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千代大海 龍二

千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属に所属していた元大相撲力士。得意は突き、押し、突っ張りからの叩き、引き、去なし。最高位は東大関。本名は須藤 龍二(すどう りゅうじ)。旧姓:廣嶋(ひろしま)。身長180cm、体重152kg。趣味は音楽鑑賞、インターネット。愛称は「龍二さん」。

目次 [非表示]
1 来歴
1.1 入門まで
1.2 大関までの道のり
1.3 大関在位記録、角番記録の更新
1.4 大関在位65場所目で陥落
1.5 11年ぶりの関脇、そして引退へ
2 取り口
2.1 苦手力士など
3 略歴
4 人物
5 エピソード
6 場所別成績
7 主な力士との幕内対戦成績
8 主な成績
9 各段優勝
10 三賞・金星
11 改名歴
12 著書
13 脚注
14 関連項目
15 外部リンク


来歴 [編集]
入門まで [編集]
子供の頃から巨漢で、当時のあだ名は「ブッチャー」。しかし運動好きで学校から帰ると毎日のように近くの海岸で友達とドッジボールをしていた。中学校時代は大変な悪童として有名になり、2桁人数の高校生相手に単身で喧嘩して勝つなどの武勇伝を轟かせ、大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率いていた。さらにやくざ数人と喧嘩した所、相手のやくざに気に入られ、スカウトされたことがあった。佐賀県出身で同年代のはなわ曰く「大分の龍二と言えば僕でも知っている位の凄く有名な男だった」。ただ、ヤンキーではあったものの、柔道を習っていたこともあり目上の人間には礼儀正しく、先生の言うことは素直に聞き、弱い者いじめもしなかったとされる。また、卒業式では涙を見せる場面もあった。

中学校2年生の時に柔道の全国大会で3位入賞、3年生の時には年齢を偽って参加した極真空手の九州大会で3位入賞するなど、格闘センスは抜群であった。空手の得意技はローキックと掌底。

大分東明高等学校を担任の推薦で受験するも不合格。中学卒業後は一時鳶職に就くが、母親を安心させたいと大相撲入りを決意。どうせなら最も強い人の弟子にと、相撲についてはほとんど知識がなくとも知っていた元横綱千代の富士の九重部屋に入門志願に行くが、剃りを入れた金髪だったため「頭を何とかしてこい!」と一喝される。九州一の悪童がすくみ上がり、翌日、丸刈りにして再び門を叩いた。大関昇進時、九重親方は報道番組で「入れてやるから頭を何とかしろと言った」とこのことを笑い話として回想していた。

大関までの道のり [編集]
1992年11月場所に初土俵。千代大海の四股名は大分の「大」と北海道の「海」を合わせて「大海」とし母が考えた。1995年7月場所に19歳で新十両。右肘の怪我と番付運の悪さに泣かされてしばらく足踏み状態が続き、昭和50年代生まれの幕内力士第一号を栃東に譲ったが、1997年9月場所にようやく新入幕を果たした。入幕後は順調に番付を上がり、1998年5月場所に新小結。翌7月場所には新関脇で11勝。このころから次期大関候補と言われるようになる。

そして関脇4場所目の1999年1月場所千秋楽、本割りで横綱若乃花に勝利し両者13勝2敗の優勝決定戦にもつれ込む。さらにその優勝決定戦でも若乃花に連勝を果たして、念願の幕内初優勝を成し遂げた。関脇通算3場所で合計32勝13敗、大関昇進の目安となる通算33勝以上には届かなかったが、当時大関は貴ノ浪と武蔵丸の二人のみで、又1994年1月場所後の貴ノ浪・武蔵丸の同時昇進以来5年間新大関が誕生していなかった事も有り、甘めながらも場所後に大関に推挙された。初優勝後、故郷の大分で優勝パレードが行われ、この時、不良だった時代を知る者たちから「パトカーに乗せられていた奴がパトカーに先導される様になったとは出世したものだ」と評された[1]。

大関在位記録、角番記録の更新 [編集]
千代大海の大関昇進により、若乃花と貴乃花に次ぐ新しい時代のヒーローとして期待された。しかし新大関の1999年3月場所は、初日から3連敗を喫するなど不調で星が伸びず、さらに10日目の武蔵丸との取り組み中に、武蔵丸の頭突きが鼻に当たって鼻骨を折ってしまい、鼻血を流しながらしばらく立ち上がれず、途中休場する羽目になってしまった。

