は、決勝戦後に「イチローは世界最高の打者。」と絶賛した[70]。

各種メディアでの調査等でも、イチローの高い人気が証明されている。マークスJPによる「最も好きなスポーツ選手」ランキングではあらゆる世代で2位以下を圧倒し1位となった[71]。東京商工会議所が実施した新入社員の意識調査によると、「理想の社長」の項目で北野武と並んで1位[72]、中央調査社による2007年の「最も好きなスポーツ選手」でも1位であった[73]。また、2007年にオリコンが実施した「好きなスポーツ選手」の調査でも男性選手部門で1位[74]、「世界に誇れる日本人」のランキングでも、男性部門で1位となった[75]。「2008年に同じくオリコンが実施した「世界で活躍する日本人アスリート」のランキングでは2位以下に圧倒的な差をつけて1位になった[76]。gooによる「憧れの理想体型を持つ男性有名人ランキングでも1位であった[77]。博報堂が行った「「アスリートイメージ評価調査」では、「好感が持てるアスリート」で1位となり、総合ランキングでも1位となった[78]。2009年には、学校法人産業能率大学が新入社員を対象に実施した『理想の上司』のアンケートでは、「男性上司」の部門で1位の座に輝いた[79]。

マリナーズの低迷も重なり、独自の野球観と孤高な態度がチームワークを乱すとの不満が度々表面化している。2008年6月には、カルロス・シルバの「(チームが負けても)ヒットを2本打てば『今日は僕の(活躍の)日でしたね』なんて言ってる奴がいる」(If I get my two hits, it's OK. That's my day. I made my day.)という発言が、「イチローを批判している」と解釈され、日米のメディアで物議を醸すことになった[80]。2007年5月のタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)戦前には、イチローは“自分勝手な(selfish)”選手だとの声がチーム内で聞かれ始めたことを受けて、当時の監督マイク・ハーグローブが急遽ミーティングをして沈静化しており[81]、2008年には『シアトル・タイムズ』紙が、「“信じ難い人数のチームメートがイチローを嫌って”おり、彼らが『イチローを”殴り倒してやりたい(wanting to knock him out)”』と話していたのを耳にした」と言う内部者の話を掲載している[81]。それを知った当時の監督ジョン・マクラーレンによってミーティングが開かれ、未遂に終わったというが、記事掲載当時の監督代行ジム・リグルマンとJ.J.プッツがこれを否定し、イチローを擁護した[82]。しかし、翌年になって、リグルマンは同紙の取材に対し、チーム内でイチローに対する敵意が存在することに驚いたことを明かし、この件に関してメディアが騒ぎすぎだと主張した[83]。

チームメイトのライアン・ローランドスミスは、「イチローはクラブハウスでとても尊敬されている(Ichiro is very very respected in the clubhouse)」と述べ、「真のプロフェッショナル」、「特別な選手」として絶賛すると共に、イチロー批判を行った選手を非難している。2009年に新加入したケン・グリフィー・ジュニア、マイク・スウィーニーのベテラン2選手からも人望が厚く、イチローが体調不良でダウンした際には、グリフィーとスウィーニーがストッキングを上げる「イチロースタイル」の着こなしを見せ、イチローの早期回復を願った。スウィーニーは「彼がいないのはとても寂しいこと。」と語っていた[84]。元監督ジョン・マクラーレンは、グリフィーとイチローの関係がマリナーズのクラブハウスに平和と一体感を呼び戻すのに重要な役割を果たすだろうと述べた[85]。第2回WBC終了後には、ESPNが「WBCで新たなイチローが姿を現した」と題した記事を掲載し、「チームの雲の上の存在にならずに、歯車として働いた。」として、チームリーダーとしての新境地を見せたイチローを評価した[86]。 2009年シーズンは、グリフィーの存在によりチームメイトとも打ち解け、ドン・ワカマツ監督は前年に存在したイチローに対する敵意は消滅したと語った[87]。2009年7月、イチローはシアトル・タイムズ紙の独占インタビューに応じ、「昨年のクラブハウスの、イチローへの反感」については、「正直言って、僕はよくわからない。去年から今年にかけて、僕自身は何も変わっていない。言えることは、新しい選手が入ってきたということ。そして、監督も新しくなった。去年あったことは、もう存在しない」と語った[88]。

特筆 [編集]
人物 [編集]
普段はメディアの取材に積極的に応えることはないが、糸井重里との対談で、「僕はゲームの後にその日の試合のことについて語ることを、あまりしていません。それは真剣に見てくれている人々のことを考えると、いい加減なことを言えないからです。適当にあしらうことはできないんです」と語っている。「オフになってからは『イチローは何を考えているのだろう』という質問に答えることにしています」との言葉どおり、オフの特別番組やロングインタビュー等には積極的に応じている。同対談では「一時的な注目ではなく、何年も僕に興味を持ってくれる人達とは、もう一生の付き合いだと思っているんです」とも語っている。

メディアへの接し方については、「メディアと選手というのは戦っています。お互いが緊張しなくてはいけないし、お互いが育て合う関係だと思います。ですから妥協はしたくないのです」とインタビューで発言している。そのため、メディアと選手とが馴れ合っているような関係を快く思っていない[89]。

若手時代は今と違ってむしろマスコミに対して好意的で、バラエティ番組にもよく出演し、明るく喋っていた。急変したのは評論家・永谷脩が事実無根の文章を書いて発表して以降である[90]。

打席に入る前にバットを正面に立てる動作について、2003年のインタビューで「集中するための儀式。ゴルファーが行う一連の動作と同じ。自分の形を作って、まず自分を落ち着かせる。自分のペースに持っていくということです」と答えたことがある。インタビュアーの「バットを立てたとき何を見ているのか」という質問に対しては、「最初にバットを見て、それからピッチャーの後ろのほうをぼんやり見ている。それからピッチャーを見る。今の形になったのは、1998、1999年ごろ。いろいろ試してみて、これがしっくりきたんです」と答えている。 同インタビューで「もし、野球というスポーツがなかったら、どんな人生を歩んでいたか」という問いに対し、「組織の中で自分を殺して生きていく事はできないタイプなので、自分で何かをやっていたと思う。何かは分かりませんが。サラリーマンは勤まらないでしょう」と語っている。

