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江藤智

江藤 智(えとう あきら、1970年4月15日 - )
埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
文化放送『文化放送ライオンズナイター』では江藤を「微笑みのバズーカ」と称している。



来歴・人物
関東高等学校(東京)では通算61本塁打を記録。「東の江藤、西の谷繁」と言われるほどの強打の捕手として名を馳せた。その長打力を買われて1988年、ドラフト5位で広島東洋カープに捕手として入団した。
広島時代
1990年
4月に一軍初出場。6月に初めてのスタメン出場を経験したが、このときの守備位置は右翼手だった。その後も右翼手・一塁手として38試合に出場し、5本の本塁打を打ってアピールした。
1991年
7番三塁手で初の開幕スタメン出場。肩を故障したのと打撃を生かすためにこの年から捕手から内野手(主に三塁手)に転向。正捕手に達川光男がいたなどの理由もあった。初の2桁本塁打(このシーズンチーム最多の11本)を記録した(2003年まで13年連続)が、打率は2割前半と振るわず、レギュラー定着はならなかった。
1992年
山崎隆造・山田和利らと三塁手のレギュラーを争った。5・6月は不調で一歩後退したが、後半になるにつれ打率を急上昇させ、9月はほとんどの試合で4番に抜擢され翌年への期待を抱かせた。
1993年
この年からレギュラーに定着する。開幕の3試合を除いてすべての試合で4番の座を守り抜き、初めて全試合に出場した。この年初めて規定打席に到達すると、前年の倍以上の34本の本塁打を打って本塁打王のタイトルを獲得、さらに初のベストナインに選ばれた。
1994年
前半故障で出遅れたが、6月に復帰して以降不動の4番に定着。8月には月間16本塁打の日本タイ記録。打率が初めて3割を超え、首位打者アロンゾ・パウエルに迫る打率.321を記録した。
1995年
本塁打王と打点王の二冠を獲得。シーズン終盤に急性虫垂炎で離脱したため、惜しくも40本塁打には届かなかった。また、自己最多の14盗塁も記録した。
1996年
前半から打撃好調で3割をキープ。本塁打も32本に達した。しかし8月に仁志敏久の打球を左目に当てて眼窩底を骨折し離脱。強肩の三塁手として鳴らしていたが、これ以降打球への反応が鈍くなってしまった。この年初めて最高出塁率・ゴールデングラブ賞を獲得。
1997年
出塁率は3割8分と高かったものの、打率は.252と平凡な数字に終わり、前年まで4年連続で受賞していたベストナインを逃した。
1998年
自己最多の100四死球を記録し、出塁率はこの年も3割8分を超えたものの、やはり自己最多となる103三振も記録し、打率は.253となかなか復調せず、終盤は金本知憲に4番を譲る試合もあった。
1999年
8月12日の対横浜ベイスターズ戦で1試合10打点のセ・リーグタイ記録をマーク。3割に迫る打率を残した。

巨人時代
2000年
FA権を行使し、読売ジャイアンツに入団。
広島で着けていた背番号33を当時の長嶋茂雄監督から譲り受け(これ以降長嶋監督は現役時代の背番号である3をつけた)、前半戦は不振に悩む高橋由伸に代わり3番打者として活躍、リーグ最多の勝利打点を挙げ(最多勝利打点のタイトル表彰はこの年限りであったため、江藤が最後の受賞者となった)、セ・リーグ優勝と日本一に貢献。特にリーグ優勝を決めた9月24日の中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)では、4点ビハインドで迎えた9回裏に当時の守護神エディ・ギャラードから同点満塁ホームランを放つなど、勝負強さを発揮した。これは2000年巨人の通算200本塁打であった。福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでもホームランを放っている。
2001年
移籍後2年連続のベストナイン・30本塁打を記録。スラッガーとして結果を残した。
2002年
2割台前半・本塁打18本とレギュラー定着以降最低の成績に終わり、この年から徐々に成績が低迷。
2003年
前年からの不振が続き、11年ぶりに規定打席に到達しなかった。打順は主に7番で、代打での起用も多くなった。
2004年
三塁手である小久保裕紀がダイエーから移籍してきたこともあり、スタメン出場は15試合にとどまった。
2005年
通算350本にあと1と迫っていた本塁打が遂に1本も打てず(ホームラン性の当たりが屋根に当たってしまったことがある。後述)、打率も2割を切り、スタメン出場は8試合で完全に代打要員となってしまった。同年オフの契約更改では野球協約の限度である40%を超える減俸となった。その直後、FAで巨人入りした豊田清の人的補償として西武ライオンズへの移籍が決定。「FA移籍」と「別の選手のFA移籍に伴う人的補償選手として移籍」の両方を経験した、日本で初の選手となった(翌年に現横浜の工藤公康もこれを経験)。

