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小林雅英

小林 雅英(こばやし まさひで、1974年5月24日 - )は、読売ジャイアンツ所属の山梨県大月市出身のプロ野球選手(投手)。

愛称は「コバマサ」。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 日本時代
1.2 メジャー時代
1.3 日本球界復帰
2 プレイスタイル
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別投手成績
4.2 背番号
5 タイトル・記録
5.1 タイトル
5.2 記録
5.3 表彰・受賞
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク


経歴 [編集]
日本時代 [編集]
1999年、後半戦から先発として起用され、5勝5敗の成績を残した。前半戦などでのリリーフ起用を含めれば46試合に登板している。

2000年、序盤で3試合に先発したがいずれも敗戦投手になり、当時の山本功児監督によってリリーフに配置転換され、シーズンで11勝6敗14セーブの好成績を挙げる。7月2日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で、「打者0人」で勝利投手(プロ野球史上初)になった(小林が2球目を暴投し一気に三塁を狙った一塁走者イチローが三塁でアウトになったため)。2008年末の時点でもこの記録は小林雅のみである。

2001年、5月25日の対日本ハムファイターズ戦から30日の福岡ダイエーホークス戦にかけてプロ野球新記録となる6日間連続セーブをあげた。オフにはニュース番組のゲストに招かれたり、このときのエピソードが漫画化(少年サンデー超「小林雅英物語」漫画:寒川一之)されるなど一気に名を上げた。6月まで防御率0点台と圧倒的な数字を残したが、後半は疲れから打ち込まれ、最終的に防御率4.33に終わった。しかしリーグ2位の33セーブを挙げ、チームには他にセーブを挙げた投手が一人もいないという状況だった。

2002年、17試合連続セーブのパシフィック・リーグ新記録、33試合連続セーブポイントのプロ野球新記録を樹立するなど、44試合で37セーブ・防御率0.83の好成績を残した。2003年、44試合で33セーブの好成績を残す。

2004年、監督がボビー・バレンタイン監督に交替し、投球回数が増加。当初メジャーリーグ的な起用法が合わなかったためか救援成功率が落ちている。アテネオリンピック野球日本代表に選出。これを機会として変則モーションの矯正に取り組む。日本代表のクローザーとして銅メダルに貢献。

2005年、5月18日の対広島東洋カープ戦において、312試合登板という史上最速ペースでの通算150セーブを達成(プロ野球史上4人目)。初タイトルとなる最多セーブ投手を獲得。10月15日、福岡Yahoo!JAPANドームで行われたプレーオフ2ndステージの対福岡ソフトバンク第3戦、4-0で迎えた9回裏に登板したが、先頭打者の四球を皮切りにヒット・タイムリーを浴び、最後は押し出しで4-4の同点に追いつかれた。チームは10回にサヨナラ負け。チームは4戦目も敗戦し、2勝2敗でリーグ優勝の行方は第5戦の勝敗に委ねられた。そして9回裏3-2と1点リードでマウンドへ上がる。先頭打者をまたも四球で歩かせ一打同点の場面を招くが、今度は川崎をレフトフライに打ち取りゲームセット。千葉ロッテは31年ぶりのリーグ優勝を果たし胴上げ投手となる。阪神との日本シリーズ第4戦に登板。先頭打者を四球で出したものの続く打者を抑え見事に胴上げ投手となった。11月13日のアジアシリーズ決勝三星ライオンズ戦でも最終回に5-1でリードの場面でマウンドに上がり、味方のエラーなども重なり2失点。しかし最後は三振で締め三度目の胴上げ投手となった。

2006年、6月7日の対中日ドラゴンズ戦で9回裏に登板し、クリーンナップを三者凡退に抑えて日本プロ野球初の6年連続20セーブを達成。日本生命セ・パ交流戦で、3勝0敗13Sの成績を挙げ交流戦MVPを獲得。ロッテの交流戦連覇に貢献した。8月18日の北海道日本ハム戦で佐々木主浩、高津臣吾以来となる史上3人目の通算200セーブを達成する。なお、この試合以降は、一度もセーブをあげることができなかった。

2007年、8月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦で登板しセーブを記録、自己の記録を更新する日本プロ野球初の7年連続20セーブを達成。しかし、8度の救援失敗に加え、抑え転向後初2軍降格を経験した。クライマックスシリーズにおける最後の切り札としての温存及び調整だったともいわれる。11月2日、フリーエージェント権行使を宣言。11月20日、アメリカ・メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスと2年契約を交わす。契約内容は2年625万ドル(2008年と2009年各300万ドル、契約破棄の場合は25万ドル)で、3年目については球団側が325万ドルの選択権を持つ。