その後も怪我などでふるわない場所もあり、大関としてやや頼りなさを感じさせたが、2002年には優勝1回・同点1回とようやく大関として上を期待できるようになり、2004年前半まではそれなりに強い所を見せ、綱取りを期待される場所もあった。しかしながら、2004年3月場所に13勝を上げたのを最後に成績は低迷し、優勝争いどころか勝ち越すのがやっとという場所も多く、更に怪我も多くなって最大の武器である突っ張りもだんだん効かなくなっていった。

2005年9月場所には、当時の史上最多記録に並ぶ8度目の大関角番となり、2008年7月場所では前5月場所中に右肘の痛みが再発した影響もあってか、史上単独1位の12度目の角番となった。その後、2009年11月場所では合計で14度目の大関角番を迎えていた。

2007年は存在感を見せた1年となった。5月場所12日目にはこれまで全くといっていいほど歯が立たなかった横綱朝青龍を電車道で押し出して優勝争いから引きずりおろす殊勲の星を挙げる。7月場所では大関在位51場所となり、初代貴ノ花の持つ大関在位50場所の記録を抜き、ついに史上単独1位となった。11月場所では破壊力の戻った突き押しを武器に、終盤まで失速することなく優勝争いを展開。14日目には横綱白鵬と相星決戦を闘い、敗れはしたものの全盛期を髣髴させる出足で白鵬を追い詰めた。しかしその白鵬戦で右肘を負傷した事により、千秋楽は不戦敗。この場所11勝4敗の好成績を挙げたが、大関としての2桁勝利はこれが最後となってしまった。また、この時の白鵬戦での右肘負傷がその後の土俵生活に大きく影響することにもなった。

2008年1月場所は前場所のケガが殆ど回復していなかった影響により、初日からの皆勤7連敗を喫した(8日目以降は休場)。これは一場所15日制になってからは清國が1973年11月場所で初日からの皆勤6連敗(7日目以降は休場)を塗り替える大関ワースト記録となってしまった。2008年5月場所は6日目から6連敗を喫し、11日目に白鵬に敗れ負け越し。翌12日目に朝青龍を破ったものの最終的に5勝10敗に終わり、幕内では初の2桁敗戦を喫した。7月場所は自身12度目の角番となったが、9勝6敗と勝ち越して角番脱出。

2009年は1月場所こそ8勝7敗で辛くも勝ち越したものの、3月場所は2日目から6連敗し師匠の九重と休場を相談した[2]。しかし、10日目に負け越しを喫した際に両親から15日間取り切るように進言され、皆勤を決意[2]。結局大関としては1988年9月場所の小錦ら5人の記録を更新する、皆勤場所最多敗となる13敗を記録した[3]。また、千秋楽には自身が2008年3月場所から糖尿病を患い、2009年3月場所に症状が悪化したことを明らかにしている[4]。翌5月場所は史上最多13度目の角番を迎えることとなった。2009年5月場所中の5月23日に本名を須藤龍二に改姓したことを発表した[5]。

2009年の5月場所では、12日目で5勝7敗、更に左足太もも肉離れという絶望的な状況に追い込まれたが、その後3連勝をし、13度目の角番を脱出した。しかし、角番を脱出した取組となった千秋楽の把瑠都戦が、故意によるもので無いものの「無気力相撲」であると判断されて、両者に対して師匠を通じ注意処分を受けた[6]。

大関在位65場所目で陥落 [編集]
2009年9月場所では10日目に負け越し、翌11日目より途中休場。次の11月場所では史上最多を更新する14度目の角番を迎えることになった。その11月場所直前の2009年11月12日、千代大海は同場所で負け越して関脇に陥落した場合でも現役を続け、2010年1月場所に関脇の地位で6敗目を喫し大関復帰を果たせなかった時点で、現役引退する意向を表明した[7]。