自身のペースに合わせた練習や試合後のケアに十分な時間を割いている。オリックス在籍時、昼近くになってからイチローが練習場に到着。早朝練習に熱を入れていた佐藤和弘は、イチローの遅い練習参加を鼻で笑う。しかし早朝練習からくる疲労でナイトゲームが始まる頃には佐藤は睡魔に襲われ、午後から体を慣らしていたイチローはベストコンディションで試合に臨んだ。試合後も浴室内において、佐藤が「目のやり場に困る」と冗談にするほど、イチローは十分なストレッチを行い身体をケアしていた。メジャー移籍後も徹底した自己管理は続いており、現在でも20歳代の頃と変わらぬ体脂肪率6~7%を維持している。

1992年当時、オリックスの2軍打撃コーチであった河村健一郎は、イチローら新人選手たちにレポートを提出させた。イチローは「12年間で2000本安打を達成する」と目標を書いていたという。そのレポートから12年後の2004年、イチローは日米通算2000本安打を達成している。

国民栄誉賞を2度打診された初の人物であり、同じく2度断った初の人物でもある。

家族 [編集]
妻は元・TBSアナウンサーの福島弓子。子供はいない。柴犬を飼っており、非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「一(いつ)」+「弓(きゅう)」としたものである。

4歳年上の兄・鈴木一泰は、グラフィックデザイナー。イチローが現在使用する野球用品には、彼がデザインした専用ロゴが刻まれている。主な作品に日本BS放送のマスコット「BEAMO」、ボビー・オロゴンの「もす!」Tシャツのロゴなどがある。

用具 [編集]
バットはミズノの篠塚和典モデルがベースであるという。ヘッドを軽量化させており、直径60.5ミリという極細。芯の部分も細く、使うには相当な技術が要求される[91]。バット製作にあたってミズノの工場内にある歴代選手シグネーチャーモデル展示室に並ぶバットの中で、本人いわく「遠くから見ても、それだけがもうチカチカ輝いていた」と言い、手に取ると何から何まで自分にピッタリであったとのことである。自分の調子に合わせてバットを変えるということはせず、バットを変えることなく自分を調整していくため、オリックス入団時から一貫して同じ形のバットを使い続けている。イチローを含め様々なプロ野球選手たちのバットを作ってきた、バット職人である久保田五十一は、「私の記憶の中では、これほど(バットを)変えない方はいらっしゃらないですね」とイチローについて語っている[92]。

スパイクシューズは山陰アシックス工業が製作している。年々改良が続けられている専用シューズは軽量化に重点が置かれており、2009年モデルは片足約250gという超軽量化を実現している。反面、スパイク部分に使用されている特殊素材は軽量化の代わりに耐久性を犠牲にしており、3試合程度の使用で新品と交換している。同社がイチローのために製造しているシューズは試合用と練習用を合わせて年間150足を超える。

バットやグローブを「道具ではない。自分の一部。自分の体の一部」だと語るほど、使う野球用品を非常に大切に扱っている[33]。そのため、打った直後も必ずバットを静かに置く。オリックス時代に1度だけバットを放り投げたことがあり、そのときのことについて、「後ですごく後悔して、それから特に道具に対する気持ちが強くなってますね」とインタビューで答えている[93]。2007年の試合で、球審がバッターボックス付近に転がっていたイチローのバットを蹴飛ばした際には、ベンチから大声を張り上げて激怒した。このときは当時監督のジョン・マクラーレンが代わりに抗議し、沈静化している[94]。

他の選手の野球用具は絶対に触らない。チームメイトだった城島健司は、「人のグローブ、人のバットは絶対に触らないですからね。手に重さだったり形だったりが残るのが嫌なんですって」とイチローについて語っている[21]。

グラブの手入れについては、「気持ちが芽生えてきますから。グラブに対する気持ちが。」「作ってくれた人に対する感謝、小さい子なら買ってくれた人への感謝の気持ち、自分のプレイに対する愛情。こういうところが、グラブを磨くことでとても変わってくるんですよ」とインタビューで答えている。また、自身が子供にグラブの手入れをするよう呼びかけることについては、「決して『きれいにしろ』というだけの意味ではありません。そのグラブで練習をしたことっていうのは、体に、必ず残るわけですよ。記憶が体に残っていく。でも、何も手入れしてない汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残らないですよね。そういう意味もあるんですよ」と答えている[95]。

2008年3月、それまでイチローのグラブを作っていた坪田信義が引退し、坪田の弟子である岸本耕作がイチローのグラブ製作を引き継いだ[96]。イチローは2008年シーズンいっぱいを岸本のグラブで過ごし、ゴールドグラブ賞を受賞。このことについてインタビューで「岸本さんのグラブになってゴールドグラブ賞がとれなかったら、おそらく岸本さんは自分を責めたでしょう。僕はそれを何としても阻まないといけないという思いで守っていました」と答えている。

趣味・好物 [編集]
少年期からドラゴンクエストのファンである。プロ野球選手になってからも暇なときや怪我をしているときなどに、よくプレーしている[97]。また、イチローの所縁の品が展示されているアイ・ファインには、イチローが少年期にプレーしたドラゴンクエストシリーズのソフトが展示されている[98]。

車好きであり、日本ではCMに出演していた日産自動車のインフィニティQ45やシーマ、1000万円以上かけてチューンしたマーチなどに乗っていた[99]。アメリカでは同じく日産のインフィニティ・G35クーペやポルシェ・カレラGT、オールスターMVPの副賞として贈呈されたシボレー・タホ・ハイブリッドなどを所有している。