メジャー時代 [編集]
2008年、4月26日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で登板し、チームのサヨナラ勝ちによって、メジャー初勝利を挙げた。1年間を通じてメジャーに在籍し、主に中継ぎとして57試合に登板して4勝5敗6セーブ、防御率4.53を記録。

2009年、10試合に登板し防御率8.38と不振に陥り、5月16日にマイナー降格を通告された。その後、インディアンス傘下の3Aコロンバスに合流し、メジャー復帰に向けて調整していたが、7月18日にインディアンスとの契約を解除した[1]。他球団のオファーを待ったが届かず帰国。

日本球界復帰 [編集]
2009年12月1日、年俸5000万円プラス出来高1億円の1年契約で、読売ジャイアンツへの入団が決定した[2][3]。

プレイスタイル [編集]
この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。これを解消するためにある情報の根拠だけではなく、信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

武器は左右に投げ分ける150km/h超の直球と、好調時は直球より速いシュート、 最速140km/h計測する縦に落ちる高速スライダー。

縦のスライダーの切れはマスコミなど各メディアにフォークボールと誤解されるほど鋭い(指が短いためフォークを実戦で使うことはほぼないと考えられる)。

ストレートと共に、高速シュートで詰まらせて内野ゴロに打ち取る、または縦スライダーで空振りを取るなど力押しの投球スタイルになることが多い。制球力はあまり高い方ではない。

毎回のようにヒットなどでランナーを出しながら計算して最終的には抑える投球内容が多く、チームメイトの大塚明に「コバマサ劇場」などと揶揄されたこともある。数々のセーブの記録を塗り替えており、彼の自論はそのメンタルタフネスの高さを裏付けるエピソードといえる。

かつてはマリアーノ・リベラのような変則モーションだったが、オリンピック代表に選出され矯正に着手。体をこきざみに揺することで整えるフォームに改造したものの不調に苦しむ。翌2006年は極端に体を開いて投げるモーションで克服し、なかなかの成績を残したが、2007年には球威・制球力の衰え、投球パターンの不足などがあいまってクローザーながら7敗を喫し、シーズン終盤には2軍落ちするなど苦しいシーズンを送った。

人物 [編集]
この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2008年2月貼付)

日本体育大学時代は山内泰幸(現広島東洋カープコーチ)のニ年後輩。4年次は杉本友(筑波大学)・森中聖雄(東海大学)とともに首都大学野球リーグの三大エースとして注目された。

しかし大学卒業時に杉本・森中は当時の逆指名制度によってプロ入りしたが小林にはオファーが無く、社会人を経て千葉ロッテに入団した。先に入団した二人は、森中は貴重な中継ぎ左腕として、防御率2点台を記録するなど、数シーズンの間は活躍を見せたものの、その後は不調で30歳手前で早期に引退。杉本はほとんど期待に応えられず引退する形になったが、小林はメジャーリーガーに上り詰めた。

東京ガス在社時代は、お客様サービスセンターでクレーム処理をしていた(しかし本人曰く、ほとんど聞き流していたとのこと)。

千葉ロッテ時代には同じ小林姓である小林宏之がいたが、マリーンズファンには名前ではなく「小林」と呼ばれていた(小林宏之も当初は「小林」と呼ばれていたが、次第に名前の「ひろゆき」で呼ばれるようになった)。

各最速通算セーブ記録、連続日セーブ、数々の日本代表経験、2007年時点まで史上唯一の7年連続20セーブ以上を記録(継続中)しているなど日本プロ野球史を代表するストッパーの一人と称されることもある。しかしながら、最優秀救援投手・最多セーブ投手には縁がなく、現在まで2005年の一度のみであり、シーズン防御率が2点台を切ったのも1度だけ(ただし0.83)ということからも、全盛期の佐々木主浩(元横浜)のように他球団から恐れられる絶対的な守護神とは言いがたいのが現状である。その反面、心身の疲労度が激しいクローザーを、長期にわたり毎年ある程度安定した活躍をしているという点においては稀有な存在であるとも言える。

2005年から2007年の間、薮田安彦、藤田宗一から小林に繋ぐリレーは千葉ロッテの“勝利の方程式”(ただし2007年は度々炎上した)であり、一部メディアからは阪神タイガースの勝利の方程式「JFK」を捩って「YFK」と名付けられた。YFKはその後、2007年のオフに小林自身がクリーブランド・インディアンスへ、薮田はカンザスシティ・ロイヤルズに、藤田は読売ジャイアンツに移籍したため解散となった。

