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井川慶

井川 慶(いがわ けい、1979年7月13日 - )は、MLB・ニューヨーク・ヤンキース傘下の3Aスクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに所属するプロ野球選手(投手)。

最速151 km/hのストレートとチェンジアップ、スライダーが武器。愛称は出身地である茨城の方言にちなんだ「ダッペ」「イギー」「エース井川」。

目次 [非表示]
1 プレースタイル・人物
2 経歴
2.1 阪神時代
2.2 米国時代
3 詳細情報
3.1 年度別投手成績
3.2 背番号
3.3 タイトル・表彰
3.4 個人記録
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク


プレースタイル・人物 [編集]
コントロールが悪かった新人時代、当時の野村監督より「ダーツの的に当てるイメージで投げろ」とアドバイスを受けたことがある[1]。自らも2万円のダーツボードを購入している。

デーゲームを苦手としており、登板時はサングラスを着用する。

体のケアには敏感である。入団当初からオフには添田専属トレーナーとトレーニングをしている。毎試合後アイシングなど深夜まで入念な体のケアを行う。食事はコンディションを保つため専属の料理人に作ってもらっていた。また、アルコール類、コーヒー、炭酸飲料も口にしない。2003年のリーグ優勝の時には、翌日が先発だったため、ビールかけに参加しなかった。ただし、この件に関してはチームの和を乱すとして当時の星野監督から叱責を受けた。なお、アルコールの類を避けるのは井川自身が下戸という体質に起因する部分もあり、2005年のリーグ優勝の際のビールかけでは途中でダウンしてしまった。
また、茨城県出身ではあるが納豆が苦手である。

中学生時代は、サッカー部があれば野球部に入っていなかったかもしれないほど、昔からサッカーが好きだった。入団前は井川の実家のある茨城県をホームタウンとする鹿島アントラーズのファンだったが、阪神入団後はガンバ大阪のファンとなり、2006年新春に宮本恒靖と特別番組で対談した。

将棋は初段でチーム内外(今岡誠、古田敦也、吉野誠、広澤克実、桧山進次郎、安藤優也など)で対局、ピッチャーでリーグを作ったり、登板前に気持ちを落ち着かせるためロッカーで詰将棋をしていた。2006年のオフには棋王戦の本戦準決勝(羽生善治-深浦康市)を観戦。番組企画で投了図からのかなりのハンデ戦であるが森内俊之名人に勝利。2007年1月、日本将棋連盟は日本国外での将棋普及のため「将棋親善大使」に任命、初段の免状と委嘱状を贈呈した。

経歴 [編集]
茨城県東茨城郡大洗町出身。大洗野球スポーツ少年団で野球をはじめ、小学生までは右投げ。高校時代も体のバランスをとるために右投げの練習は続けていた。プロ入り後も、オフに帰郷するたび、自らの後輩である大洗の小中学生相手に野球教室を開いている[2]。

水戸商高3年春の県大会、対竜ヶ崎一高戦で、7回参考記録ながら18奪三振の完全試合を達成。しかし夏は腰痛のためほとんど登板機会がなかった。県大会決勝の茨城東高戦(水戸市民球場)に痛み止め注射をして登板するも、自らのミスなどで4失点し敗退。

甲子園出場はなかったが、「東のドクターK」として一部では名前が知られており、当時川口知哉・能見篤史と並んで「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。1997年のドラフト2位で阪神タイガースに指名され入団。この時は日本ハムファイターズも指名を一時検討していたが、先述の腰痛を理由に見送った。高校では簿記2級・英検3級の資格を取得している。

阪神時代 [編集]
1999年5月2日の広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)に中継ぎで一軍プロ初登板を果たした。5月7日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で4回に波留敏夫から初奪三振、5月19日の広島戦(米子市民球場)でプロ初先発登板し初勝利を挙げるが、なかなか一軍に定着できないシーズンが続いていた。

2001年は野村克也監督から先発ローテーションに抜擢され、4月24日の読売ジャイアンツ戦(甲子園)でプロ入り後初完投勝利。監督推薦によりオールスターの出場を果たす。最終的に防御率はリーグ2位の2.67と好成績を残したが、打線の援護がなく、チームも4年連続最下位で、9勝13敗の負け越した(防御率2位での負け越しは1991年の今中慎二以来)。

2002年、監督が星野仙一に代わり3月30日の巨人戦(東京ドーム)で開幕投手を務め、3対1で完投、チーム12年ぶりの開幕戦勝利に貢献した。夏場に調子を落とすも、206奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。

