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武田勝

武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )
プロ野球・北海道日本ハムファイターズに所属する投手。背番号は38。


経歴

プロ入り前
小学4年の頃から野球を始め、それ以来投手一筋である。中学卒業後に地元を離れて関東第一高等学校に進学する。この頃両親が離婚するなど不安定な時期にあったが、母の後押しを受けて活躍し、プロのスカウトの目に留まる。立正大学を卒業後、2001年にシダックスに入社した。

シダックス入社後にフォームを改造し、野間口貴彦(現・読売ジャイアンツ(巨人))とともにエースとして活躍。2003年の都市対抗野球ではシダックスを準優勝に導いた。2003年のドラフト会議では巨人が野間口と共に獲得を目指していたが、当時シダックス野球部の監督を務めていた野村克也に「野間口と武田が同時に抜けるのはチームとして困る」と拒否され、巨人は獲得を断念した。野村はこのとき武田に「退部してドラフトを受ける手もある」と裏技を教えたが、武田は逆に監督の気遣いを意気に感じて残留を決めた[1]。

2005年2月に投げ込み過多が原因で左ヒジを故障し、6月まで復帰できなかった[1]。だが懸命なリハビリが功を奏し、第36回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)にて、同僚の小山桂司(現・中日ドラゴンズ)とともに北海道日本ハムファイターズに指名され(武田は4巡目、小山は5巡目)、北海道日本ハムとの仮契約は東京都渋谷区のカラオケボックス「渋谷シダックスビレッジクラブ」で行われた。

プロ入り後
2006年の開幕2戦目となる東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌)で先発した江尻慎太郎のあとを受け登板、社会人時代の恩師・野村の目の前でプロ初登板初勝利をマーク。7月1日の東北楽天戦で高須洋介の打球を左手に受け指を骨折し戦線離脱するが、8月に復帰し初セーブも記録。29試合に登板(先発7、救援22)し、5勝2敗1セーブ5ホールド、防御率2.04の成績を残してリーグ優勝に貢献した。10月24日の日本シリーズ第3戦においてシリーズ初登板初先発、5回1失点に抑え勝利投手(史上4人目)。

2007年はチーム事情からリリーフ投手として開幕を迎えたが、5月から再び先発に回り、35試合に登板して9勝を挙げ防御率2.54(リーグ6位)で2年連続リーグ優勝に貢献。与四死球率1.39と被安打113は規定投球回以上の投手としては両リーグ1位だった。しかし8月以降は防御率3点台後半と不調に陥り、クライマックスシリーズでは2試合(第2戦・第4戦)に登板し、2試合とも敗戦投手となっている。日本シリーズでは第3戦に先発するがプロ最短の1/3イニングで降板、後続のブライアン・スウィーニーとともに許した7打数連続安打は日本シリーズ新記録。

2008年以降はほぼ先発選任となる。前年終盤に打ち込まれた反省からフォームを社会人時代のものに修正して臨んだ2008年は、開幕4戦目に先発してから3連勝という上々のスタートを切ったが、先発を予定していた4月29日の千葉ロッテマリーンズ戦の試合前練習中に、ベニー・アグバヤニ(千葉ロッテ)の打球を左手親指に受け骨折。6月29日のオリックス・バファローズ戦にて復帰し勝利投手となった。このあとは被本塁打が多いなどやや安定感に欠ける部分はあったが、得意の福岡ソフトバンクホークス戦(3勝3敗)を中心に閉幕まで先発ローテーションの座を守り抜き、8勝7敗という成績を残した。

2009年は先発ローテーションの一角として安定した投球を続け、二年ぶりに規定投球回に到達した。夏場なかなか勝ち星が伸びなかったが、最終戦で10勝目を挙げ、自身初の二桁勝利を達成した。そのうち5勝(1敗)が東北楽天戦で、防御率2.00とカモにした。コントロールが非常によく、規定投球回到達者中最少の四球20個、暴投0だった。

人物・プレースタイル
細身の体格かつ変則のスリークォーターから最速142km/hの直球、スライダー、チェンジアップ、シュートを投げる。この変則スリークォーター投法は、シダックス野球部1年目(2001年)の冬のキャンプで臨時コーチを務めた高橋一三(日本ハムファイターズOB)が上手投げでの欠点を指摘し、指導のもと改造したものである[1]。2002年に同野球部監督に就任した野村克也(2009年現在は東北楽天ゴールデンイーグルス監督)は、武田のピッチングを見て「今のままでは使えない、何かひとつ武器を身につけろ」とアドバイスをし、このときチェンジアップとシュートを習得した。

制球が良く与四死球が非常に少ない。与四死球率はプロ入り以来4年連続して2.00未満である。反面、プロにしか分からないという微妙な投げ癖(投げるとき微妙に球種が分かるという)が課題で、2009年は三盗を決められることも多かった。また、好調の時やピンチの時、果ては打球を手首に受けて骨折しても表情がほとんど変わらないポーカーフェイスでもある。野球解説者の岩本勉や東北楽天の野村監督から「何を考えているのか全く読めない」と評されている。

記録

初記録
投手記録

初登板:2006年3月26日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(札幌ドーム) - 3回表二死から救援、打者:草野大輔
初奪三振:同上、打者:鉄平
初勝利:同上
初ホールド:2006年4月18日、対オリックス・バファローズ4回戦(東京ドーム)
初先発:2006年6月9日、対中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム) ※
初セーブ:2006年8月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(フルキャストスタジアム宮城)
初完投:2007年6月11日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム) - 敗戦投手
初完投勝利:2009年4月16日、対オリックス・バファローズ3回戦(札幌ドーム)
打撃記録

初安打:2007年5月27日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム) - 3回表無死、投手:山本昌 ※
※はセ・パ交流戦

その他記録
新人投手の日本シリーズ初登板初先発初勝利
2006年10月24日、日本シリーズ第3戦(中日ドラゴンズ)において記録。史上4人目。
この記録の史上3人目は、同シリーズ第2戦(同年10月22日)で先発した同じく北海道日本ハムの新人・八木智哉。日本シリーズで同一球団の新人投手が2試合連続で先発したのは史上初であり、2人連続で勝利投手となったのも史上初。

背番号
38(2006年 - )



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