その11月場所では、初日から2連勝するも3日目からは8連敗を喫する。10日目の対朝青龍戦で立ち合い千代大海が先に突っ張るも、朝青龍の吊り出しにより敗北。2場所連続負け越しとなり、65場所続いた大関の地位からついに関脇へ陥落が決まってしまった。翌11日目からは前場所に続いて途中休場(不戦勝の相手は2場所連続で琴光喜であった)。大関復帰のチャンスを生かすため、場所前に表明した意向を変えることなく、次の2010年1月場所は1999年1月場所以来11年ぶりの関脇で出場する事となった[8]。

大関時代だったここ数年は、下位力士が相手となる前半戦は連勝を重ね、優勝争いにも顔を見せることがあったが、三役以上の実力者が相手となる後半戦は負けが込んでしまい、勝ち越しても8・9・10勝で終わることが多かった。年齢も2009年4月で33歳を迎えたこともあって既にピークは過ぎており、当時の彼を横綱候補に挙げる者は皆無であった。

11年ぶりの関脇、そして引退へ [編集]
2010年1月場所は西関脇の地位に置かれ、大関復帰できなければ引退する不退転の覚悟で臨んだが、初日は稀勢の里に完敗、2日目も北勝力に敗れた。そして3日目には大関として長年にわたって共に支えあってきた魁皇に送り投げで敗れ初日から3連敗となった。残りの取組で10番勝つことが難しくなったため、この一番を最後に引退を決断した[9]。

引退後は既に取得している年寄名跡『佐ノ山』(現在は元幕内:闘牙進に貸与)を名乗り、親方として後進の指導に当たる。

取り口 [編集]
千代大海の最も良い相撲とされるのは、小刻みな突っ張りと同時に足も出て直進し、相手を突き出す(もしくは押し出す)「電車道」と称される勝負の決め方である。しかし、悪癖といわれる引き叩き癖があり、格下の相手であれば突き切ることが多いが上位力士となるとなかなかそうともいかない事が多く、叩いてしまい墓穴を掘ることも少なくない。これは突き押しの力士の多くが悩まされるものであり、なかなか突き押しの力士が上に上がるのは難しい大きな理由である。ただし、悪癖と言われつつも千代大海の引き、叩き、いなしはしばしば面白いように決まった。ただ、本人は「土俵際の魔術師」とマスコミから水を向けられた際、「土俵際の詐欺師だよ」と自嘲気味に笑っている。

また、突き押しの力士は同型の突き押しの力士に弱いとされており、千代大海もその例に漏れない(対戦成績で劣っているわけではないが、雅山や垣添といった押し相撲の力士を比較的苦手にしている)。さらに、朝青龍や白鵬といった圧力に強く下がらない力士に対しては突き押しが通じない場合が多く、捕まってしまうことが多い。そうなってしまうと、全く為す術なく寄り切られるのが特徴である。

四つ相撲は不得手で、本人も「四つは序二段・三段目レベル」などと自嘲気味に語ることが多い。自分から四つ身になる事はまずないが、格下相手に組まれてしまったときや突きが通じなかったときには、強引に寄ってみたり、上手投げを見せたりすることもある(2004年11月場所7日目の旭天鵬戦が好例)。千代天山は自身のブログで千代大海と四つに組んだときも勝てない、とコメントしている[10]。

苦手力士など [編集]
現役時代の朝青龍との取組成績は、9勝30敗であり苦手としていた。2005年以降しばらくは全く相手にすらしない朝青龍の圧勝ぶりであったが、2006年9月場所は両者突っ張りの応酬で朝青龍の髷に手が入っているかどうかの物言いがつきながらも素首落としで久々に勝って連敗を8で止めた。さらに2007年5月場所では鋭い当たりと強烈な喉輪で一気に押し出し完勝した。あまりの快勝に、当日の大相撲中継で解説していた毒舌で鳴らす北の富士も「千代大海ファンには謝らにゃいかんね」「素晴らしい」とコメントした。その後も千代大海は2008年5月場所に突き落とし、2009年7月場所は引き落としで、それぞれ朝青龍を下した。しかし最後の対戦となった2009年11月場所は、10日目の取組で朝青龍に高々と吊り上げられて2勝8敗と負け越し。前の9月場所に続き2場所連続負越により、大関陥落となってしまった。