2003年も星野から開幕投手を任され、黒星を喫したものの、6月、7月に4戦連続完投勝利、8月2日の勝利で自身12連勝を記録した。連勝中はゲンかつぎとして髪を切らなかったため、約3か月間も髪を伸ばしっぱなしになりアフロヘアーのような髪型になったという逸話もある。結果的にセ・リーグでは1999年の上原浩治以来の20勝投手となり、阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた。この年オフまで快適という理由で長らく寮生活を続けていたが、退寮指令を受け、恩人・梅本正之寮長の定年を節目に退寮。寮では模範生で、途中からは若手の講師役にも指名されていた。

2004年10月4日の広島戦(広島市民球場)でプロ野球史上71人目となるノーヒットノーランを達成した。このシーズンオフにポスティングシステムでのMLB移籍を希望するが、球団との交渉が決裂。自費キャンプになり、否定的な報道、一部世論の反発に遭う[3]。以降毎年オフに球団に対しポスティングによるMLB移籍を希望することになった。

2005年8月23日の広島戦(広島市民球場)で1,000投球回を達成。この時井川が連続三振を奪った勢いで捕手の矢野輝弘が記念ボールをスタンドに投げ込んでしまい、ベンチ前にほとんどの選手とコーチが出て受け取ったファンに頭を下げ、記念ボールを返してもらった[4]。

2006年には5年連続2桁勝利を達成、球団も井川のそれまでの貢献を考慮し3年越しの希望であったMLB移籍を容認した。同年11月10日、ポスティングによるMLB挑戦を表明。11月29日にニューヨーク・ヤンキースが2600万194ドル(日本円約30億円)で独占交渉権を得て落札。12月27日に5年2,000万ドル(2011年まで毎年400万ドル)+出来高で契約が成立した。渡米直前の2007年2月には結婚を発表した。

米国時代 [編集]
2007年4月7日のボルチモア・オリオールズ戦(ヤンキー・スタジアム)でMLB初登板。5回8安打4四死球2本塁打7失点で降板したが、その後ヤンキースが逆転したため勝ち負けはつかず。4月18日のクリーブランド・インディアンス戦(ヤンキー・スタジアム)で、6回5安打5奪三振2失点でMLB初勝利。しかし、その後も投球フォームや制球が安定せず、中継ぎへ降格。4月28日のボストン・レッドソックス戦では、先発投手が負傷降板した後、緊急登板ながら6回無失点と好リリーフし、メジャー2勝目を挙げた。この好投が認められ、先発復帰するも、5月7日にマイナーリーグへ降格。6月22日の試合でメジャー復帰。7月28日、2度目のマイナーリーグ降格。9月22日の試合でメジャー再復帰。中継ぎとして登板した。9月25日には昇格後初めて先発し、5回を0点に抑えたが勝ち星はつかなかった。結局この年は2勝3敗、防御率6.25と不振に終わった。

2008年は前シーズンの不振により開幕前から先発としての構想には入っておらず、オープン戦では中継ぎとしての起用が続いた。若手起用のため、MLB2年目の開幕はマイナーで迎えることとなった。5月9日にメジャー昇格、デトロイト・タイガース戦に先発したが、3回を11安打6失点で敗戦投手となった。5月15日にマイナー降格。6月28日に再昇格、ニューヨーク・メッツ戦の9回に登板し、1回を無失点に抑える。しかしその翌日にマイナーリーグ降格を通告された上、7月26日にはメジャー契約を解除され、40人ロースターから外された[5]。本人は「メジャーリーグでローテーションを守れるピッチャーを目指して頑張りたい」と語った。結局この年はメジャーリーグでの勝ち星を挙げることができなかったが、3Aでは14勝6敗の好成績を残している。

2009年は春季キャンプに招待選手として参加し、オープン戦では15回3分の1を投げて1失点とまずまずの出来だったが、3月23日にマイナー行きを通告され、2年連続で開幕をマイナーで迎えることとなった。マイナーでは、シーズン前半では安定した成績を残したが、シーズン後半ではホームラン乱発など打ち込まれることが多く、成績も防御率も悪化した。最終的には10勝8敗、防御率4.15とまずまずの数値となり、マイナーでのチームベストとなったが、メジャーリーグでは通用しないと見なされていることも明らかとなった。ヤンキース・ファンの間では、「マイナー (AAA) 以上、メジャー以下」という意味で、「AAAAクラスの選手」と呼ばれた。球団は他球団に譲渡しようとしてしきりに努力したが、マイナーリーグレベルにしては高年俸(400万ドル)であることがネックとなり、どの球団からも申込みがなかった。地元紙の一つであるニューヨーク・ポストは、2009年12月29日に掲載した「過去10年のニューヨークのプロスポーツ選手ワースト10」という記事において、井川をワースト1位とした[1]。

詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]

度 球
団 登
板 先
発 完
投 完
封 無

球 勝
利 敗
戦 セ

ブ ホ


ド 勝
率 打
者 投

回 被

打 被


打 与

球 敬
遠 与

球 奪

振 暴
投 ボ

ク 失
点 自

点 防

率 W
H
I
P
1999 阪神 7 3 0 0 0 1 1 0 -- .500 80 15.1 23 1 13 0 1 14 0 0 11 11 6.46 2.35
2000 9 5 0 0 0 1 3 0 -- .250 172 39.1 36 5 19 1 0 37 7 0 19 19 4.35 1.40
2001 29 28 3 2 0 9 13 0 -- .409 829 192.0 174 11 89 6 3 171 6 0 76 57 2.67 1.37
2002 31 29 8 4 2 14 9 1 -- .609 830 209.2 163 15 53 1 7 206 8 0 63 58 2.49 1.03
2003 29 29 8 2 3 20 5 0 -- .800 839 206.0 184 15 58 3 3 179 5 0 72 64 2.80 1.17
2004 29 29 6 3 1 14 11 0 -- .560 840 200.1 190 29 54 0 6 228 5 0 95 83 3.73 1.22
2005 27 27 2 1 1 13 9 0 0 .591 749 172.1 199 23 60 0 1 145 4 0 91 74 3.86 1.50
2006 29 29 8 3 2 14 9 0 0 .609 844 209.0 180 17 49 3 6 194 4 0 77 69 2.97 1.10
2007 NYY 14 12 0 0 0 2 3 0 0 .400 313 67.2 76 15 37 1 4 53 5 1 48 47 6.25 1.67
2008 2 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 24 4.0 13 0 0 0 0 0 0 0 6 6 13.50 3.25
NPB:8年 190 179 35 15 9 86 60 1 0 .589 5183 1244.0 1149 116 395 14 27 1174 39 0 504 435 3.15 1.24
MLB:2年 16 13 0 0 0 2 4 0 0 .333 337 71.2 89 15 37 1 4 53 5 1 54 53 6.66 1.76
通算:10年 206 192 35 15 9 88 64 1 0 .579 5520 1315.2 1238 131 432 15 31 1227 44 1 558 488 3.34 1.27

2009年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
背番号 [編集]
29 (1998年 - )
タイトル・表彰 [編集]
NPB
MVP:1回(2003年)
沢村賞:1回(2003年)
最多勝:1回(2003年)
最優秀防御率:1回(2003年)
最多奪三振:3回(2002年、2004年、2006年)
最優秀投手:1回(2003年)
ベストナイン:1回(2003年)
月間MVP:3回 (2002年3, 4月、2003年6月, 7月)
個人記録 [編集]
初登板:1999年5月7日、対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、4回裏に救援登板
初奪三振:同上、4回裏に波留敏夫から
初先発・初勝利:1999年5月19日、対広島東洋カープ8回戦(米子市民球場)、6 0/3回2失点
初完投勝利:2001年4月24日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
初完封勝利:2001年8月17日、対横浜ベイスターズ20回戦(横浜スタジアム)
初セーブ:2002年10月12日、対広島東洋カープ28回戦(広島市民球場)
1000投球回:2005年8月23日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、7回裏に前田智徳から空振り三振で3アウト目をとり達成 ※史上304人目
1000奪三振:2006年4月14日、対広島東洋カープ3回戦(阪神甲子園球場)、9回表に梵英心から ※史上119人目
関連項目 [編集]
茨城県出身の人物一覧
阪神タイガースの選手一覧
日本人メジャーリーグ選手一覧
脚注 [編集]
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^ パンクラス:PANCRASE Official Site | tourarchive
^ http://osaka.nikkansports.com/news/f-on-tp0-20070114-142322.html
^ 阿部珠樹. "NUMBER EYES 上原と井川のポスティング要求は、わがままだろうか。". number web. 2008年4月11日 閲覧。
^ 矢野しまった!?記念のボールを無意識に… 日刊スポーツ、2005年8月24日。
^ "NY Yankees take Igawa off 40-man roster". NJ.com. 2008年7月27日 閲覧。

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