偏食家であり、独身時代は牛タンを主食とし、神戸市三ノ宮の牛タン専門店「牛や たん平」の常連となっていた。メジャーリーグに行ってからの7年間、シアトルにいる際の昼食はほとんど弓子夫人手作りのカレーである[21]。

記録など [編集]
日本時代のオールスターでは、初出場の1994年第1戦から2000年第3戦まで連続フルイニング出場しており、1996年の第2戦以外、すべての試合で安打を記録している。1995年は前半戦を十冠王(安打、本塁打、打点、盗塁、塁打、得点、死球、得点圏打率、出塁率、長打率)で折り返した。このことを同年のオールスター第1戦で実況が話題に出し、聞いた解説の江川卓は笑っていた。

日本での通算打率は.353であるが、4000打数以上が条件である通算打率へのランクインには381打数足りない。日本に復帰した場合、381打数で3安打すれば通算打率は.3203(4000打数1281安打)となり、通算打率1位のレロン・リー(.3200)を上回る。

スロースターターであり、メジャーでの4月通算打率は.294で、4月から9月までの月間別通算打率の中では自己最低を記録している。メジャーのシーズン歴代最多安打記録を樹立した2004年も、4月の打率は.255であった。しかし、翌月の5月になると途端に打撃の調子が上がる傾向にあり、メジャーでの5月通算打率は.366で、4月から9月までの月間別通算打率の中では自己最高を記録している(2009年シーズン終了時点)。

日米通算のため参考記録ながら、2004年5月21日に30歳6か月で2000本安打を達成している。榎本喜八の31歳7か月を抜いて日本人最年少記録であり、1465試合での到達は川上哲治の1646試合を抜いて日本人最速記録である。2008年7月29日に日米通算3000本安打を達成したが、2175試合、34歳9か月での達成はいずれも張本勲の2618試合、39歳11か月を大幅に上回る早さである。

ドラマ出演 [編集]
『古畑任三郎 ファイナル』第2話(2006年)に、主人公・古畑と対決する犯人役「シアトル・マリナーズのイチロー」として出演した。それまでの古畑作品で、犯人役を本人が演じたのはSMAPのみであった。イチロー本人も『古畑任三郎』シリーズの大ファンと公言しており、プロデューサーと思惑が一致したため、出演に至ったとされている。出演ギャラはお金の代わりになんと『古畑任三郎』DVD-BOXセットのみであった。全シリーズ合わせても10万円相当であるため、破格のギャラであるといえる。

シリーズの脚本家である三谷幸喜はエッセイや2008年の再放送時のコメント映像中で、出演が決定し、イチロー本人と対面した際に、殺人犯役でそのまま「イチロー」の名前を使うのはためらわれるので「ハチロー」のような役名や別の職業にしてはどうかと提案したが、イチローが「これは本人役じゃないと面白くない。自分を演じたい。」と熱望したため、そのまま「シアトル・マリナーズのイチロー」にした、と語っている。あくまでフィクションである事を示すため、レギュラーキャラクターの一人の「義弟」であるとの設定にされている。キャラクターについても「嘘はつかない」「フェアプレーを好む」「残虐な殺し方はしない」などイチロー本人の要望やイメージが反映されており、私利私欲でなく恐喝に苦しむ義兄を救うために殺人を犯す一方で、アリバイ工作や偽証を拒んで古畑に不敵に頭脳戦を挑むという役どころとなっている。撮影に当たっては台詞を完璧に憶えてNGはほとんど無かったと言われており、主演の田村正和は「役者の鑑」と評した。視聴率は27%で、12年続いたシリーズの中では7番目に高いものとなった。

イチローがチームのオフィシャル雑誌『Mariners』に語ったところによると、2004年に最多安打の記録を達成したオフシーズンに初めて野球以外で何かしてもいい気になったという。2005年の春季キャンプを迎える直前の2月に神戸のホテルで初めて脚本に目を通し、本人の話では冗談混じりにみすぼらしい演技で関係者に引き取ってもらい、面白い話が来た程度で終わらせようと考えたそうであるが、いざゴーサインが出た時は番組のレベルを考えてかなり緊張したと語っている。シーズン終了後の10月に東京ドームの駐車場で撮影が開始。今までやったことのない世界で、その世界の一流の出演者と共演し、本当に自分が番組のレベルにあった演技ができるのかどうか考えてとにかく怖かったと語っている。後日インタビューで、守備に就いている時に台詞の練習をしていたことや(グラブで口を隠して練習していた)、2005年シーズンの成績が他の年に比べて下がったことを引き合いに出して、「台詞の練習をしていたせい」だと冗談混じりに語っている。

イチローは以前にも映画『走れ!イチロー』(2001年・監督大森一樹)で本人役として出演を果たしているが、台詞は無かったため、台詞をしゃべるのは本作が初めてであった。

年度別打撃成績 [編集]

