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高木康成

高木 康成(たかぎ やすなり、1982年3月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。

目次 [非表示]
1 プレイスタイル
2 経歴
2.1 プロ入り前
2.2 プロ入り後
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別投手成績
4.2 背番号
4.3 個人記録
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク


プレイスタイル [編集]
直球の球速は平均140km/h弱ほどだが、高校時代に甲子園でも多くの三振を奪った変化の大きいカーブに、カット・ファスト・ボール、スライダー、フォークボールなどの多彩な変化球を投げ分ける軟投派左腕である。

プロ入りからオリックス移籍直後までは先発投手を任されていたがあまり目立った成績を残せず、2006年以降はリリーフとしての起用がメインである。

チームにとっては貴重なサウスポーだが、やや故障が多いのが欠点。

経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
静岡県榛原郡吉田町出身。中学時代にエースとして全国中学校軟式野球大会で全国優勝を経験。高校は県内トップクラスの進学校であり、野球名門校である静岡高校に進学。3年時には第81回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦の倉吉北戦での17奪三振を皮切りに、3試合連続で2桁奪三振を記録した。

1999年のプロ野球ドラフト会議において大阪近鉄バファローズから2位指名を受け入団。

プロ入り後 [編集]
入団2年目の2001年に5試合に登板し、初先発・初勝利を記録。2002年には主にリリーフで27試合に登板して防御率2点台の好成績を残し、先発初勝利も記録した。しかし翌2003年は再び一軍登板無しに終わった。

2004年は主に先発として起用され自身最多投球回数を記録したが、打者2巡目や中盤で捉えられる事が多く、5点近い防御率に終わった。近鉄の本拠地最後の試合となった9月24日の西武戦(大阪ドーム)で勝利投手となり、チーム最終戦である27日のオリックス戦(ヤフーBBスタジアム)でチームが敗れたため、高木は近鉄最後の勝利投手となった。同年オフに球団合併による選手分配ドラフトでオリックスに移籍。

2005年は8試合に登板したのみで、内容も芳しい物ではなかった。5月15日の広島戦(スカイマークスタジアム)で先発を任されるも、打者3人に対して2四球1安打という乱調で、1死も奪えずわずか12球で降板。その後、試合は16対14で広島が勝ち、プロ野球史上2位タイとなる両軍42安打(広島22安打・オリックス20安打)という大乱打戦となった。

2006年はリリーフとして起用され、21試合で防御率3.20と久々に一軍の戦力と言える数字を残した。同年オフに、97年以来9年ぶりに復活するハワイ・ウィンターリーグへ派遣された。

2007年は開幕から一軍に入り、菊地原毅、山本省吾、吉田修司らと共に左の中継ぎとして活躍した。それ以前は走者を出すと制球を乱し痛打を許して崩れる場面が目立ったが克服し、特に強打者には滅法強い強心臓ぶりを発揮。シーズンを通して登板を重ねてチーム2位の54試合に登板、防御率2.62と安定した成績を残した。

2008年も開幕一軍入り。4月2日の西武戦で3年ぶりの先発を務めるも、3回3失点で敗戦投手に。以後、精彩を欠いた投球が続き、10試合で防御率8.80の大乱調で4月中に2軍降格。10月に内視鏡による左肘頭骨棘(ちゅうとうこっきょく)除去手術を受けた。

2009年は開幕では一軍登録はされなかったが7月10日に一軍登録された。しかし、登板機会がないまま7月15日に登録抹消された。8月7日に再登録され8月12日の試合に抑えとして出場。六点の差があったためセーブはつかなかったが、1安打無失点と好投した。しかし、翌日の8月13日の試合では1回2安打2四球2失点と乱調であった(ビハインドの場面だったので勝ち負けつかず)。その後も乱調が続き、8月21日に再び登録抹消された。しかし、9月10日に再登録され、この日の試合に先発。結果は5回5安打2四球4失点(自責点3)と失点こそは多かったが、まずまずのピッチングをした(高木は敗戦投手)。その後は抹消と登録を繰り返し、登録された時は先発するという形になった。9月22日には近鉄以来の先発での勝利投手となった(6回2安打3四球無失点)。10月9日のオリックス最終戦でも先発した(結果は負けて、高木は敗戦投手となった)。12月4日、木佐貫洋とのトレードで読売ジャイアンツに移籍[1]。

人物 [編集]
2004年シーズンオフの選手分配ドラフト直後のオリックスとの交渉時、年俸1300万円を提示されるものの、「12で割ると1カ月分がすごい半端。1320万だと110万円になるんで」と主張して20万円の上乗せに成功。当時フロントの中村勝広を笑わせた。

詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]

度 球
団 登
板 先
発 完
投 完
封 無

球 勝
利 敗
戦 セ

ブ ホ


ド 勝
率 打
者 投

回 被

打 被


打 与

球 敬
遠 与

球 奪

振 暴
投 ボ

ク 失
点 自

点 防

率 W
H
I
P
2001 近鉄 5 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 35 6.1 12 1 4 0 0 6 1 0 10 10 14.21 2.53
2002 27 5 0 0 0 3 3 0 -- .500 257 63.1 49 3 17 2 4 61 4 0 19 18 2.56 1.04
2004 19 10 0 0 0 2 7 0 -- .222 283 64.2 54 7 38 1 3 42 2 0 35 35 4.87 1.42
2005 オリックス 8 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 80 17.1 20 5 11 0 1 11 2 0 12 12 6.23 1.79
2006 21 3 0 0 0 0 1 0 1 .000 88 19.2 23 2 8 0 0 19 0 0 7 7 3.20 1.58
2007 54 0 0 0 0 4 3 0 8 .571 226 55.0 48 3 18 2 1 47 2 0 18 16 2.62 1.20
2008 10 1 0 0 0 1 2 0 1 .333 70 15.1 21 3 3 0 1 8 0 0 16 15 8.80 1.57
2009 6 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 89 20.0 18 1 14 0 0 4 0 0 12 11 4.95 1.60
通算:7年 150 28 0 0 0 13 21 0 10 .382 1128 261.2 245 25 113 5 10 198 11 0 129 124 4.26 1.37

2009年度シーズン終了時
背番号 [編集]
33 (2000年 - 2009年)
13 (2010年 - )
個人記録 [編集]
初登板:2001年6月12日、対福岡ダイエーホークス11回戦(福岡ドーム)、6回裏に救援登板・完了
初奪三振:同上、8回裏に松中信彦から
初先発:2001年6月17日、対オリックスブルーウェーブ14回戦(大阪ドーム)
初勝利:2001年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ28回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏に救援登板
初先発勝利:2002年10月2日、対西武ライオンズ28回戦(西武ドーム)
初ホールド:2006年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)
脚注 [編集]
^ 木佐貫投手とオリックス・高木投手のトレード成立

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