西武時代
2006年
西武ライオンズでは年齢、キャリア年数ともチーム最高となり、豊富な経験に人柄も手伝って若い選手の多いチームにあって貴重な存在感を示した。36歳の誕生日となる4月15日の千葉ロッテマリーンズ戦では内竜也から2年越しとなる通算350号本塁打も放った。また7月19日の福岡ソフトバンクホークス戦では、主力であるアレックス・カブレラや和田一浩といった主力打者が抜けたため4番に座り(巨人時代は一度も4番を打たなかった)、6回表に佐藤誠からレフトへの二塁打を放ち、通算1500本安打を達成した。移籍後は主に代打(対左投手)としての起用が多く、時には指名打者や一塁手、三塁手として先発出場している。
2007年
この年も代打や指名打者として活躍。西武移籍後初めて三塁の守備につき三塁手として9試合にスタメン起用され、カブレラがエラーを繰り返した際はカブレラが指名打者に回って江藤が一塁を守るなど、守備でも健在ぶりを示した。
2008年
前年までと同じく、代打の切り札として、また、クレイグ・ブラゼルが故障したときなどは4番一塁手でスタメン起用された。打率は.206と低かったが、20本の安打のうち本塁打が7本と、長打力は発揮した。この年に再度FA権を取得したが、行使せず残留することで合意。
2009年
代打での出場が多かったものの、打率1割台と不振で8月6日に2軍に降格。10月2日、現役引退を発表した。

エピソード
関東高校の同級生に漫画家の安野モヨコと元バレーボール日本代表の泉川正幸、また1年先輩にMr.Childrenの桜井和寿がいる。
ルーキー時代、キャッチャーボックスから二塁までノーバウンドで送球が出来なかった。
1992年から2004年にかけて、毎シーズン盗塁を1回以上(最多は1995年の14個)は決めていた。
2005年7月30日の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ第12回戦では、通算350号ホームランまであと1本に迫っていた江藤がホームラン性の当たりを放つも、天井に当たりレフトフライとなってしまい、通算350号ホームランは幻となってしまった(前述のように西武移籍後達成)。
巨人時代は一度も四番スタメンはなかった。江藤在籍時には清原和博、松井秀喜、高橋、ペタジーニ、小久保が四番を打った。
西武入団会見で少年時代にライオンズ友の会(ファンクラブ)に加入していたことを明らかにした。
元チームメイトの西山秀二には「練習熱心で、後輩の面倒も良くみて、文句を言っている所を聞いたことが無い。あんなプロ野球選手、他にはいない」と言わしめる程である。巨人から西武への移籍に当たっても、「(巨人時代の)6年間はいい思い出だけ。西武に行って少しでも長く野球をやりたいので頑張ります」とコメントを残している。
西武での登場テーマ曲はジョン・レノンの「Power to the people」で、間に「江藤!」という合いの手が入る。
2007年9月29日の対オリックス・バファローズ戦でプロ野球史上33人目の通算1000打点を達成。「一生懸命振った。迷惑をかけたけど伊東監督、みんなに感謝です」とコメントした。


タイトル
本塁打王 2回(1993年、1995年)
打点王 1回(1995年)
最高出塁率 1回(1996年)
最多勝利打点 1回(2000年)
ベストナイン 7回(1993年~1996年、1998年、2000年~2001年)
ゴールデングラブ賞 1回(1996年)

個人記録
初記録
初出場:1990年4月7日、対阪神タイガース1回戦(広島市民球場)
7回裏に紀藤真琴の代打として出場、中西清起に三振を喫する
初先発出場:1990年6月14日、対中日ドラゴンズ11回戦(広島市民球場)
5番・右翼手として先発出場、3打数1安打
初安打:同上、6回裏に今中慎二から遊撃内野安打
初本塁打・初打点:1990年6月16日、対横浜大洋ホエールズ11回戦(あいづ球場)
1回表に新浦壽夫から左越2ラン
初盗塁:1992年6月25日、対読売ジャイアンツ11回戦(広島市民球場)
4回裏に二盗
節目の記録
100本塁打:1995年4月25日、対読売ジャイアンツ1回戦(広島市民球場)
4回裏に槙原寛己から ※史上181人目
150本塁打:1996年7月2日、対横浜ベイスターズ13回戦(呉二河球場)
2回裏に三浦大輔から左越ソロ ※史上105人目
200本塁打:1998年6月3日 対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)
7回表に古溝克之から左越2ラン ※史上69人目
1000試合:1999年7月17日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)
4番・三塁手として先発出場 ※史上352人目
1000本安打:1999年8月29日、対読売ジャイアンツ24回戦(広島市民球場)
3回裏に桑田真澄から中前安打  ※史上198人目
250本塁打:2000年4月22日 対広島東洋カープ5回戦(広島市民球場)
6回表に苫米地鉄人から左越3ラン ※史上40人目
300本塁打:2001年7月12日、対ヤクルトスワローズ16回戦(東京ドーム)
4回裏に石井一久から ※史上25人目
1500試合:2003年7月20日、対横浜ベイスターズ20回戦(横浜スタジアム)
6番・三塁手として先発出場 ※史上139人目
350本塁打:2006年4月15日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)
7回裏に内竜也から左越2ラン ※史上19人目
1500本安打:2006年7月19日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(福岡Yahoo!Japanドーム)
6回表に佐藤誠から二塁打 ※史上88人目
1000打点:2007年9月29日、対オリックス・バファローズ22回戦(京セラドーム大阪)
6回表に岸田護から左前適時打 ※史上33人目
1000得点:2009年6月13日、対広島東洋カープ3回戦(西武ドーム)
2回裏に片岡易之の適時二塁打で記録 ※史上35人目


背番号
51(1989年)
33(1990年 - )

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