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草野大輔

草野 大輔(くさの だいすけ、1976年12月4日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 プレースタイル
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 年度別守備成績
3.3 背番号
3.4 個人記録
3.5 登場曲
3.6 日本代表キャリア(社会人時代)
4 エピソード
4.1 アマチュア最強打者
4.2 プロ入り後
4.3 その他
5 脚注
6 関連項目


経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
延岡学園高等学校では3番・遊撃手として活躍。1994年夏の宮崎県大会では、決勝戦で福盛和男擁する都城高等学校を破って甲子園に出場したが、初戦で東京農業大学第二高等学校に4-12で敗れた。1995年、NTT東京硬式野球部(東京都)に入部。

1999年、NTT東京がNTT東日本に統合されたことにより、NTT九州硬式野球部(熊本市)へ移籍。第70回都市対抗野球大会出場。その後、所属チームは企業チームとしての活動を終了。名称も改め、「NTT西日本九州野球クラブ」(後に「NTTグループ九州野球クラブ」と改称)となる。しかし、2001年、所属チームが解散。ホンダ熊本へ移籍。

2002年、九州地区予選で、当時エースだった坂本保(現ホンダ)と共に、3番・遊撃手としてチームを引っ張り、第73回都市対抗野球大会出場し、準優勝。2003年は、第74回都市対抗野球大会出場、ベスト8。

2004年、2005年、所属チームは都市対抗野球大会への出場を逃すが、JR九州の補強選手として大会に出場した。JR九州は各年、ベスト8・ベスト4入り。JR九州では三塁手。

2003年以降、全日本代表に4度選出され、社会人野球を代表する内野手となる。全日本では二塁手(目次4の「日本代表キャリア・社会人時代」を参照)。

2005年、大学生・社会人ドラフト8巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに指名される。年齢的にプロ野球選手はほとんどあきらめていたが、悩みぬいた末、29歳・妻子ありでのプロ入りを決断した。その際、高校の先輩である黒木知宏(現・ジョニー黒木)にも相談した[1]。

ちなみに契約金を実家と妻の両親に全てあげている。

プロ入り後 [編集]
ルーキーイヤーの2006年、故障で出遅れた高須洋介に代わり、開幕2戦目の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌)に8番二塁手で初出場、初安打となる二塁打を放つ。その後は同じくルーキーの西村弥、二年目の塩川達也と遊撃手のポジションを争うものの、出場選手登録・抹消を繰り返す。結局一軍に43試合出場し打率.210と定着しきれなかったが、ファームでは41試合出場し打率.348、4本塁打、6盗塁の結果を残した。

2007年は、開幕戦の西武ライオンズ戦(所沢)で、2番三塁手としてスタメン出場し、西口文也からプロ初本塁打を放つ幸先の良いスタートとなった。前半戦は「落ちるとこまで落ちた」と自身も語る打撃不振に陥り[2]、同じショートの渡辺直人の台頭もあり、スタメンを外れ代打に回る機会が多くなる。しかし代打で結果を残すようになり、ホセ・フェルナンデスの不振から、交流戦明けからは三塁手でのスタメン出場が増えてきた(ただし、相手先発投手が左の時は、スタメンを外れる事が多かった)。7月、池山隆寛打撃コーチからアドバイスを受け、腰を低く落とした打撃練習に取り組む[3]。 この練習が功を奏し、チェンジアップなど縦に変化するボールに対応できるようになってきた8月ごろから、打率が上がり始める。

8月10日の千葉ロッテ戦(仙台)でプロ初サヨナラヒットを放ち、同月21日には千葉ロッテ戦(千葉)でソロ本塁打。試合後、野村監督は「勝負強いし、(打撃に関しては)天才的なところがある。草野を3番に」とコメントした[4]。これ以降、先発投手の左右に関係なく、3番・三塁手でのスタメン出場が定着する。9月には15日・21日・24日・27日・29日・30日と、続けざまに猛打賞を記録。チームの勝利に貢献する殊勲打をたびたび叩き出し、楽天の最下位脱出(単独4位)の立役者の一人となった。最終的には規定打席不足ながら、打率.320を記録する。また2ストライクからの打率は両リーグでトップの打率.328を記録。一方で守備面ではリーグ5位の14失策を記録してしまった。