自身現役最後の相撲となった2010年1月場所3日目、魁皇との幕内取組が54回目となったが、これは武蔵丸対貴ノ浪の58回に次ぐ、大相撲歴代2位の対戦記録だった。なお魁皇との幕内取組成績は、千代大海の20勝34敗(1つは不戦敗)。2005年9月場所まで魁皇には15連敗中だったが、11月場所13日目に久しぶりに勝って連敗を止め、翌年3・5月場所も勝って15連敗の後の3連勝となった。その後15連敗を止めてから引退するまで、魁皇戦は9勝11敗であった。

日馬富士とは、2008年から一度も勝てなかった(2007年までは7勝2敗だったが、そこから10連敗で通算成績は7勝12敗)。また引退間近の頃は豊ノ島も苦手としており、初顔から5連敗を喫していたが、2008年9月場所でようやく初白星を挙げた(通算成績は2勝6敗)。

略歴 [編集]
1992年11月場所 - 初土俵
1995年7月場所 - 新十両
1997年9月場所 - 新入幕
1998年5月場所 - 新三役(小結)
1999年1月場所 - 幕内初優勝
1999年3月場所 - 新大関、鼻骨骨折のため11日目から途中休場
1999年7月場所 - 初の角番。
2001年 - 年寄名跡・「佐ノ山」を取得
2001年1月場所 - 右足関節脛腓靱帯損傷及び右距骨有痛性三角骨のため4日目から途中休場
2001年5月場所 - 2度目の角番
2001年9月場所 - 中足基節関節靱帯断裂のため9日目から途中休場
2001年11月場所 - 公傷制度を使用し全休。2001年は29勝14敗47休で終える。
2002年1月場所 - 3度目の角番
2002年5月場所 - 4度目の角番
2002年7月場所 - 2回目の優勝
2002年11月場所 - 右上腕三頭筋損傷のため9日目から途中休場
2003年3月場所 - 5度目の角番を3回目の優勝で飾る
2005年1月場所 - 6度目の角番
2005年5月場所 - 7度目の角番
2005年7月場所 - 左膝側副靱帯損傷のため9日目から途中休場
2005年9月場所 - 8度目の角番
2006年1月場所 - 右大胸筋部分断裂及び頸椎捻挫のため8日目から途中休場
2006年3月場所 - 9度目の角番
2006年7月場所 - 大関在位45場所となり、元大関・北天佑を抜いて歴代単独2位となる。7日目の露鵬戦では勝ったものの、勝負決着後の土俵下で露鵬とにらみ合い、口論となった。千代大海は自ら北の湖理事長の所へ行き謝罪したものの、厳重注意を受けた。
2007年3月場所 - 栃東の休場で12日目は不戦勝で7勝5敗としたが、その後体調を崩し、千秋楽の横綱朝青龍戦で横綱の立合いの変化で敗れ、大関になって4回目の皆勤負け越し。
2007年5月場所 - 史上1位タイの10度目の角番。大関在位50場所となり、元大関・初代貴ノ花と並ぶ歴代1位タイ記録。10日目に角番脱出。
2007年7月場所 - 大関在位51場所となり、歴代単独1位となる。
2007年11月場所 - 調子よく前に出る相撲が復活。本人の経営する飲食店が潰れたことで相撲の稽古をしっかりやるようになったからだとも言われている。終盤まで横綱・白鵬と共に優勝争いを展開したが、14日目、白鵬との一番で白鵬にとったりを仕掛けられた際に右肘を負傷してしまった。この結果、千秋楽の土俵に上がれず無念の休場となった。
2008年1月場所 - 先場所で負傷した箇所が十分に治癒していない中出場したこともあり、大きく精彩を欠く取組が続き、7日目までに7連敗を喫し、年6場所制になってからの大関の初日からの連敗ワースト記録(不戦敗を除く)を作ってしまった。8日目から途中休場。
2008年3月場所 - 史上1位タイの11度目の角番。12日目に白鵬を破り、角番脱出。
2008年7月場所 - 5月場所中に右肘の痛みが再発した影響もあり、史上単独1位の12度目の角番。11日目に琴光喜を破り、角番脱出。
2009年3月場所 - 糖尿病の悪化と左の脇腹を痛めた影響で相撲が全く取れず、2勝13敗。1場所15日制となってから本場所を皆勤した大関の中では、歴代ワーストの成績を更新してしまう。また場所後には、左の肋骨が骨折していたことが判明した。
2009年5月場所 - 史上単独1位の13度目の角番。12日目で5勝7敗、左太もも肉離れという絶望的状況に追い込まれたが、そこから3連勝し、千秋楽で角番脱出。