2006年の登場曲は、戦ユニフォームの時はKAT-TUNの『Real Face』、誠ユニフォームの時は倖田來未の『WIND』をかけていたが、5月31日の登板時から川嶋あいの『一秒の光』を流していた。この曲はこのために書き下ろされた曲であり、オリックス・バファローズの大久保勝信、福岡ソフトバンクの和田毅に次ぐプロ野球選手への曲贈呈となった。

2007年1月14日、経営難に陥っている銚子電気鉄道を支援する市民団体「銚子電鉄サポーターズ」の特別サポーター(第1号会員)となり、発会式に同電鉄が製造販売する名物の「ぬれ煎餅」作りを手伝うパフォーマンスを見せた。なおこの活動はメジャー移籍後も継続すると表明している。

詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]

度 球
団 登
板 先
発 完
投 完
封 無

球 勝
利 敗
戦 セ

ブ ホ


ド 勝
率 打
者 投

回 被

打 被


打 与

球 敬
遠 与

球 奪

振 暴
投 ボ

ク 失
点 自

点 防

率 W
H
I
P
1999 ロッテ 46 10 3 0 0 5 5 0 -- .500 507 124.1 93 8 55 3 4 107 6 4 42 37 2.68 1.19
2000 65 3 0 0 0 11 6 14 -- .647 441 109.2 87 4 37 4 1 72 4 0 34 26 2.13 1.13
2001 48 0 0 0 0 0 4 33 -- .000 218 52.0 54 7 13 2 1 47 1 0 25 25 4.33 1.29
2002 43 0 0 0 0 2 1 37 -- .667 158 43.1 26 1 6 1 0 41 1 0 4 4 0.83 0.74
2003 44 0 0 0 0 0 2 33 -- .000 192 47.0 45 2 11 2 1 30 1 0 18 15 2.87 1.19
2004 51 0 0 0 0 8 5 20 -- .615 235 57.2 51 4 19 6 2 50 3 0 25 25 3.90 1.21
2005 46 0 0 0 0 2 2 29 0 .500 186 45.1 49 6 9 1 1 33 0 0 14 13 2.58 1.28
2006 53 0 0 0 0 6 2 34 3 .750 214 53.2 49 4 8 0 2 48 0 0 16 16 2.68 1.06
2007 49 0 0 0 0 2 7 27 0 .222 207 47.1 53 4 12 4 2 35 0 0 24 19 3.61 1.37
2008 CLE 57 0 0 0 0 4 5 6 2 .444 244 55.2 65 8 14 2 1 35 4 0 30 28 4.53 1.42
2009 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 45 9.2 12 2 4 0 1 4 1 0 9 9 8.38 1.66
NPB:9年 445 13 3 0 0 36 34 227 3 .514 2358 580.1 507 40 170 23 14 463 16 4 202 180 2.79 1.17
MLB:2年 67 0 0 0 0 4 5 6 2 .444 289 65.1 77 10 18 2 2 39 5 0 39 37 5.10 1.45

2009年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
背番号 [編集]
30(1999年 - )
タイトル・記録 [編集]
タイトル [編集]
最多セーブ投手1回(2005年・29S)
オールスターゲーム出場4回(2000、2001、2005、2006年)
記録 [編集]
2000年 打者0人で勝利投手(日本プロ野球史上初)
2001年 6日連続セーブ(プロ野球記録)
2002年 17試合連続セーブ(パ・リーグ記録)、33試合連続セーブポイント(プロ野球新記録)
2004年 アテネオリンピック野球日本代表として銅メダルを獲得
2004年5月15日 1イニング3暴投(プロ野球タイ記録)
2005年 通算150セーブを達成、29セーブを挙げ、最多セーブ投手賞を獲得
2006年 交流戦MVPを獲得、6年連続20セーブ(プロ野球史上初)、通算200セーブ(プロ野球史上3人目)を達成
表彰・受賞 [編集]
山梨県イメージアップ大賞特別賞(2003年)
前年の33試合連続セーブポイントのプロ野球日本新記録を樹立を称えて
県知事賞(2004年) - 千葉県より
市民栄誉賞(2004年) - 千葉県千葉市より
やまなしスポーツ賞(2004年) - 山梨県より
アテネ五輪野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて
ア・マン・オブ・ジュエリー賞(2006年) - 山梨県水晶宝飾連合会より
「宝石の街甲府」「貴金属の山梨」の輝く男性を代表して

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