2008年は、オープン戦で打率.333(チームトップ)と打ちまくり、3番三塁手で2年連続の開幕スタメン出場を果たした。しかし打率が1割台と打撃不振になってしまい、1度は2軍落ちしてしまう。夏場頃には調子を戻し始めたが、それでも成績は乏しかったためスタメンを外れることが多々あった。また、8月からはフェルナンド・セギノールが入団した影響でホセ・フェルナンデスが三塁にまわり、自身は代打、守備要員になってしまう。しかし代打で連続打席安打を記録するなど、ここ1番での勝負強さを見せた。

2009年、レギュラー奪回を目指すシーズンであるがオープン戦時に右ふくらはぎの肉離れにより登録抹消、開幕一軍入りはならなかった。4月12日の埼玉西武戦で一軍復帰し、6番三塁でスタメン出場するといきなり4安打と活躍した。中村紀洋の加入で空いたポジションがなくなったため、野村監督の苦肉の策として19日にプロ入り後まったく経験のない左翼の守備に就き、22日には初めて左翼でのスタメン出場を果たした。4・5月は5割弱の高打率を維持、球団新記録となる21試合連続安打を記録した(その後鉄平に抜かれる)。交流戦では山崎武司にかわり17試合続けて4番も打った。シーズン途中に外野手のトッド・リンデンを獲得してからは、攻撃的なオーダーを組むために二塁に回った。

5月25日不足打席分が解消され規定打席に到達、打率.402とこの時点で一躍首位打者に躍り出る。7月にはオールスターゲームファン投票で外野手部門3位に輝き、初のオールスター出場を果たす。川井雄太から初安打を放ち、1戦目で左翼、2戦目で二塁・三塁を守ってユーティリティーぶりを発揮した。8月4日、サードゴロを捌く際に右足のスパイクで自らの左足のズボンの裾を踏んで転倒してしまいぎっくり腰で一軍登録を外れる失態も演じたが、半月で再登録された。中村紀の二軍落ち後は三塁のレギュラーに固定され、自身初の規定打席に到達し打率.305 54打点(自己最高打点)の成績を残した。一方、前半の活躍のマークのキツさからか両リーグ最多の17死球を記録した。

プレースタイル [編集]
打撃が売りのユーティリティプレーヤー。社会人時代には強打で名を馳せていたが、ルーキーイヤーにプロの壁の厚さに当たったのをきっかけに今はミート重視の打撃をしており、長打力は影を潜めている。バットコントロールが非常に上手く、選手をほめる事が少ないことで知られる野村克也監督に「天才」と言わせたほどである。その打球は綺麗に芯を捉え、強烈な音を出し飛んでいくのが特徴である。初球に手を出す事は少ないが早めに打ちに行くタイプで、三振の数、同時に四球の数が少ない。守備はプロ入り前から内野各ポジションを経験しており、2009年からは外野守備も経験した。二塁手、三塁手、遊撃手、左翼手、右翼手と幅広く守備ができるが、あくまで守れるというレベルであるため主に二塁手、三塁手での出場が多く、現在では遊撃手としての出場はほぼ無い。

詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]

度 球
団 試
合 打
席 打
数 得
点 安
打 二

打 三

打 本

打 塁
打 打
点 盗
塁 盗

死 犠
打 犠
飛 四
球 敬
遠 死
球 三
振 併

打 打
率 出

率 長

率 O
P
S
2006 楽天 43 112 100 6 21 6 0 0 27 2 0 0 5 0 7 1 0 17 1 .210 .262 .270 .532
2007 119 387 344 45 110 19 2 8 157 44 1 2 1 2 32 2 8 34 7 .320 .389 .456 .845
2008 118 365 328 36 89 15 0 3 113 36 2 0 7 4 20 1 6 33 6 .271 .321 .345 .666
2009 122 511 462 55 141 28 0 7 190 54 3 0 3 2 27 1 17 60 15 .305 .364 .411 .775
通算:4年 402 1375 1234 142 361 68 2 18 487 136 6 2 16 8 86 5 31 144 29 .293 .352 .395 .746

2009年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績 [編集]
年 二塁 三塁 遊撃 外野


合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守


2006 13 18 20 2 3 .950 15 8 14 1 2 .957 18 23 34 2 15 .966 -
2007 6 13 7 0 3 1.000 86 45 121 10 20 .943 22 30 53 4 12 .954 -
2008 11 20 19 0 3 1.000 98 52 132 4 13 .979(1) 1 0 0 0 0 1.000 -
2009 35 62 80 1 22 .993 91 53 145 4 12 .980 - 24 31 1 0 0 1.000
通算