2009年9月場所 - 序盤から波に乗れず、10日目に玉乃島に敗れて負け越し、11日目から途中休場。史上ワーストを更新する14度目の角番が決定した。なお、相撲診療所において、左ひざ膝蓋腱損傷と右上腕三頭筋腱損傷で1か月の加療を要するとの診断を受けた。横綱審議委員会の石橋義夫委員より引退勧告を受けるも、師匠・九重は現役続行を宣言している。
2009年11月場所 - 初日から2連勝するも3日目からは8連敗を喫し、10日目の対朝青龍戦で2場所連続負け越しにより、大関陥落が決定。11日目から前場所に続き途中休場。なお2009年の幕内成績は30勝52敗18休で、同年幕内を6場所務めた力士の中では最低となり、また大関で年6場所務めて(公傷制度適用時を除く)の年間30勝もワーストタイの記録となってしまった。
2010年1月場所 - 1999年1月場所以来11年ぶりに、関脇の地位に。3日目に大関として長年にわたって共に支えあってきた魁皇に送り投げで敗れ、この一番を最後に現役を引退。
人物 [編集]
強い霊感の持ち主(ブログより)。
旧近鉄バファローズ、読売ジャイアンツのファンである。
母親は後に再婚したが、千代大海自身は母親の再婚後の戸籍に入らなかったため、2009年まで本名は出生時の姓名のままであった。2009年5月23日、日本相撲協会は千代大海が「須藤」に改姓したと発表した[5]。
『ジャンクSPORTS』にゲスト出演した際、好きな芸能人は倖田來未とリア・ディゾンであると語った。
エピソード [編集]
かつてタレントの川村ひかると交際し、破局したことが報じられたが、のちにテレビ番組で未練があることを匂わせた。
東京都渋谷区にちゃんこ料理店「Chez Taikai(シェ・タイカイ)」と、同じ敷地内のスポーツバー「BIGSEA45」を片山晋呉と共同でプロデュースしたことがある。(現在は共に閉店している)
1999年1月場所での初優勝のとき、当時まだ面識のない黒木瞳から花束が贈られたが、千代大海本人は誰かのいたずらだと思ったという。のちにメル友となった。
実家の隣に住んでいたと言う元内閣総理大臣村山富市とも面識、交流がある。当時の村山の家は千代大海の実家よりもボロボロだったと語っている。
2006年1月1日放送の、TBS系『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』では、琴欧洲(当時琴欧州)・高見盛らとともに、パワー系種目に出場。THE GALLON THROW(樽投げ)で6m00cmの壁を越えた。これは、後に出場した朝青龍の記録と並ぶ大相撲記録である(全体では5名同記録の6位)。
2006年大晦日、フジテレビでオンエアされた占い番組内で、細木数子に「2007年か2008年に横綱になる」と言われたが、その直後に「正月場所(初場所)はだめだ。でも3月場所で活躍するよ」と言われた。しかし実際は、初場所は10勝5敗と勝ち越し、3月場所では7勝8敗と負け越した(ちなみに、当時関脇の雅山に対する占いも大きくはずれている)。その後、2007年5月8日のTBS系『ズバリ言うわよ!』にゲスト出演し再び細木と共演した際は、細木に「3月場所は『予言通り』だめだったね。」と、なぜか矛盾していることを言われた。
2006年11月4日放送の『世界ふしぎ発見』に、力士としては初めてゲスト出演した(後に琴欧洲も出演)。
2007年1月31日、テレビ朝日系『愛のエプロン』の「鍋王決定戦」には高見盛と共に、角界初のエプロンボーイズとして出場。塩レタスちゃんこを手掛けて96点の高得点をマークしたが、99点を叩き出した杉本彩に惜敗した。
最近ではトレーナーと契約してヤンキース井川慶投手も肩の張りを取り除く時に用いる高周波治療器で1日1時間程度、下半身の関節をほぐしている。痛みが消えたことで心に余裕も出てきた。「プロだから」と、土俵上で体をきれいに見せるため、場所入り前に40分間のオイルマッサージも欠かさない。
2ちゃんねるなどでは「チヨス」と呼ばれている。「千代大海クオリティテラワロス」の略で、主にネタ要員として親しまれていた。
場所別成績 [編集]
幕内通算成績(2009年(平成21年)11月場所現在)
597勝 - 398敗 - 115休場
優勝3回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞3回、金星1個[11]
千代大海龍二[12]