度 球
団 試
合 打
席 打
数 得
点 安
打 二

打 三

打 本

打 塁
打 打
点 盗
塁 盗

死 犠
打 犠
飛 四
球 敬
遠 死
球 三
振 併

打 打
率 出

率 長

率 O
P
S
1992 オリックス 40 99 95 9 24 5 0 0 29 5 3 2 1 0 3 0 0 11 0 .253 .284 .305 .589
1993 43 67 64 4 12 2 0 1 17 3 0 2 1 0 2 0 0 7 2 .188 .212 .266 .478
1994 130 616 546 111 210 41 5 13 300 54 29 7 7 2 51 8 10 53 3 .385 .445 .549 .994
1995 130 613 524 104 179 23 4 25 285 80 49 9 0 3 68 17 18 52 7 .342 .432 .544 .976
1996 130 611 542 104 193 24 4 16 273 84 35 3 0 4 56 13 9 57 8 .356 .422 .504 .926
1997 135 607 536 94 185 31 4 17 275 91 39 4 0 5 62 14 4 36 10 .345 .414 .519 .933
1998 135 558 506 79 181 36 3 13 262 71 11 4 0 2 43 15 7 35 21 .358 .414 .518 .932
1999 103 468 411 80 141 27 2 21 235 68 12 1 0 5 45 15 7 46 5 .343 .412 .572 .984
2000 105 459 395 73 153 22 1 12 213 73 21 1 0 6 54 16 4 36 3 .387 .460 .539 .999
2001 SEA 157 738 692 127 242 34 8 8 316 69 56 14 4 4 30 10 8 53 3 .350 .381 .457 .838
2002 157 728 647 111 208 27 8 8 275 51 31 15 3 5 68 27 5 62 8 .321 .388 .425 .813
2003 159 725 679 111 212 29 8 13 296 62 34 8 3 1 36 7 6 69 3 .312 .352 .436 .788
2004 161 762 704 101 262 24 5 8 320 60 36 11 2 3 49 19 4 63 6 .372 .414 .455 .869
2005 162 739 679 111 206 21 12 15 296 68 33 8 2 6 48 23 4 66 5 .303 .350 .436 .786
2006 161 752 695 110 224 20 9 9 289 49 45 2 1 2 49 16 5 71 2 .322 .370 .416 .786
2007 161 736 678 111 238 22 7 6 292 68 37 8 4 2 49 13 3 77 7 .351 .396 .431 .827
2008 162 749 686 103 213 20 7 6 265 42 43 4 3 4 51 12 5 65 8 .310 .361 .386 .747
2009 146 678 639 88 225 31 4 11 297 46 26 9 2 1 32 15 4 71 1 .352 .386 .465 .851
NPB:9年 951 4098 3619 658 1278 211 23 118 1889 529 199 33 9 27 384 98 59 333 59 .353 .421 .522 .943
MLB:9年 1426 6607 6099 973 2030 228 68 84 2646 515 341 79 24 28 412 142 44 597 43 .333 .378 .434 .811
通算:18年 2377 10705 9718 1631 3308 439 91 202 4535 1044 540 112 33 55 796 240 103 930 102 .340 .394 .467 .861

2009年度シーズン終了時
太字はその年のリーグ最高
赤太字はNPBまたはMLBにおける歴代最高
年度別守備成績 [編集]
年度 CF RF OF
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2001 - 152 335 8 1 2 .997 152 335 8 1 2 .997
2002 3 8 0 0 0 1.000 150 325 8 3 0 .991 153 333 8 3 0 .991
2003 - 159 337 12 2 4 .994 159 337 12 2 4 .994
2004 - 158 372 12 3 2 .992 158 372 12 3 2 .992
2005 - 158 381 10 2 2 .995 158 381 10 2 2 .995
2006 39 114 1 1 0 .991 121 250 8 2 3 .992 160 364 9 3 3 .992
2007 155 424 8 1 3 .998 - 155 424 8 1 3 .998
2008 69 195 4 1 1 .995 91 175 7 4 1 .978 160 370 11 5 2 .987
2009 - 145 317 5 4 2 .988 145 317 5 4 2 .988
通算 266 741 13 3 4 .996 1134 2492 70 21 16 .992 1400 3233 83 24 20 .993

各年度の太字はその年のリーグ最高。
タイトル・表彰・記録 [編集]
タイトル・表彰 [編集]
NPB

シーズンタイトル
MVP:3回(1994年 - 1996年)
正力松太郎賞:3回(1994年 - 1995年、2004年)※2004年は特別賞
首位打者:7回(1994年 - 2000年)
打点王:1回(1995年)
盗塁王:1回(1995年)※打点王と盗塁王の同時獲得はNPB史上初
最多安打:5回(1994年 - 1998年)
最高出塁率:5回(1994年 - 1996年、1999年 - 2000年)
ベストナイン:7回(1994年 - 2000年)
ゴールデングラブ賞:7回(1994年 - 2000年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回(1996年)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:3回(1995年 - 1997年)
月間タイトル
パ・リーグ月間MVP:10回(1994年6月・8月、1995年6月、1996年8月、1997年6月、1998年6月・7月、1999年5月・7月、2000年7月)
MLB

シーズンタイトル
新人王(2001年)
MVP:1回(2001年)
首位打者:2回(2001年、2004年)
盗塁王:1回(2001年)
シルバースラッガー賞:3回(2001年、2007年、2009年)
ゴールドグラブ賞:9回(2001年 - 2009年)
月間・週間タイトル/その他
アメリカンリーグ月間新人MVP:4回(2001年4月・5月・8月・9月)
アメリカンリーグ月間MVP:1回(2004年8月)
アメリカンリーグ週間MVP:2回(2004年8月2日 - 8月8日、2005年5月29日 - 6月4日)
オールスターMVP:1回(2007年)
コミッショナー特別表彰(2004年)
ハート&ハッスル賞(2008年)
その他

菊池寛賞(2001年)
報知プロスポーツ大賞
野球部門(パ・リーグ):4回(1994年 - 1996年、1998年)
特別賞:1回(2004年)
WBC
2006年WBCベストナイン(外野手)
紫綬褒章(2006年WBC日本代表としてチームで受賞)
特筆記録 [編集]
NPB