背番号 [編集]
12 (2006年 - )
個人記録 [編集]
初出場・初先発出場:2006年3月26日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、8番・二塁手として先発出場
初安打:同上、2回表に江尻慎太郎から右翼へ二塁打
初打点:2006年6月16日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、4回表にジェレミー・パウエルから中堅へ適時二塁打
初本塁打:2007年3月24日、対西武ライオンズ1回戦(グッドウィルドーム)、6回表に西口文也から右越ソロ
初盗塁:2007年7月3日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(岩手県営野球場)、4回裏に二盗(投手:新垣渚、捕手:高谷裕亮)
オールスターゲーム出場1回(2009年:ファン投票外野手部門第3位)
登場曲 [編集]
『Jah Live』 Def Tech (2007年)
『I Believe』 EXILE (2008年)
日本代表キャリア(社会人時代) [編集]
第35回IBAFワールドカップ日本代表(2003年)
第23回アジア野球選手権大会日本代表(2004年)
第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表(2005年)
第36回IBAFワールドカップ日本代表(2005年)
エピソード [編集]
この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2009年6月貼付)

アマチュア最強打者 [編集]
打力の評価は高く、ホンダ熊本時代はアマチュアNo.1バッター、最強のクラッチヒッターと言われた。IBAFワールドカップにも2回出場、主力として活躍している。

JR九州の補強選手として出場した2005年の都市対抗野球では、1回戦の対三菱重工神戸戦で1-4とリードされた7回裏に西川雅人(現オリックス)から追撃の2ランを打ち込んだ。三菱重工神戸はこれを受けて9回裏二死一塁、あと一人抑えれば勝ちの局面で草野を敬遠、逆転サヨナラのランナーを出してまで4番・三船貴徳との勝負に出たが、三船に2点タイムリー三塁打を浴びてサヨナラ負けを喫した。これは三菱重工神戸ベンチが草野を恐れるあまり判断を誤った結果ともいわれている。当時の三菱神戸監督の岡正博は、この試合の責任をとって辞任した。

JR九州に補強された際には、応援団から登場曲としてダース・ベイダーのテーマが演奏され、持ち前の勝負強さと相まって妙にはまっていた。

背番号12は、JR九州の補強選手として都市対抗野球大会に出場した時の番号。

プロ入り後 [編集]
2007年シーズンから、バットを長距離打者用から中距離打者用に変更し、打撃もミートを重視したものに切り替えた。その後の2009年に千葉ロッテ所属の西岡剛から長距離型のバットを譲り受け、現在はそれを使用している[5]。

2007年度から、本拠地での勝利試合後には、数人の選手がレフトスタンド(ホーム応援席側。ただし地方開催時はライトスタンド)へ走り、万歳三唱をすることが恒例となったが、これに率先して毎回参加している(他に、塩川達也、渡辺直人、嶋基宏 らが主に参加)。

29歳というかなり遅い年齢でプロ野球で入った選手が活躍することで、同じような境遇の選手に夢と希望を与えることができると言うことを意識してプレーしているという。

元楽天監督の野村克也は、草野をよくインタビューなどで「天才」と形容する。プロ入り一年目の打撃成績は決して芳しいものとは言えなかったが、翌年からも監督は草野にチャンスを与え続けていた。プロ4年目の2009年、33歳のシーズンでついにその成果が発揮され、初の規定打席到達、打率3割を達成した。

草野をトイレの個室に閉じ込めるというイタズラをする田中将大をはじめ試合前にはベンチでチームメイトとよく話をしたり、内野守備の時は積極的に投手に声をかけるなど積極的にコミュニケーションを取る姿が見られる。練習時にも常に大声を出しており、チームのムードメーカーである。

2009年の外野守備は急だった事もあり外野用グラブは持っておらず、現在はチームメイトの聖沢諒が大学時代に使っていたグラブを借りている。

経歴の通り、黒木知宏は同郷で、入れ替わりで入学・卒業したため同時に在籍はしなかったが高校の先輩でもある。その繋がりからか黒木の引退試合で黒木に花束進呈をしたのは草野であった。だが草野の事は黒木が高校在学中の時から噂になっていたため、ある程度の事は黒木も知っていた。その黒木の話によると、当時はどちらかというと野球の事よりかなりやんちゃだということで有名だったらしい。

ベガルタ仙台の関口訓充とは友人関係にある。

その他 [編集]
タレントの酒井瞳(アイドリング!!!14号)はいとこ[6]で母親が姉妹。2009年7月23日、酒井が『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の「出たいドルデラックス」のコーナーに出演した時に、草野も中継で応援出演した。番組内では、酒井の祖母の家の前で草野が中学生、酒井が2歳の時に一緒に撮った写真も紹介された。


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