一月場所
初場所(東京) 三月場所
春場所(大阪) 五月場所
夏場所(東京) 七月場所
名古屋場所(愛知) 九月場所
秋場所(東京) 十一月場所
九州場所(福岡)
1992年
(平成4年) x x x x x (前相撲)
1993年
(平成5年) 東 序ノ口 #47
7–0
西 序二段 #43
2–5
西 序二段 #74
6–1
東 序二段 #6
5–2
西 三段目 #68
5–2
東 三段目 #40
5–2

1994年
(平成6年) 西 三段目 #15
7–0
東 幕下 #12
4–3
東 幕下 #7
3–4
西 幕下 #13
3–4
東 幕下 #22
5–2
西 幕下 #14
4–3

1995年
(平成7年) 東 幕下 #10
4–3
東 幕下 #6
6–1
東 幕下 #1
4–3
西 十両 #13
8–7
東 十両 #12
8–7
東 十両 #10
6–9

1996年
(平成8年) 東 十両 #12
9–6
西 十両 #9
8–7
東 十両 #6
8–7
西 十両 #2
5–10
東 十両 #6
8–7
西 十両 #3
11–4

1997年
(平成9年) 東 十両 #1
2–13
東 十両 #9
11–4
西 十両 #1
9–6
東 十両 #1
11–4
西 前頭 #11
8–7
東 前頭 #5
6–9

1998年
(平成10年) 東 前頭 #8
9–6
東 前頭 #1
8–7
技★ 東 小結
8–7
西 関脇
11–4
技 東 関脇
9–6
技 東 関脇
10–5

1999年
(平成11年) 東 関脇
13–2[13]
敢殊 西 大関
3–8–4[14]
休場 西 大関
10–5[15]
東 大関
10–5
東 大関
9–6

2000年
(平成12年) 西 大関
9–6
西 大関
8–7
東 大関 #2
11–4
東 大関
11–4
東 大関
10–5
西 大関
9–6

2001年
(平成13年) 西 大関
2–2–11[14]
休場 東 大関 #3
12–3[15]
東 大関
11–4
西 大関
4–5–6[14]
休場
2002年
(平成14年) 東 大関 #2
13–2[15][16]
西 大関
7–8
西 大関 #2
11–4[15]
西 大関
14–1
東 大関
10–5
西 大関
6–3–6[14]

2003年
(平成15年) 休場 東 大関
12–3[15]
東 大関 #2
10–5
西 大関
11–4
西 大関
11–4
東 大関
10–5

2004年
(平成16年) 西 大関
10–5
東 大関
13–2
東 大関
9–6
西 大関
10–5
西 大関
8–7
西 大関
7–8

2005年
(平成17年) 西 大関
8–7[15]
東 大関
6–9
西 大関 #2
10–5[15]
東 大関
3–6–6[14]
西 大関 #2
10–5[15]
西 大関
11–4

2006年
(平成18年) 東 大関
4–4–7[14]
東 大関 #2
9–6[15]
東 大関 #2
10–5
西 大関
9–6
西 大関
10–5
東 大関
9–6

2007年
(平成19年) 西 大関 #2
10–5
東 大関
7–8
西 大関 #3
10–5[15]
西 大関
9–6
東 大関
9–6
西 大関
11–4[17]

2008年
(平成20年) 東 大関
0–8–7[14]
西 大関 #2
8–7[15]
東 大関 #2
5–10
西 大関 #2
9–6[15]
西 大関 #2
9–6
東 大関 #2
8–7

2009年
(平成21年) 西 大関
8–7
西 大関
2–13
東 大関 #3
8–7[15]
東 大関 #3
8–7
東 大関 #3
2–9–4[14]
東 大関 #3
2–9–4[14][15]

2010年
(平成22年) 西 関脇
引退
0–4–11 x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下

三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星
番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口


幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

  