NPB記録
シーズン最多安打:210(1994年)
シーズン猛打賞:26回(1996年)
シーズン打率.380以上:2回(1994年、2000年)
シーズン打率.370以上:2回(1994年、2000年)※.360以上ではタイ記録
シーズン打率.350以上:4回(1994年、1996年、1998年、2000年)
シーズン打率.340以上:7回(1994年 - 2000年)
シーズン連続試合出塁:69(1994年5月21日 - 8月26日)
シーズン連続打席無三振:216(1997年4月16日 - 6月24日)
20試合以上連続安打:4回(1994年2回、1999年、2000年)
1試合4二塁打(1994年9月11日)※タイ記録
6年連続満塁本塁打(1995年 - 2000年)※タイ記録
通算1000本安打史上最速達成:757試合目(1999年4月20日)
通算盗塁成功率:.858(199盗塁33盗塁死)※100盗塁以上対象
首位打者:7回(1994年 - 2000年)※タイ記録
月間MVP:10回
全イニング出場首位打者(1995年)※1969年の王貞治に次ぐ史上2人目
5年連続全試合出場首位打者(1994年 - 1998年)
7年連続打率.340以上首位打者(1994年 - 2000年)
7年連続首位打者(1994年 - 2000年)
3年連続シーズンMVP(1994年 - 1996年)※タイ記録
3年連続IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞(1995年 - 1997年)※タイ記録
2年連続正力松太郎賞(1994年 - 1995年)
オールスター通算打率:.394(71打数28安打)※50打数以上対象
オールスター連続試合安打:11(1996年第3戦 - 2000年第3戦)
オールスター連続打席安打:5
オールスター連続試合フルイニング出場:17(1994年第1戦 - 2000年第3戦)
NPBパ・リーグ記録
シーズン最高打率:.387(2000年)
シーズン最多単打:151(1994年)
シーズン初回表先頭打者本塁打:5(1995年)※タイ記録
シーズン1試合4安打:8回(1996年)
最多安打:5回(1994年 - 1998年)
最多単打:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録
7年連続出塁率4割以上(1994年 - 2000年)
6年連続最多敬遠(1995年 - 2000年)
5年連続最多安打(1994年 - 1998年)
3年連続最多単打(1994年 - 1996年)
3年連続100得点(1994年 - 1996年)※タイ記録
その他
オールスター出場:7回(1994年 - 2000年)
6年連続オールスター最多得票(1995年 - 2000年)
4年連続最多得点(1994年 - 1997年)
3年連続最多塁打(1994年 - 1996年)
3年連続得点圏打率リーグ1位(1996年 - 1998年)
連続試合出場:763(1994年4月9日 - 1999年8月24日)
MLB

MLB記録
シーズン最多安打:262(2004年)
シーズン最多単打:225(2004年)
シーズン200安打・100得点・30盗塁:8回(2001年 - 2008年)
シーズン200安打・100得点:8回(2001年 - 2008年)※タイ記録
シーズン200安打・30盗塁:8回(2001年 - 2008年)
シーズン230安打以上:3回(2001年、2004年、2007年)
シーズン5安打試合:4回(2004年)※20世紀以降タイ記録
シーズン月間50安打:3回(2004年5月・7月・8月)
シーズン安打試合数最多:135(2001年)※タイ記録
ロードゲームシーズン最多安打:145(2004年)
最多単打:9回(2001年 - 2009年)
2か月連続月間50安打(2004年7月 - 8月)
デビュー以来9年連続200安打(2001年 - 2009年)
9年連続200安打(2001年 - 2009年)
8年連続200安打・100得点・30盗塁(2001年 - 2008年)
8年連続200安打・100得点(2001年 - 2008年)
8年連続200安打・30盗塁(2001年 - 2008年)
8年連続100得点・30盗塁(2001年 - 2008年)※20世紀以降対象
4年連続最多安打(2006年 - 2009年)
4年連続両リーグ最多安打(2006年 - 2009年)
9年連続最多単打(2001年 - 2009年)
6年連続両リーグ最多単打(2004年 - 2009年)
5年連続最多打数(2004年 - 2008年)
連続5シーズン安打1100本以上:5回(2001年 - 2005年、2002年 - 2006年、2003年 - 2007年、2004年 - 2008年、2005年 - 2009年)
連続9シーズン最多安打:2030(2001年 - 2009年)
連続8シーズン最多安打:1805(2001年 - 2008年)
連続7シーズン最多安打:1592(2001年 - 2007年)
連続6シーズン最多安打:1368(2004年 - 2009年)
連続5シーズン最多安打:1143(2004年 - 2008年)
連続4シーズン最多安打:930(2004年 - 2007年)
MLBアメリカンリーグ記録
外野手通算守備率:.994(2001年 - 2007年)[100]
シーズン打席:762(2004年)
シーズン連続盗塁成功:39(2006年)
連続盗塁成功:45(2006年4月29日 - 2007年5月16日)
MLB新人記録
新人最多安打および1年目選手最多安打:242(2001年)
アメリカンリーグ新人最多単打およびアメリカンリーグ1年目選手最多単打:192(2001年)
アメリカンリーグ新人最多打数および1年目選手最多打数:692(2001年)
アメリカンリーグ1年目選手最高打率:.350(2001年)
球団記録(シアトル・マリナーズ)
通算打率:.333(2001年 - 2009年)
通算三塁打:68(2001年 - 2009年)
通算盗塁:341(2001年 - 2009年)
通算初回先頭打者本塁打:30(2001年 - 2009年)
シーズン打率:.372(2004年)
シーズン打数:704(2004年)
シーズン打席:762(2004年)
シーズン安打:262(2004年)
シーズン単打:225(2004年)
シーズン三塁打:12(2005年)
シーズン出塁:315(2004年)
シーズン敬遠四球:27(2002年)
シーズン複数安打試合数:80(2004年)
1番打者シーズン打点:68(2005年、2007年)
外野手シーズン守備率:.998(2007年)
外野手1試合刺殺:11(2007年6月27日)※タイ記録
月間6月打率:.427(2007年6月)
月間最多安打:56(2004年8月)
連続試合安打:27(2009年5月6日 - 6月3日)
連続2試合安打数:9(2004年9月21日 - 9月22日)※タイ記録
新人最多得点:127(2001年)
新人最多三塁打:8(2001年)
新人最多塁打:316(2001年)
新人最多盗塁:56(2001年)
新人連続試合安打:23(2001年4月22日 - 5月18日)
その他
最多安打:6回(2001年、2004年、2006年 - 2009年)
オールスター出場:9回(2001年 - 2009年)※2005年以外は先発出場、通算8度の1番での先発出場はオールスタータイ記録
新人から3年連続オールスター最多得票(2001年 - 2003年)※史上初
オールスターでランニング本塁打(2007年)※史上初
通算打率現役2位:.333(2009年シーズン終了時)※アメリカンリーグの現役選手中では1位[101]
通算盗塁成功率:.812(341盗塁79盗塁死)※300盗塁以上の現役選手中1位
2試合連続無安打なし:180試合(2008年8月16日 - 2009年9月27日)
連続守備機会無失策:443(2006年9月8日 - 2007年9月12日)
アメリカンリーグ地区シリーズ5試合最多安打:12(2001年)※タイ記録
出演 [編集]
CM [編集]
ハウス食品
『とんがりコーン』
『バーモントカレー』
『ククレカレー』
アサヒ飲料 『三ツ矢サイダー』(1996年 - 1999年)
佐藤製薬 『ユンケル』
日産自動車(1996年 - 2007年)
『ステージア』
「幕開け」篇(イチロー篇)(2006年11月21日 - )
「雨」篇(イチロー篇)(2007年1月1日 - )
『スカイライン』
「001 Skyline talk」篇 - 「003 Skyline talk」篇(2007年4月12日 - )
「004 Skyline talk」篇「SKYLINE「50周年」篇(2007年4月24日 - )
「005 Skyline talk」篇 - 「010 Skyline talk」篇(2007年5月5日 - )
「一本の道」篇(2008年12月3日 - )
『スカイラインクーペ』
「PURE RED イチロー」篇(2007年10月3日 - )
日興コーディアル証券(2001年 - )
サントリー 『ペプシコーラ』(2002年)
「FEVER篇/BOOM篇」(2002年2月15日 - )
「イチローシズル篇」(2002年3月21日 - )
「イチローDIET篇」(2002年4月1日 - )
任天堂 『ゲームキューブ』
NTT西日本
新日本石油 『エネオス』
NTTグループ
アサヒビール(WBC期間限定)
住友林業
ミズノ
2006 ワールド・ベースボール・クラシック - 2006年2月5日に放送されたスーパーボウル中継の中でWBCのCMが放映された。アメリカ代表のロジャー・クレメンス、デレク・ジーター、ドミニカ代表のアルバート・プホルス、イタリア代表のマイク・ピアッツァらと共に、日本代表からイチローが出演[102]。
2009 ワールド・ベースボール・クラシック - 前回に引き続き出演。アメリカ代表のデレク・ジーター、ドミニカ代表のアレックス・ロドリゲス、メキシコ代表のホルヘ・カントゥと共に、日本代表として出演。
キリンビール 『キリン一番搾り』(2009年-)共演:松嶋菜々子
テレビ番組 [編集]
古畑任三郎・ファイナル 第41回「フェアな殺人者」(フジテレビ。2006年1月4日放送。本人役で出演)
ICHIRO-MONDOW 〜Two Chairs〜(読売テレビ。2006年4月1日 - 2007年3月末)
ICHIRO-VERSUS(読売テレビ。2007年4月7日 - 2008年3月末。上述番組の続編)
僕らの音楽 -OUR MUSIC-(フジテレビ系。2007年2月23日放送回。椎名林檎との対談)
イチ流(年末年始恒例番組)
日本人メジャーリーガーの群像(年末年始恒例番組)
プロフェッショナル 仕事の流儀[103](2008年1月2日、1月22日)
BSデジタルの対談番組(ビートたけし、糸井重里、矢沢永吉との対談は書籍化されている)
2003年:ビートたけし(北野武)
2004年:糸井重里
2005年:久米宏
2006年:矢沢永吉
2007年:黒木瞳
ファッション雑誌 [編集]
ロフィシェル・ジャポン 2006年4月28日号
GQ(アメリカ版)2007年 [104]
イチローを論じた出版物 [編集]
マイ・フィールド・オブ・ドリームス ―イチローとアメリカの物語― (単行本)

W.P. キンセラ (著), 井口 優子 (翻訳)

フィールド・オブ・ドリームスを書いたW.P.キンセラによる著作

『イチロー・オン・イチロー ―Interview Special Edition』小松成美著
『イチロー、聖地へ』石田雄太著
『ICHIRO メジャーを震撼させた男』Bob Sherwin著
『キャッチボール ICHIRO meets you』糸井重里著監修
『イチロー思考―孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫』児玉光雄著
『イチローイズム―僕が考えたこと、感じたこと、信じること』石田雄太著
『イチロー 「勝利の方程式」 〜常に進化し続ける男の考え方〜』永谷脩著
『イチローの流儀』小西慶三著
『イチロー262のメッセージ』 - プロゴルファー宮里藍の愛読書として話題になり[105]、20万部突破のベストセラーになった。
『イチロー革命』ロバート・ホワイティング著、ISBN 978-4152085993
『イチローとわが家 ほんとうの話』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
『溺愛―我が子イチロー』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
『父と息子―イチローと私の二十一年』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
『イチローに教えたこと、教えられたこと』中村豪著、愛工大名電在籍時の監督による著作、イチローが愛工大名電に進学することになった経緯、イチローの高校時代、プロで芽が出なかった時のエピソードに詳しい
他多数