主な力士との幕内対戦成績 [編集]
2009年11月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
琴龍 7 2 土佐ノ海 21 10 黒海 8 4
敷島 5 2 出島 20 14 白鵬 6 20
琴錦 7 3 若の里 26 5 露鵬 6 4(1)
濱ノ嶋 4 1 海鵬 4 1 琴欧洲 7 16
栃乃和歌 3 1 小城錦 3 1 和歌乃山 3 1
朝乃若 3 2 闘牙 14 0 普天王 4 2
肥後ノ海 4 1 旭鷲山 16 1 琴奨菊 15 3
湊富士 3 2 雅山 24 22(1) 稀勢の里 13 7
貴ノ浪 21 7(1) 旭天鵬 27 7 時天空 9 4
貴闘力 10 1 栃乃花 4 1 日馬富士 7 12
若乃花 5 3 隆乃若 4 3(1) 把瑠都 5 6
貴乃花 6(1) 9 琴光喜 22 20(2) 豊ノ島 2 6
安芸乃島 10 3 朝青龍 9 30 豊真将 3 2
栃東 16(1) 18 玉乃島 14 8 豪風 4 3
玉春日 7 3(1) 安美錦 18 6 鶴竜 6 4
栃乃洋 20 9 高見盛 9 3 豪栄道 5 3(1)
曙 4 7 北勝力 9 3 若ノ鵬 1 1
武蔵丸 9 11 霜鳳 7(1) 0 栃ノ心 1 1
武双山 10(1) 14 朝赤龍 8 4 嘉風 1 0
魁皇 20 33(1) 岩木山 8 5 栃煌山 1 3
琴ノ若 12 2 垣添 7 5 阿覧 1 0

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2009年11月場所現在、現役力士。)

主な成績 [編集]
2009年11月場所終了現在

通算成績:771勝524敗115休(103場所)
幕内成績:597勝398敗115休(74場所)
大関在位:65場所(歴代1位)
三役在位:5場所(関脇4場所、小結1場所)
各段優勝 [編集]
幕内最高優勝:3回(1999年1月場所、2002年7月場所、2003年3月場所)
十両優勝:2回(1997年3月場所・7月場所)
三段目優勝:1回(1994年1月場所)
序ノ口優勝:1回(1993年1月場所)
三賞・金星 [編集]
三賞:5回
殊勲賞:1回(1999年1月場所)
敢闘賞:1回(1999年1月場所)
技能賞:3回(1998年3月場所、1998年7月場所、1998年9月場所)
金星:1個(貴乃花)
改名歴 [編集]
廣嶋 龍二(ひろしま りゅうじ)1992年11月場所-1993年9月場所
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)1993年11月場所-
著書 [編集]
突っ張り(自伝、東京新聞出版局、1999年5月)
脚注 [編集]
^ http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/genseki/050629.html |title=原石の時代 |publisher=西日本新聞
^ a b "まさに千代大敗…大関ワースト13敗". スポーツニッポン. 2009年3月30日 閲覧。
^ "千代大海13敗!カド番制度に横審から疑問…春場所千秋楽". スポーツ報知. 2009年3月30日 閲覧。
^ "千代大海 大関ワースト13敗…糖尿病も告白". デイリースポーツ. 2009年3月30日 閲覧。
^ a b "千代大海が本名改姓=大相撲夏場所14日目". 時事通信. 2009年5月23日 閲覧。
^ 「大相撲夏場所:千秋楽、千代大海と把瑠都「無気力」 監察委が「注意」」毎日新聞2009年5月30日 東京朝刊
^ "14度目のかど番…千代大海 大関転落でも現役続行". スポニチ (2009-11-12). 2009年11月12日 閲覧。
^ "千代大海 大関陥落…来場所6敗なら即引退も". スポニチ (2010-01-11). 2009年11月25日 閲覧。
^ 千代大海が引退 きょう届け出, 東京新聞(2010年1月13日), 2010年1月13日閲覧
^ 元・千代天山ブログ2007年5月3日
^ 対貴乃花
^ "Rikishi in Juryo and Makunouchi" (English). szumo.hu. 2007-06-04 閲覧。
^ 3代若乃花と優勝決定戦
^ a b c d e f g h i 途中休場(全8回)
^ a b c d e f g h i j k l m n 角番(全14回)
^ 栃東と優勝決定戦
^ 千秋楽不戦敗

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