関連項目 [編集]
ウィキメディア・コモンズには、イチローに関連するカテゴリがあります。愛知県出身の人物一覧
オリックス・ブルーウェーブの選手一覧
日本人メジャーリーグ選手一覧
日本人メジャーリーガーが獲得したタイトル・表彰一覧
トニー・アタナシオ :イチローのメジャー契約に携わるスポーツエージェント。
イチロー杯争奪学童軟式野球大会
アイ・ファイン :イチロー記念館。
脚注 [編集]
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^ http://www.47news.jp/47topics/e/133814.php
^ http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20060522&content_id=1466707&vkey=news_sea&fext=.jsp&c_id=sea
^ http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=4451180
^ a b c d e f g "イチロー記録メモ". スポーツ報知. 2008年7月31日 閲覧。
^ http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/090416/mlb0904161835028-n1.htm
^ "about HWB". ハワイ・ウィンターリーグ. 2008年2月17日 閲覧。
^ "【6月12日】1993年(平5) 見出しにもならなかった「1番・センター、鈴木」の初本塁打". スポニチ. 2009年2月27日 閲覧。
^ 1994年・1995年当時は130試合制であるため、2シーズンともシーズンの半分以上の期間、常に出塁していたことになる
^ a b 『ICHIRO メジャーを震撼させた男』を参照。
^ 『キャッチボール ICHIRO meets you』より。
^ “Ichiro breaks Sisler's all-time hits record”. MSNBC. (2004年10月1日). http://www.msnbc.msn.com/id/6154557/
^ “Captain America Stirs Up Ryder Cup”. ウォールストリート・ジャーナル. (2004年9月16日). http://online.wsj.com/public/article/SB109534399601019662-8wAj07E5cBxnEqip_4PcmG18AkE_20071217.html?mod=blogs
^ 日本のニュースより。
^ http://mlb.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20090403&content_id=4117568&vkey=pr_sea&fext=.jsp&c_id=sea
^ “北京五輪野球:イチロー「五輪はアマのための大会」”. 朝鮮日報. (2007年1月2日). http://www.chosunonline.com/article/20070123000002
^ “Patience has its reward for Ichiro”. ESPN. (2003年5月28日). http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=kurkjian_tim&id=1559908
^ 木本大志 「『ICHIRO STYLE』 VOL.8 Ques Tec System 1/500秒に隠されたイチローの秘密 (1/2)」 『スポーツナビ』,2005年6月27日.
^ a b “Walking or Swinging, Suzuki Is a Force on Offense”. ニューヨーク・タイムズ. (2007年9月5日). http://www.nytimes.com/2007/09/05/sports/baseball/05ichiro.html
^ テレビ番組「イチロー MVPの真実」より。
^ “オールスターゲーム、イチロー貫禄のMVP”. OhmyNews. (2007年7月12日). http://www.ohmynews.co.jp/news/20070712/13068
^ a b c d NHK放送「プロフェッショナル仕事の流儀」より。
^ “New wind in their sails”. USA today. (2001年5月30日). http://www.usatoday.com/sports/bbw/2001-05-30/2001-05-30-specialseattle.htm
^ “イチロー打率のための四球選ばず”. 夕刊フジ. (2007年9月7日). http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_09/s2007090705.html
^ “Why Suzuki's Magic Number Is Really 56, Not .406”. ニューヨーク・タイムズ. (2005年5月1日). http://www.nytimes.com/2005/05/01/sports/baseball/01score.html
^ 「『ICHIRO STYLE2007』 VOL.5 イチローが狙うのは「4割」か、「56試合連続安打」か(1/2)」 『スポーツナビ』,2007年6月3日.
^ 「『ICHIRO STYLE』 VOL.14 苦しみ抜いたシーズン200安打(1/2)」 『スポーツナビ』,2005年10月3日.
^ NANDA!?より。
^ “Drese and Ichiro forever linked”. MLB公式. (2004年10月2日). http://www.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20041002&content_id=878912&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=null
^ “For Suzuki, Hits Keep On Coming”. ニューヨーク・タイムズ. (2005年4月26日). http://www.nytimes.com/2005/04/26/sports/baseball/26ichiro.html
^ http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/090416/mlb0904161832027-n1.htm
^ http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/04season/column/200406/at00001139.html
^ 米スポーツ専門誌『スポーツ・イラストレイテッド』webサイト2006年9月13日付。参考までに、2位がブラディミール・ゲレーロの32%、3位がホセ・ギーエンの8%である。
^ a b “Being Ichiro”. ニューヨーク・タイムズ. (2001年9月18日). http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9502E2D81738F935A2575AC0A9679C8B63&sec=&spon=&pagewanted=all
^ “Mariners shut out by Angels”. メジャーリーグベースボール. (2005年5月3日). http://www.mlb.com/news/gameday_recap.jsp?ymd=20050502&content_id=1035790&vkey=recap&fext=.jsp&c_id=sea
^ http://www.daily.co.jp/mlb/2008/08/26/0001379904.shtml
^ http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20080827-OHT1T00126.htm
^ “イチロー 決めた3度目の40盗塁!”. スポーツニッポン. (2008年8月31日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/31/21.html
^ “8年間で最速の30到達 イチロー、数字で雑音封じ”. (2008年6月17日). http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=13953
^ “McLaren wants Ichiro to run this season”. メジャーリーグベースボール. (2008年2月25日). http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20080225&content_id=2389172&vkey=spt2008news&fext=.jsp&c_id=sea
^ http://www.asahi.com/sports/special/KYD200812040003.html
^ http://www.baseball-reference.com/players/s/suzukic01.shtml?redir
^ 参考までに、30盗塁以上対象の日本プロ野球記録が、1968年広瀬叔功の44盗塁2盗塁死、.9565である。
^ “イチロー「僕の野球を体現するだけ」”. デイリースポーツ. (2008年2月26日). http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=10177
^ イチローと松井秀喜の対談より。
^ “イチローが川崎に激怒!一塁にヘッド「かっこ悪い」”. スポーツ報知. (2007年12月27日). http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20071227-OHT1T00063.htm
^ “イ川崎をイチ喝!! あわや福岡へ“強制送還””. 西日本スポーツ. (2007年12月27日). http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/20071227/20071227_004.shtml
^ 2009年9月23日放送NHK BS1『スポーツ大陸 「イチロー大記録への闘い」』より。
^ 渡辺史敏. “『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.25 MLBベスト3に松井の名前は?”. スポーツナビ. http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/players/matsui/column/200308/0814wata_01.html
^ ICHIROは、最もエキサイティングな選手(スポーツナビプラス)
^ "American League Best Tools" (英語). baseballamerica.com. 2008年1月13日 閲覧。
^ "Major League Scouts Select the Best". 2008年3月13日 閲覧。
^ http://topics.kyodo.co.jp/feature03/archives/2005/04/post_140.html
^ http://goldsea.com/Personalities/Athletes/athletes.html
^ http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/24/20060324000028.html
^ イチロー殿堂入りにメジャーHP「当確」 nikkansports.com(2009/07/22)
^ [Ichiro keeps hits coming, year after year: Consistent greatness creating future Hall of Fame buzz http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090720&content_id=5958220&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb] MLB.com(2009/07/21)
^ http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0320&f=national_0320_001.shtml
^ http://www.youtube.com/watch?v=1_KvFl-S6vM
^ http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/headlines/?id=1861840&a=3976(リンク切れ)
^ http://inews.sports.jp.msn.com/mlb/news/2007/20070208-66497.html(リンク切れ)
^ http://web.archive.org/web/20080131231349/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20071017-OHT1T00055.htm
^ http://web.archive.org/web/20080123145813/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/headlines/20080120-00000003-spnavi-base.html
^ http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/major/news/20070712k0000m050036000c.html
^ http://ime.nu/www.sanspo.com/mlb/top/mt200803/mt2008030707.html
^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/31/15.html
^ http://www.sanspo.com/mlb/allstar/2006/news/mt2006071301.html
^ 2004年10月2日付け 朝日新聞。
^ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
^ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h16e.html
^ http://s01.megalodon.jp/2009-0325-1527-07/sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/headlines/20090325-00000035-kyodo_sp-spo.html
^ http://www.markth.jp/omni/10omni/0703omni10.htm
^ http://job.yomiuri.co.jp/hunt/saizensen/hu_sa_07050101.cfm
^ http://www.fgn.jp/mpac/sample/__datas__/impacter/200708_10.html
^ http://www.narinari.com/Nd/2007108052.html?xml
^ http://career.oricon.co.jp/news/47761/
^ http://s04.megalodon.jp/2009-0325-1537-31/travel-cdn.oricon.co.jp/world/news/20080125_01.html
^ http://s02.megalodon.jp/2009-0325-1539-06/ranking.goo.ne.jp/ranking/022id/ideal_boyfigure/&f=news&LID=news
^ http://markezine.jp/article/detail/5187
^ http://www.sanno.ac.jp/research/jousi2009.html
^ http://sports.espn.go.com/mlb/recap?gameId=280604112
^ a b "Part 2: Winter moves may hit M's hard at plate" (英語). Seattle Times. 2009年2月19日 閲覧。
^ "M's respond to clubhouse anger toward Ichiro" (英語). Seattle Times. 2009年2月19日 閲覧。
^ http://seattletimes.nwsource.com/html/larrystone/2008750598_stone17.html
^ http://s03.megalodon.jp/2009-0403-1358-30/www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20090402-477964.html
^ http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20&content_id=3859992&vkey=news_sea&fext=.jsp&c_id=sea
^ http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2009/news/story?id=4011393
^ Same new attitude for Mariners' stars Mariners.com(2009/07/13)
^ イチロー、シーズン途中で異例の独占インタビューに応じる USA通信(2009/07/18)
^ “ICHIRO大記録への軌跡 PART2:マスコミ嫌い今は違う、でも松井とは対極”. nikkansports.com. (2004年). http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-rensai2.html
^ http://news.ameba.jp/domestic/2009/03/35490.html
^ “イチロー大記録への軌跡「大記録を支えたイチローの武器」”. nikkansports.com. (2004年10月3日). http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-news041003-12.html
^ “名工・久保田さん「これほどバット変えない人いない」”. スポーツ報知. (2008年7月31日). http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/ichiro/news/20080731-OHT1T00065.htm
^ “ICHIRO大記録への軌跡 PART3:球界再編…古巣消滅が一番辛い”. nikkansports.com. (2004年). http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-rensai3.html
^ NHK番組『MLB2007・日本人メジャーリーガーの群像 「イチロー・つかみとった確信」』を参照。
^ 『キャッチボール ICHIRO meets you』より。
^ http://www.mizunoballpark.com/takumi/column/past/tsubota01/index.html
^ ニコニコ動画 (2009-09-28). "イチローに9年連続200本安打について聞いてみた。". 2009-10-27 閲覧。
^ ニコニコ動画 (2009-04-22). "『イチロー選手のご家族訪問!~カレー食べたり、勝手に表彰したり~』後編". 2009-10-27 閲覧。
^ “イチローの愛車はなんと『マーチ』!! しかも星野一義チューン!!”. FOCUS. (2000年11月29日号). http://response.jp/issue/2000/1124/article5727_1.html
^ "Outfielder Fielding Average Records" (英語). Baseball Almanac. 2008年1月13日 閲覧。
^ "現役通算打率ランキング" (英語). baseball-reference. 2008年1月13日 閲覧。
^ “イチローがWBCを全世界にPR”. スポーツニッポン. (2006年2月5日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2006wbc/kiji/KFullNormal20060205056.html
^ http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080102/index.html
^ http://usbizdirect.blog64.fc2.com/blog-entry-282.html
^ “藍、イチロー効果で今季初V…“名言本”がサポート”. 夕刊フジ(インターネット・アーカイブ). (2005年5月16日). http://web.archive.org/web/20051217030453/http://www.zakzak.co.jp/spo/2005_05/s2005051605.html

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